アーミーアイドルは推されたい!
尾頭廡
第1話「高嶺ハナは推されたい!」
2023年、8月4日。ヒトサンマルマル。私は貴重な血税からなる国防予算を、みすみすドブに捨てていた。
「あ、あわわわわわ。どどどどど、どうしましょう、どうしたらいいんですか、じゅじゅじゅじゅ、准尉!」
東富士演習場の青空高く、もくもくと湧き登る積乱雲にまで届けとばかりに、とある少女の悲痛な叫び声が上がっていた。
「うむ。誰もいないな。では、どうしようもないし、これで自分がどうなるのかも十分に分かっているだろう、高嶺三曹」
大枚をはたいて設えた立派な野外ステージの上から見回すも、いるのはコンサートスタッフのみだ。そして、野外フェスらしく立ち並ぶたこ焼きなどの屋台では、食べられるものならなんでも美味しく調理してしまう陸自腕利きの糧食班の隊員たちが、暇を持て余している。
私の横で、ぺたんと尻もちをつき絶望している高嶺は、ぽろぽろと涙を落としているが、私とて泣きたいのは同じだった。
これは私のボーナスカットを意味しているのだ。今度のボーナスを推しアイドルの握手券付CDに目一杯注ぎ込む予定が、これでパーになったのだ。これは大の大人でも大泣きしていい理由になるだろう。
「そんな他人事みたいにぃ! どうするんですか、どうするんですかああああ、これええええ! 私、私いぃ!」
「うお。貴様、上官の胸ぐらを掴んでどうするつもりだ? 反逆か? 反乱か? いいのか貴様、軍法会議にかけちゃうぞ」
おおお。やめろ、首をがくんがくんと揺さぶるな。強化人間である貴様らにそんな事されたら、首もげる。
「そんなもの、いくらでもかけたらいいじゃないですか! だって私、次の出撃で確実に死ぬんですよおぉ!」
「それはそうだな。どうせ死ぬんだし、軍法会議なんか屁でもないか。はははははは」
「いやああああ! 何笑ろてんねん、きさん! ぬっ殺すぞうらああああ!」
「ぐあああああ! ちょま、死ぬ、ホントにやめ、死ぬから! ホントに死ぬから!」
「やだああああ! 死にたくないいいい! 推してえ! 誰か、誰か私を推してええええ! そして貴様は死ねええええ!」
高嶺に首を絞められ、私の意識は遠のいた。こいつ上官殺す気ですね。そんな私の視界に映るのは、迷彩服姿のコンサートスタッフたちの、冷めた表情ばかりだった。
新人アーミーアイドル、高嶺ハナ。突如として日本を襲った未知の生命体と戦う陸上自衛隊特務戦隊の隊員たちは、その為の装備を調える資金を、ドルオタたちの推し活によって得ているのだ。一応説明しておくと、ドルオタとはアイドルオタクの略である。そして、私もそれを自認している。アイドル最高イエー。
大不況によって防衛費の捻出が困難となった日本にとって、この想定外な敵の出現は、あまりにも⸺あまりにも、無茶な対応を強いられている。
准尉の肩書きを持つこの私が、アイドルのプロデュースをしているのが、それを如実に物語っているだろう。
これを考えた幕僚幹部たち、絶対頭オカシイ。
「准尉、高嶺三曹。お疲れ様です」
「ん? 遠山一曹か」
不意に後ろから声をかけられ振り返ると、そこにいたのは高嶺と同じ特務戦隊に所属するアーミーアイドル、遠山真也だった。180cmはあるスラリとした体型に、優しげな表情を浮かべて敬礼しているこの男は、高嶺と違い、特務戦隊の“エース“だ。
「シンヤあー……」
背筋を伸ばして敬礼する遠山に、高嶺はぎろりと一瞥をくれた。そしてふらふらと立ち上がる。
「ハナ。どうしたんだ、涙で顔がくしゃくしゃだ。鼻も出てる。ほら、ハンカチあるから、チーンして」
「るさい! どうしたもこうしたもあるかあ!」
遠山は、アイドルとしてあるまじき顔になっている高嶺にも、心から優しく接している。そんな遠山からハンカチを乱暴に奪い取った高嶺は、それで思い切り鼻をかんだ。
「荒れているね、ハナ。ヒトサンマルマルはもう過ぎているし様子がおかしいので来てみたんだけど。機材トラブルかな? それとも、お客様が一人もいないから、送迎で問題があったのかな? でも、何があったとしても、俺が手伝うから、何でも言ってくれ。ハナは大事な同期の一人なんだから」
「ぬぐぐぐぐぐぐ……」
高嶺は鼻水でしっとり濡れたハンカチを、唸りながら遠山の胸に押し返した。
いいやつなんだよなあ、遠山。イケメンだし有能だしアイドルとしての素質が高い。ファンも多いし、そりゃ高嶺と同期なのにエースにもなっちゃうわ。
だからこそ、高嶺としては、本当の事は言いたくないよな。本人的にはライバルだと思っているわけだし。しかし、俺は鬼軍曹ならぬ鬼准尉。ここはあえて言わねばならん。
「うむ、心配してくれてありがとう、遠山一曹。しかし、トラブルは何も無い。だから安心してくれ」
「え? しかし、なら、なぜお客様が一人も?」
「単に人気が無いだけだ」
「あーーーーーーーーーっ!」
高嶺が慌てて俺の口を塞ごうと手を伸ばしたが、時すでに遅し。音速拳の異名を持つ高嶺でも、気づくのが遅れれば間に合わん。
「冗談ですよね?」
遠山がにこりと微笑んだ。本気で冗談だと思っている。
「がはっ」
高嶺が吐血した。こういう時、遠山の純真さはもはや凶器だ。
「本当だ」
私は決め顔で答えた。
「いやしかし、次の出撃は、かなり装備を固めないと、まず間違いなく死にますよ? 今回のフェスは、俺たちみんな命懸けで……」
遠山の顔からさーっと血の気が引いてゆく。
「ああ。もちろん、それは高嶺とて同じだった。が……」
俺はくいっと眼鏡を押し上げ、
「結果はこれだ。なぜだろう? 顔かな?」
と、冷静に分析した。
「コロス!!!!!」
「ぐああああああ!!!」
ら、高嶺に本気で腹を殴られた。そして血ぃ吐いた。
これ、最新のリキッドアーマーを制服の下に着込んでなかったら、間違いなく内蔵全部破裂してる。着てて良かった、と思いつつ、俺はその場に崩れ落ちた。
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