第3話




「……そりゃ、木崎きざきに同情するわ。」

つい先程までの数学準備室でのやり取りを話せば、僕の友人二人は少し困ったように笑った。



ふぁ、と漏れた欠伸と共にぐーっと腕を伸ばす。春眠暁を覚えずなんて言うけれど、ここが校舎の屋上なんてコンクリートの硬い床じゃなかったらこのままゴロンと横になりたいくらい今日は春を感じられる暖かな日だった。

ふぁ、と僕の欠伸が伝染したのか、目の前の二人の口からも小さな声が漏れる。

いつもの三人で、いつものように購買でパンを買ってお昼ご飯。ちょっと邪魔が入ったけど、ご丁寧に待っていてくれた友人二人と無事合流した僕は、二人をとっておきの場所へ案内することにした。

たまには違う場所で食べたいというリクエストに応じてここに来てみたのだけれど、今日は風も優しいし大正解だったみたいだ。

職員棟四階にある数学準備室からさらに階段を登った先。この場所は僕のとっておきの場所だったりする。自慢の黒髪が日に晒される夏場や寒い冬には使わない、今の時期だけの特別な場所。穴場中の穴場なここは、僕ら以外の人間はいないし静かで快適だ。

ふぁ、僕の口からまた欠伸が漏れた。

「しっかし、人が少ない方がいいとは言ったけど、まさかこんな場所で昼食とは。」

「屋上で昼食なんて発想、誰もがやるわけよ。ドラマや漫画みたいに自分達だけの貸切状態でのんびりしたいと思ったら盲点をつかなきゃね。」

ぱちりと片目を瞬かせれば、隣で緑茶のペットボトルを傾けていた友人の口の端に苦笑が浮かぶ。

「……だからって、まさか職員棟の屋上とはな。」

クラスメイトであり、僕の幼なじみでもある櫻井色さくらいしき。いつも無愛想にへの字に曲がっているその口から呆れとも取れるため息が漏れた。

しきとは家が向かいだった縁で物心ついた時から一緒だった幼なじみだ。僕の行動なんてそれこそ十数年見てきたんだからいい加減慣れてほしいんだけど、いまだに僕が何かやるたび、ただでさえ怖い顔してるその眉間には深いシワが刻まれ、ため息が漏れる。

まぁ、最近ではその表情も随分と柔らかくなった気がするけど。

「いいじゃない。なんだか秘密基地みたいで僕は楽しいな。」

隣から聞こえた言葉は、一瞬で色の眉間から険しさを抜いた。

優しい声音でいつだって場の空気を和ませちゃうのは美鳥飛鳥みどりあすかという人柄のなせる技なんだろう。こんな場所でも姿勢正しくサンドイッチを頬張っている彼は、この彩華高校で知り合った僕の大事な友人だ。こちらは色と対象的にいつもにこにこと物腰柔らかな笑みを浮かべている。

「この学校は広いもんね。まだまだ僕の知らない場所があるんだろうな。」

色も飛鳥もまだこの学校にきて一年たっていない転校生だ。

こうして話している分には二人ともどこにでもいる普通の高校生なのだけれど……実は、それぞれに特殊すぎる事情を抱えた人達だったりする。

だからこそ、人目を避けてのランチタイムなわけだ。特に飛鳥は、実は校内のみならず全国的に顔を知られてしまっている有名人。何処へ行くにも常に好奇の目で見られるというのは、ちょっと可哀想だなと思う。

まぁ人目を避けたい理由は、ほかにもあるんだけど。


「飛鳥、」

ふと、色の手が飛鳥の髪に伸ばされる。

クォーターで色素の薄い飛鳥の亜麻色の髪を、色の指が優しく撫ぜた。

突然のことにびくりと身を竦ませた飛鳥は、けれどなんの抵抗もせず身を任せている。

肩まで伸びた飛鳥の髪を優しく一撫ぜして、色の指が亜麻色から薄桃色を一欠片つまみ上げた。

「どこでつけてきたんだ?」

桜の花びらを手に優しく口元をほころばせた色に、飛鳥の頬に僅かに赤みがさす。

「あ、さ、さっきの体育の時かな。僕、当番で体育倉庫までボール片付けに行ったから。」

「あ。……あー、そういやあそこの桜早咲きだったな。」

照れて俯く飛鳥の態度につられて色の頬にも赤みがさす。もう春だよななんて誤魔化すように呟く色にはため息しか出ない。

うん、これを人前でやられた日には大問題だ。そうなればまた飛鳥は取材陣に取り囲まれることになりかねないし、色は色で世に隠してる自分の正体がバレる危険性があるというのに。

友人から恋人へと関係を変えた二人は、オンオフでの距離感を模索中らしい。僕にできることは、こうしてなるべく人目につかないような場所を提供してあげる事くらいだ。

特殊すぎる事情を抱えた二人は、それ故に惹かれて、不器用ながらも距離を縮めて今に至る。二人の友人として、それは嬉しい事のはずなんだけど……

僕はメロンパンを頬張りながら、チラリと色の顔を盗み見る。

わざとらしく咳払いしながらなんとか平静を装おうとしているが、少し目尻の下がった視線は飛鳥へ注がれ、口の端が緩んでいるのは丸わかりだ。

十数年近くにいた僕には一度だって見せてくれなかった優しい表情。そんな瞳で僕を映して欲しいってずっとずっと望んでいた視線が、飛鳥へと注がれている。

無意識に、重い息が漏れた。

「どうした、ため息なんて。」

「いや、……三者面談憂鬱だなぁって。」

色は知らない。僕が、つい最近までどんな思いで色を見ていたのか。

この朴念仁はきっと一生気づかない。

二人の事は大好きだ。

それでもまだ、時々僕の胸はちくりと痛む。どうやらどこかに小さな棘が刺さったままらしい。

ちゃんと諦めて、友人二人の恋が実った事は嬉しいと思っているのに。時折胸に感じるこれは、多分きっと寂しさだ。


こんな時は何故だか決まって数学準備室でカフェオレ飲みたくなるんだけど……

先程の数学準備室でのやり取りが脳裏をよぎり、僕は二人に気づかれないよう小さく息を吐いた。



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