第4話 過ち

 さて、どう招き入れたものか。

 セキヤの要望通り、生捕りにする方法を考えながら女の様子を見る。

 私の考えを知ってか知らずか、女はそわそわと落ち着かない様子で髪を耳にかけている。


「ずっと会いたかったの。その、突然来ちゃってごめんね」

「何か御用ですか」

「あのね、もう一度話したいなって思って……この前のお礼もまだだったから。あっ、手紙はもう読んでくれた?」


 髪をいじりながら上目遣いで見てくる彼女の頬は赤らんでいる。

 やはり、どう見ても気付かれずに尾行できるような技量を持っているようには見えない。


「途中までは読みましたよ」

「途中?」


 きょとんとした女に、小さく頷いて返す。

 下手に誤魔化すよりはそのまま言った方がいいだろう。内容について突っ込まれても面倒だ。


「読んでいる途中で貴方が来たものですから」

「そっか……ちょっと急すぎちゃったかも」


 女は自分の手の甲をさすりながら俯いて、そう呟いた。小さな声だが、静かな中では大きく聞こえる。

 正確には途中で読むことをやめただけだが、多少の嘘は構わないだろう。途中から読んでいないことに変わりないのだから。


(人は……あまりいない。好都合だ)


 さっと辺りを確認してみる。昼時だからか人通りはずっと少ない。

 まずは、どうにかして家に連れ込む。人が少ないとはいえ、完全にいないわけでもない。万が一見られることを考えると、無理矢理ではない方が好ましい。

 自分より身長も低く、力もないだろう女だ。招き入れた後は壁にでも押さえつけておいて、ヴィルトに縄を取りに行かせればいい。


「折角来たのですから、お茶でも飲んでいきませんか?」


 穏やかな優しい表情を意識する。相手が自分に惚れているのなら、それを利用しない手はない。

 想定通り、女はパッと表情を明るくして両手を胸の前で組んだ。


「えっ、いいの!?」

「勿論です」

「じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな……」


 女はそわそわしながら頷いた。

 計画通りとはいえ、いささか上手くいきすぎているような気もする。それだけ単純だということなのだろうが、何かが引っ掛かる。

 結局、この女はどうやって私の住所を知ったのか。名前もそうだ。セキヤと会話しているところに偶然居合わせて聞かれた? 偶然家に帰るところを見られた? 偶然はそう重なるものだろうか。


(まあいい。捕まえてしまえばそれで終わりだ)


 ドアノブに手をかけた時、ハッとした女は手を組んでじっと見つめてきた。


(私の考えが気付かれた……? いや、そんなはずは)


 少しばかり警戒を強める。

 真剣な眼差しを向ける彼女は、少し迷った後に口を開いた。


「あのね、ゼロ君。お願いがあるの」

「お願いですか?」

「うん。その、ね? 名前を呼んでほしいの。アタシの名前を」

「名前……」


 一気に気が抜けた。

 何を言うのかと思えば、そんな願いか。

 けれども彼女にとっては重要な願いなのだろう。女の目は小さく揺れ、緊張しているようだった。


(恋をするとこうなるものなのか?)


 一度も恋愛をしたことがない以上、想像することしかできない。

 しかし、もし恋に落ちることでこういった状態になるのだとしたら、するものではないなと思わざるをえなかった。


「生憎ですが、私はまだ貴方の名前を知らないんです。先程も言いましたが……手紙を読んでいる途中だったものですから」

「あっ! そ、そうだよね。ごめんねっ」


 あの手紙にこの女の名前が書かれていないことは鑑定眼で知っている。

 書いていないことを思い出したのか、それともそれすら忘れているのか。

 女は頬に手を当てて恥ずかしそうに顔を赤らめると、小さく咳払いをして胸に手を当てた。


「アタシはメイニーっていうの」


 名前を告げた女……メイニーは、期待に満ちた目を向けてくる。

 見たところ、怪しい部分はない。魔道具を持っていたとしても、隠せる程度の小型なものだろう。


(スムーズに事を進めるためにも、名前くらいは呼んでやるか)


 にこりと小さく微笑んでみせる。ちょっとしたサービスだ。

 セキヤがどうするつもりかは知らないが、私としては迷惑料を貰いたいところだ。

 どれくらい持っているのかは知らないが、少しくらいはいい目をみせてやってもいいだろう。


「素敵な名前ですね、メイニーさん」


 随分と雑な世辞になったが、これくらいで充分だろう。

 後は、さっさと招き入れて――


(あ、れ?)


 ぐわんと視界が揺れる。

 体が傾き、扉に手をついて支えなければ立っていられない。

 ブレる視界で捉えた彼女は、恍惚とした表情で私を見つめている。


「嬉しい……アナタの口からアタシの名前を聞けるなんて……!」

「今、一体何を」

「アナタの笑顔、とってもステキだったよ。これからはもっと見られるんだね……」


 メイニーの声が二重に聞こえる。

 おかしい。おかしい!

 小型の魔道具程度なら、イヤーカフ型の魔道具で相殺できる。

 中型だとすればその違和感に気付かない筈がない。

 どこかに置いていた? だとしたら、協力者が遠隔から操作した? だとしても、何故このタイミングで?


 疑問が頭を巡る今も、段々と力が抜けていく。

 メイニーの手が伸ばされる。払い除けようとしたが、思う通りに体が動かない。頬に添えられた手から不快な熱が伝わってくる。

 ついに体を支える手からも力が抜け、ガクンと崩れた体を抱きしめるように両手で支えられた。


「大丈夫。何も怖くない……何も怖くないの。だから、ね?」


 まるで子供をあやすかのような、柔い声。

 脳に溶けていくかのようなその声を頭から追い出したくて、でも何も出来なかった。


「安心して眠ってね、ゼロ君」


 ――間違いなく、これが最大の過ちだったのだろう。

 この時、警戒を解かずにいれば……なんて、今更後悔してももう遅い。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 カチリ、カチリと時計の針が時を刻む。

 その音を聞きながら、俺は玄関の扉に背を預け、膝を抱えて座り込んでいた。


(何も、できなかった。俺は何も)


 眉間に皺が寄るのを感じる。目の奥が熱くなり、涙が滲む。

 何の役にも立たない自分への慰めの言葉が、頭の中をぐるぐると回っている。


(仕方ないことだった。ゼロがあんなに簡単に連れて行かれた。俺よりずっと強い、ゼロが)


 あの時、ゼロが家を出た後。どうしても心配になった俺は、様子を確認したくて玄関に向かった。

 それから、メイニーと名乗る女性とゼロのやり取りに耳をすませていた。どんな会話をしていたかは、大雑把だけれどもスケッチブックに書き写した。そのスケッチブックは今、俺の横に落ちている。

 横目でスケッチブックを見た後、目を閉じて俯いた。


(俺が出ていたところで、何もできなかった。あの状況なら、気付かれないように努めて……聞いた話をセキヤに伝えることが大事)


 だからこれで正しいんだと、自分に言い聞かせた。

 いつ何が起きたのかをセキヤに伝えなければいけない。俺までやられたら、セキヤに伝えられる人がいなくなる。その方がずっと問題だ。

 だから、今これ以上にできることはない。


(でも……本当に?)


 目を開き、顔を上げる。


(本当に、これが最善だった? 俺はただ逃げただけだ。もっと何かできたはずじゃないのか)


 視界が揺らぐ。

 一週間前の出来事が目に浮かんだ。俺はゼロとセキヤに助けられてばかりなのに、俺自身は何一つ返せていない。


(俺は……)


 頬を伝う雫が青いマフラーに染み込んだ時、ガチャリと音がして体が後ろに傾いた。

 床に手をついて振り返ると、困惑した様子のセキヤが立っている。


「えっ、と……ヴィルト? どうしたの?」


 しゃがんで目線を合わせたセキヤは、俺の顔を見てギョッとした。

 ポロポロと落ちる雫が邪魔だ。今はそんなことよりも、伝えないといけないことがある。

 差し出したスケッチブックの中身を読んだセキヤは、みるみる険しい顔になっていく。

 何もできなかったことを、責められるだろうか。


「ロープ取ってきて。すぐに追うよ」


 立ち上がったセキヤに頷いて、俺も立ち上がる。

 今は自分を責めている場合じゃない。そう言外に告げられた気がした。

 外に出たセキヤは目を凝らして辺りを見つめている。魔力を見分けているのだろう。

 玄関にかけている絵を外して、壁の窪みからロープを取り出す。

 絵を元に戻した後は扉に鍵をかけて、セキヤの隣に並んだ。


「手紙についていた魔力と似てる……ゼロの魔力も一緒だ。これで間違いない」


 俺には見えない景色を見ているセキヤは、道の先を指差した。


「向こうに続いてる。行くよ」


 歩き出したセキヤについていく。

 犯人を見つけたとき、自分にできることはあるのか。それをずっと考えた。

 俺はゼロとセキヤよりも身長が高いし、ガタイもいい。でも、力は二人に負ける。

 思い切り力を入れることに慣れていないのだと、セキヤは言っていた。

 何かあったとき、二人の壁にならなれるだろうか。自分の手を見つめながらそう思っていると、ふいにセキヤが口を開いた。


「ヴィルト。お前は多分大丈夫だと思うけど、犯人の名前はあまり意識しない方がいいかも。多分、名前がトリガーになってる。だとしても、御守りが効かなかった理由が分からないけど……」


 頷いて、犯人の名前を忘れようとしてやめた。無理に忘れようとしても、きっと逆に意識するだけになってしまう。

 道の先にいるであろう犯人を睨みつけたセキヤは、ぎゅっと拳を握りしめていた。


「待ってて、ゼロ。今すぐ助けに行くから」

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