もしも一つ願うなら
庭村ヤヒロ
『楽園』パノプティス
第1話 楽園と呼ばれる町
「まったく、今日は散々な目に遭いました」
楽園と呼ばれる町、パノプティスの夜は暗い。皆とっくに眠ってしまっているのだろう。
寝間着に着替えて自室に戻ってきたゼロは、机の上に置いていた魔導ランタンの明かりをつけた。モノクロに統一された部屋が、ほんのりと赤みを帯びた光で照らされる。
壁に立て掛けた鏡に映る自分の姿は少し疲れているようにも見える。とは言っても、他人から見れば相変わらず無表情だと言われそうなものではあるが。
髪を結ぶための黒いリボンを壁にかけ、椅子に腰掛ける。
「愛だの恋だの……面倒でしかありませんよ」
はあ、と深いため息をついたゼロは、引き出しからブラシを取り出すと髪をとかし始めた。腰まである自慢の銀髪も、心なしか元気がないように見える。
右目を隠す前髪も丁寧にとかし、小瓶に詰められたオイルで仕上げをする。
もっともオイルなど使わずとも自身の美しさは保たれると思っているが、やはりあるとないでは違うものだ。
鏡の前で頭を動かすと、艶を取り戻した髪がサラサラと揺れた。
きめ細かい肌も、真紅の瞳も、右目を隠す前髪も、そこに一房だけ混じる水色の毛束も。今日も変わらない美しさだった。
「もう今日は寝てしまいましょうか。することもありませんし……」
魔導ランタンのボタンを押し込むと、ふっと部屋が暗闇に包まれる。
ふかふかのベッドに寝転ぶと自然に眠気がやってきた。
時計の針が時を刻む音と、自分の呼吸音だけが耳に届く。
うつらうつらと微睡んでいると、ふと幼い頃の記憶が蘇った。
遠い冬国にいた頃の思い出。狭い部屋と、窓から見える曇り空だけが世界の全てだった頃。初めて見る青空と、絵本に描かれた太陽のような髪を持つ少年の姿。
(そういえば、あの時セキヤは何と言っていたのだったか)
頭に浮かび上がったのは同居人の一人。赤い髪と青い目をもつ、友人の姿。
初めて出会った時に聞かせてくれた彼の願い。四角く切り取られた空を背負う彼の言葉を思い出そうとした時、ずきりと鋭い痛みが走った。
「ぐっ」
息が詰まり、背中が丸くなる。ずきんずきんと痛み続ける右目を押さえ、歯を食いしばった。
一体何が起きている? 周りには誰の気配もない。誰かに襲われただなんてことはまずあり得ない。
「ぎ、ぃ……っ」
痛みを逃そうと身を捩る。一瞬の浮遊感の後に、背を強く打ちつけた。どうやらベッドから落ちたらしい。
「はっ、はぁっ……」
刺されたかのような鋭い痛みは、次第に鈍い痛みへと変わっていった。
荒くなった呼吸を落ち着けながら、体を起こす。
「い、一体何が……?」
よろけた体を腕で支えて、魔導ランタンへ手を伸ばす。今はとにかく自分の状況を確認しないといけない。
明かりをつけて、鏡の前に立つ。邪魔な前髪を持ち上げ、閉じた右目を見た。
この目を開ければ、途端に処理しきれない程の情報量が頭に流れ込んでくるのだろう。疲労どころか苦痛を感じるものだが、今はそんなことを考えている場合でもない。
鑑定眼を宿す右目をおそるおそる開けると、思った通りに膨大な情報が脳を殴りつけてきた。
情報の海の中から、必要そうなものだけを拾い上げる。鏡のことも、映った部屋のことも今は必要ない。今大事なのは、自分自身に関する情報だけだ。
ゼロ・ヴェノーチェカ。二十一歳。今は必要ない。
身長一六五センチ、体重四十二キロ。これも必要ない。
右目に鑑定眼を持ち……これもいらないな。
悪魔の呪いにかけられている。これだ。
「悪魔の、呪い……?」
口に出せば否が応でも認識させられる。
一瞬見えた自分の右目は、渦のような模様が入っている。
これは問題ない。鑑定眼の力が発現した時にはこうなっていたから。
問題はその瞳孔だった。蛇のような、縦に伸びた瞳孔。
明らかに異質なものだった。
鑑定眼は、自分がこの状況を信じたくないと思っていると……そう告げていた。
まったくもって、その通りだ。信じたくないに決まっている。
体から力が抜け、床に座り込む。手から離れたランタンが転がり、壁に自分の影を大きく映し出した。
(一体どこで間違えた……? ああ、思い当たる節が多すぎる)
目の痛みは治ったが、代わりに頭が痛み始める。
とんだ失態だ。全ては己の過ちのせいだと分かっていても、何者かのせいにしたくて仕方がない。
痛む頭を押さえ、記憶を辿る。
そう。そうだ。
全ての切っ掛けは、一週間前まで遡るんだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
町を囲む壁で丸く切り取られた空は晴れ渡り、柔らかな光を地上に注いでいる。レンガ造りの町並みを吹き抜ける心地よい風。高くも低くもない気温に、多過ぎず少な過ぎない魔力量。
完璧に作り上げられた快適な町で、買い物を終わらせた私は青果店の前で友人達を待っていた。
近づいてくる二つの足音に目を向ければ、その友人達が小走りでこちらへ向かってきている姿が見える。
「お待たせ!」
「セキヤ、ヴィルト。どこに行っていたんですか?」
赤い髪に青い目のセキヤは、今日も活発で明るい笑顔を見せている。青い髪に紫色の目をもつヴィルトは、相変わらず気弱そうな面持ちだ。背の高いヴィルトはこの辺りでは見慣れない服装と相まって目立って見える。彼らが同居人であり、友人でもある二人だ。
セキヤは困ったように笑いながら頭を掻き、ヴィルトは謝罪の言葉を書いたスケッチブックを見せてきた。
『待たせてすまない』
「ちょっと人助けをしてたんだよね。ねっ、ヴィルト」
セキヤの言葉に頷いたヴィルトは、私の視線を受けて目を逸らした。
明らかに何か問題を起こしたのだろう。
説明してほしい。そんな思いを込めてセキヤを見つめると、彼は気まずそうに硬い笑顔を見せた。
「いやー、あっちの路地に転んだ女の子がいてさ。ちょっとヴィルトが『おまじない』をね」
「へえ、『おまじない』ですか」
彼が言う『おまじない』とやらは、間違いなくただの『おまじない』ではないのだろう。現に、ヴィルトは必死な様子で再度スケッチブックを見せてきている。
「ヴィルト、話があります」
「ま、まあまあ。その辺については俺も言ったからさ、勘弁してあげてよ。ね?」
セキヤが肩に腕を回し、軽く揺らしてくる。
そもそも人が多いこの場所は深掘りするつもりもない。返事代わりにため息をつくと、セキヤはホッと安堵の息を漏らした。
「……もう勝手に『おまじない』は使わないことです。分かりましたね」
そう言いながら抱えていた紙袋を差し出すと、ヴィルトはこくこくと何度も頷きながら紙袋を受け取った。
それからいくつかの店を回った私達は、家に帰ることにした。
見上げた空は、とっくにオレンジ色に染まっている。町の中央に立つ白い塔の向こうを、三羽の鳥が飛んでいった。
親子だろうか。そう考えたところで、そんなわけがないかと思考を散らせる。そもそもあれらはただの映像で、実在する生物ではないのだから考えるだけ無駄だった。
商業区を離れ、居住区に入る。色とりどりのレンガで彩られた町並みから一転して、統一された建物が立ち並ぶ景色へと切り替わる。
富裕層向けの区域ならばまだしも、一般層向けの区域では画一的な風景になるのも仕方ないことだ。
それでも安全度を考えれば、この区域を選ぶほかないだろうが。
いつも通り、自宅付近までは大通りを歩く。いくら安全な区域とはいえ、極力は人通りが多い道を選んだ方がいい。
ふと、強い風が吹いて髪を乱される。
「うわっ」
隣でセキヤが声を上げた。
思わず閉じた目を開くと、目前に白い影が迫る。咄嗟に左手で受け止めたそれは、白い帽子だった。
「こんな強風、珍しいね。空調システムに何かあったのかな……」
呟いたセキヤは、私の手元を見るとキョトンとする。
「何? 帽子?」
「ええ、そのようです。思わず受け止めてしまいました」
帽子を持ち上げ、どうしたものかと思っていると、パタパタと軽い足音が聞こえた。
見れば、長い黒髪の女がこちらへと向かってきている。
――思えば、この時帽子を受け止めてしまったことが一つ目の間違いだったのだろう。
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