1-8.キスタミアの喉元
ロランとアルヴィンが宿屋を出発してから1週間が過ぎた。野営を繰り返しながら、毎日それなりの距離を進んだ。ここまで南下してくるとアンカーソンヒルの近辺とは若干景色が変わってくる。肥沃な草原地帯のアンカーソンヒル近辺と比べ、この辺りは湿った森林地帯だ。キスタミア地峡を挟んで隣の大陸はサバンナと砂漠の混じり合う乾燥地帯になっている。二人の往く街道沿いは比較的整備されているが、一度街道から外れれば鬱蒼とした森と泥の湿地林だ。正直こんなところは早く抜けたいと2人とも思っていた。
「先生、今どの辺りですか?」
「今日中にはキスタミア地峡の手前まで出られるはずだ。そこまでいけば大きな港町がある。久しぶりに柔らかいベッドでゆっくり休めそうだ」
キスタミア地峡の手前、エレンディラの街がある。隣の大陸のシィリフと並び、南方の交易を結ぶ要衝だ。シィリフからエレンディラに交易品が流れ込み、街道を経て大陸全土へと流れていく。エレンディラを獲得したがるわけだ。エレンディラはノートン家の領地内にあるが、自治権を認められているいわば独立した都市であることから自由都市エレンディラと呼ばれていた。
「先生は、エレンディラにも来たことがあるんですか?」
アルヴィンはエレンディラを訪れたことがなかった。どんな街なのか、規模は?今のうちから気になって仕方ない。
「エレンディラはこれまで4回訪れたことがある。いい街だよエレンディラは。抑え付けられていないから、人々が皆自分たちの街を守ろうとするし、とにかく街全体での活気がすごい。エレンディラの市場っていうと世界でも五本の指に入る大市場だからあとで一度立ち寄ろう」
規模はかなり大きいらしい。これから待ち受ける戦争地帯への突入を、アルヴィンは今完全に忘れていた。
正午過ぎ、巨大な門が正面に見えてきた。
「アルヴィン、自由都市エレンディラだ」
門の両側にはずっと先まで続く城壁。アルヴィンがこれまで見たどの街よりも巨大な都市だ。門の両側には門番の詰所があり、ひっきりなしにやってくる馬車や通行人の受付に追われていた。2人も例に漏れず通過の列に並ぶ。手際よく通行人の処理をする門番たちが見える。
「あんたたち、ずいぶん軽装だけど交易できたんじゃないのかい?」
前にいた小太りでスキンヘッドの男が声をかけてきた。荷をたくさん積んだ荷車を引いている。
「あぁ、我々は考古学者でね。これから南に渡る所なんだ」
「そいつぁ俺はおすすめしないねぇ。南じゃいまは各地で農民反乱に追われているらしいじゃないか。治安は最悪、シィリフの街もすっかり荒れちまって交易どころじゃないらしいぜ」
二人が思っているよりも状況はかなり悪いようだ。しかしここまできたのだ。いまさらロランの気持ちは動かない。
「忠告はありがたいが、我々は行かなければならないんだ。どうしても」
決意のこもった目で男を見つめた。
「どうやら本気なようだな。ただ、行くなら気をつけていけよ。ここで会ったのも何かの縁だ。俺の積荷ん中から好きなの一本ずつ持ってっていいぜ」
そう言うと男は荷車にかかった布を取り去った。
「うちの槍はみんな上物だ。ちょっとやそっとのことじゃ折れねぇし、並みの盾鎧じゃ防がれねぇよ」
確かに男の言う通り穂先は鋭くとがり、柄は頑丈そうな黒く艶のある木材が使われている。
「だけどこれ、かなり値が張るんじゃないのか?それを二本も…本当にいいのか?」
「さっきも言ったろ。これも何かの縁だ、ここで話したやつが死んだら何となく気分悪りぃじゃねぇか。次に会った時には正規の値段でこいつを買ってくれよな」
何と男気に溢れる男か。ロランは心からそう思った。商人とはなかなか自分の商品をただで人に譲ることはしない。もちろんこの男も、商人である以上損になることはしない。が、この槍をくれたのはロランたちへの投資なのだろう。ロランたちが、生きて帰り、新たな販路を持ってきてくれるという希望が含まれているはずだった。
「私はアンカーソンヒルのロラン、こっちは助手のアルヴィンだ。あなたの名前を是非教えていただきたい」
「俺はガルツィオのヴァンデダイン。ガルツィオ特産の武具防具を売る交易商だ」
「あなたの名前は決して忘れない。この度が終わったら必ずガルツィオに立ち寄るようにしよう」
心に誓った。ガルツィオのヴァンデダイン、ロランたちはまだガルツィオを知らなかったが、世界に名を轟かす大工業都市である。今後の楽しみがまた1つ増えたと、ロランは微笑んだ。
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