浪人生だって恋がしたい!

手垢

第1話 もう恋なんてしないっ!

 恋愛なんてクソだ。殊、俺みたいな陰キャが誰かと『恋仲』と呼ばれる関係になったからと言ってどうせ振られて終わる、新しい男ができて終わる、自然に消滅して関係が無くなっていく。そういうものなんだって分かっていたはずじゃないか。


たとえ向こうから告白されていたとしても?


その告白が本心であるという保証は?確かにその時は何か間違いで「恋愛感情」と錯覚してしまうような何かを感じていたのかもしれない。だが、鏡を見て、己を振り返ってみて、どうだろうか?誰が俺なんかに魅力を感じるのだろうか。無いんだ。あるわけの幻想と虚構の時間が俺の辞書における「恋愛」であると、確信した。俺の辞書がそのように改訂されてから2週間も経つのか―


 ふと我に返ると、もはやどこを説明しているのかわからなくなってしまった解説を文字に起こしていくチョークの音と、それに応えるように走るシャーペンの音がじわじわと広がって知覚されていくのがわかる。おもむろに講師がマイクに声を乗せる。 


「……君たちはね、去年も受験勉強というものを経験してきたわけです。これくらいの問題で逐一板書を映しているようではね、いくらGW手前といっても、問題があるわけです。ではね、続きを解説していきましょう……」


 少し、では済まないほどの毒の効いた前置きをしてから数学の問題の解説をしていく教師のオーラに教室の空気がピリッとなる。先ほどまで上の空だったその青年も慌てて、皮肉にも「板書全て」をノートに写し始める。


 一回の授業では多くても二問までしか解説しないのだが、そのスピードに生徒たちはあっという間に過ぎていく時間に焦りを覚えつつ毎日の浪人生ライフを送っていた。毎日6コマ以上ある授業に加えて、土日の模試や提出課題、予習復習に追われていた彼らは、黒板絵を見るために顔をあげるたびに、疲労の色を見せていた。あっという間に午前の4コマが終わると束の間の休憩時間が訪れた。昼休憩だ。生徒たちにつかの間の休息、主に精神的なそれが訪れた。自身の机でもくもくと弁当を食べる者、すでに出来上がったグループでにぎやかに歓談する者、意識高そうに数学の問題について話し合う者。過ごし方は百人百様である。


「かとう~、さっきの授業の最後の方のノート見せてくんね?あの人毒はくから、気ぃ取られてちゃんと取れなかったわ」

「ははっ、そんなのでいちいちメンブレしてたら一年もたなくね?」


 弁当を持って机に近づいてきた色黒マッチョに促されるようにコンビニで買ったサンドイッチと緑茶、それから数学のノートを持って、加藤環は黒マッチョこと、名倉聡と教室を出た。廊下に出ると、休み時間で陽キャの割合が多いのか、環らのクラスよりもにぎやかな隣クラスの教室を横目に、階段を上っていく。


 最上階のラウンジはなぜか人がまばらで、彼らのように少人数のグループで昼を過ごす人々にとっては恰好の穴場だった。扉を開けても下の階のようなにぎやかさはなく、むしろ足音がわかるくらいの静かさがあった。


 「今日は一段と静かだな」

 「雨だからさぼってるやつが多いのかもな」


 小声で話す声に数名が二人のぞんざいに気付き、こちらを見る。視線を感じつつも奥へと進み窓際に空いていた二つ並びの席に座った。


 「そういやぁさ、お前彼女と別れたんだって?」

 「何でそれ知ってるんだよ!?」


 環は動揺し、座りかけた椅子に躓きそうになった。


 「何でお前が俺の高校時代のこと知ってるんだよ」

 「え、だってこの前二者面談あったじゃん?その時、明美ちゃんが話してくれたんだよ。『加藤君はもしかしたらとっても落ち込んでるかもしれないからぁ、友達として元気つけてあげてくれると嬉しいですぅ』ってな。」

 「だとしても、明美ちゃんがそれ知っていることが、また問題になってくるんだが?」


 名倉の似ていないモノマネでもわかる、ゆるふわっとした雰囲気がクラスの一部の男子の性癖に刺さっているクラス担任、木村明美には何の悪気もないことに、むしろ不審に思うこちらが罪悪感を抱いてしまうのには納得がいかなかった。が、その可愛さに免じて今回だけは許そう、そう諦めかけていた。


 「問題って、いうほどかぁ?別に恋人の二人や三人知られたところで、お前みたいなモテ男にとっちゃあ大した問題じゃないっしょ?」

 「もうすでに二人は恋人いる前提の数え方には釈然としないが……、じゃなくて!クラス担任が生徒のプライベート知りすぎているのは普通にやばくないか!?怖くないか!?」

 「たしかに、俺が一日に何回シコってるのかとか、知られたらゾッとするわ、うん。これは裁判だな。」

 「もう、なんかいいよ……お前はもう飯食っていいから。ノートもほら、写真撮って返してくれればいいから」


 おにぎり片手に思考停止な回答が返ってくることに会話の壁打ち感を感じた環は、ノートを差し出してサンドイッチの袋を開けた。と、同時にスマホに通知が来た。



 

 佐山みのり  今度の土日って空いてるかな?




 突然のその連絡に環は驚き、びくりと背筋が伸びた。

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