第27話 兄
兄様と向かい合う。じっとりとした空気は潮風のせいか、それとも視線のせいか。
両腕を広げた兄様は、数歩こちらへと近づいた。セキヤが警戒を強める。
「ずっと会いたかったんだぜ? まさかあんな牢獄にいたなんてな。外を探しても見つからなかったわけだ」
「何故、私がここにいると?」
「メルタで耳にしたんだよ。まさか思い至らなかったワケじゃないだろ? お前は目立つからな」
口をつぐむ。
たしかに、考えていないわけではなかった。
もしかしたら兄様が私を探しているかもしれないこと。私の情報が入った時、会いに来るかもしれないこと。
「そうだ、折角だから紹介しよう。俺の……まあ、仲間と言うべきか」
岩山の影から、身長差のある二人が歩いてくる。
緑髪の子供が頭の後ろで手を組みながらため息をついた。
「まったく、やっと来たのかよ。待ちくたびれたっての」
「口を慎むべきだ。御令弟の前だぞ」
「あー、はいはい。俺の知ったことじゃねぇっての……」
隻腕の大男が諌めるが、まったく気に留めていない。
大男は一瞬何かに気を取られたようだったが、私に視線を向けると静かに目を閉じて頭を下げた。
「デカいのがサバカ、そっちのチビがクリシス。まあ、覚える必要はないぜ」
「おい」
「ははっ、ゼロは俺だけを見ていればいいんだ。そうだろ?」
クリシスが顔を顰めたが、兄様は笑って流した。そして一歩、また一歩と近づいてくる。
「何年ぶりだろうなぁ。お前のことを忘れたことは一秒たりともなかった」
「それで、何か用ですか」
ソランはうっとりと目を細める。
「ま、顔を見に。本当は連れ帰りたいところなんだが……どうにも厄介なことに巻き込まれているみたいだし」
パン、と乾いた音が鳴る。
立ち止まった兄様の足元が抉れている。セキヤは黙って銃口を向けていた。
兄様はため息をつき、首を横に振る。とても残念そうだ。
「怖いオトモダチもいるみたいだからな。そういうわけで……そうだなぁ、もう少し好きに遊ばせておこうと思ったんだよ。優しいだろ?」
優しい? 優しい、だって?
「よく言えましたね。私を……私に、あのようなことをしておきながら」
兄様は薄っすらと笑ったまま首を傾げる。
「それはどっちを言ってるんだ? まあ、どっちでもいいか。あれは俺の愛だよ、ゼロ。分からないのか?」
どっち? 彼は何を並べてそう言ったのだろうか。
それに、あれが……あれが、愛だと? ああ、確かにそうだ。愛する者同士が行うことではあるのだろう。
だが、それは私達に当てはまるのだろうか。
「……愛? あれが、愛ですって? 本気でそう言っているのですか」
「そうだろ? まあ、お前は嫌がったし、アイツらのせいで逃げちまったわけだが……」
肩をすくめた兄様は、くっくっと笑う。
「まあ、まさかお前がアイツらを殺すとは思わなかったけどな。でも、良かったよ。お前が死んでいいのは俺に殺された時だけだ。いくら産んだからって、それだけで生死与奪の権をアイツらに持たせたくはない」
「……いろいろと、言いたいことはありますが」
頭を押さえる。
ズキリと痛む。誰が、誰を殺したと?
思い出せない。
「殺す、とは? 確かに私はあの屋敷から逃げましたが……」
「……おいおい、本気で言ってるのか?」
兄様は困った様子で頭を掻いた。
貴方は何を知っている?
「お前がやったことを知ったとき……俺は嬉しかったんだぜ? お前にもちゃんと俺達と同じ血が流れていることが証明されたってな。それが……まさか、何もかも忘れてるなんてな」
兄様はやれやれと首を振った。
私は何かを忘れている? そうだ、あの屋敷を逃げ出した時からパノプティスに辿り着いて暫くの記憶。朧げなそれらを、まだ取り戻せていない。
それを、彼は知っているというのだろうか?
「まあ、それでも俺の愛は忘れていないようで何よりだ。だが、まだ足りない。まだだ」
兄様は指を鳴らすと、良いことを思いついたとでも言いたげに笑みを深める。
「そうだ、ヒントをやるよ。まあ、お兄ちゃんからのプレゼントだと思ってくれていいぜ」
「ヒント、ですか?」
「一度、古巣を訪ねてみるといい。そうすれば、きっと全てを思い出す」
それだけを言って、兄様は背を向けた。
古巣。それは故郷の……あの屋敷のことだろうか。
私が長年閉じ込められていた、森に面する屋敷。
「次に会う時が楽しみだ」
「待ってください」
去ろうとする兄様を呼び止める。
立ち止まった彼の顔は見えない。
「……本当に、あれは貴方の愛だったのですか」
「そうだよ。いいか、ゼロ。俺がお前にしてきたことは……全て俺の愛の上に成り立ってる」
兄様は手をひらりと振って去っていった。クリシスは退屈そうな顔で後に続き、サバカは右腕を胸に当てると軽くお辞儀をして二人の後を追った。
彼らの背を見つめながら、兄様との記憶を思い出す。
あの部屋だけが世界の全てだった頃、彼は度々訪れて絵本や菓子を置いていった。
気付けば置かれている味気ないスープとパンだけの生活に彩りを与えてくれたそれらが楽しみで仕方がなかったことを覚えている。
セキヤと出会うまで唯一の話し相手だった兄様のことは、たしかに兄として尊敬していた。
それが、どうして。
冷たい床を思い出す。掴まれた手首が熱く、内臓を抉られるような感覚が気持ち悪かった。
最早慣れたはずの感覚は、あの冷たさと合わせて思い出すだけで息が詰まる。
ズキリ。頭が痛む。
私は何かを忘れている気がする。
冷たい床? あの部屋はずっと暖炉で暖められていたはずだ。
頭が痛い。
私はあの屋敷を逃げた。だが、どうやって?
長い階段を登ったことを覚えている。
私は二階にいたはずだ。何故登る必要があった?
思い出せない。
それでも無理に思い出そうとすると、頭痛が酷くなる。
まるで鍵をかけられているようだった。
「ゼロ、大丈夫?」
セキヤの声で意識が浮上する。
二人が心配そうな顔で覗き込んでいた。
記憶の発掘をやめた途端、頭から痛みが引いていく。
「ええ、大丈夫です」
「本当? 無理しないでね」
「少し、休む?」
休憩を取るべきだろうか。
このまま戻っても、また彼らと鉢合わせるかもしれない。
会ったところで、私は……これ以上何を聞けばいいのだろう。
彼はもうヒントをくれた。やはり、行くべきなのだろうか。
かつての居場所に。
それから少し休んだ私達は、村へと戻った。
借りた家で一息つく。
昨日の夕方から今日の朝まで、怒涛の半日だった。
オルドを尋ねるのは明日の朝だ。まだまだ時間がある。
「どうしますか?」
「今日は他にすることもないし、休憩でいいんじゃない? 休憩続きだけど、ここを離れたらまた二週間かけてメルタまで行かなくちゃいけないしさ」
「それがいいと思う」
寝袋の上に寝そべったセキヤが頬杖をつく。
「それに……今日のこともあるし、あまり外に出ないほうがいいかも。まだ近くにいるだろうから」
それもそうか。
となれば、彼の言う通りすることもなくなる。
勉強会……も無しだ。私もそうだが、何よりヴィルトがそんな気分ではないだろう。
では、記憶の整理をするのはどうだろうか?
頭が痛くなったら、その時点でやめればいい。ただ鮮明な記憶を並べるだけだ。
まず、私は元々屋敷の個室に監禁されていた。
当時の私にその自覚はなかっただろうが、一度も部屋を出たことがないのだ。外は怖いところだと、兄様は言っていたが……それも本当か怪しい。
その生活の中で、セキヤと出会った。
これも鮮明に覚えている。
次に兄様の裏切り。
彼曰く『愛』だという、その行為。
……深く思い出すことはよそう。体が震えてしまいそうだ。
そして、私は屋敷を抜け出した。
ここだ。
セキヤに会ってから、兄様の裏切りを経てここに至るまでかなりの空白がある。
思い出そうとすると頭が痛む。ここは一度置いておこう。
兄様の言葉が本当なら……故郷に行けば、この辺りの記憶も補われるのだろうか。
そして、町を転々としながらパノプティスに辿り着いた。
この辺りも曖昧だ。ただ、メルタの景色に少しの懐かしさを抱いた。ぼんやりとだが、記憶はあるのだろう。
そして、パノプティスでヴィルトと出会った。
ヴィルトと出会ったばかりの頃の記憶は曖昧だが、暫くしてからの記憶は鮮明になっている。その時にはもう友人として接していたし、同居人として共に暮らしていた。
そこからセキヤと再会し……今に至る。
こうしてみるとかなりの空白がある。
何故、今まであまり気にしていなかったのだろうか?
それさえも分からない。
分からないことだらけだ。屈辱さえ感じる程に。
一体何があったのか。それを知るためにも、一度故郷へ……クレイストへ向かうべきだろうか。
それに、魔力調整をする都合上、神官も一人はいる筈だ。無駄というわけでもない。
深く呼吸する。
ああ、ただでさえ呪いだなんて厄介なものがあるというのに、また課題が増えてしまった。
「ゼロ、ご飯出来たよ」
「……ええ、いただきます」
まだまだ考えるべきことは尽きないが、今は友人との時間をとることにしよう。
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