第2話





「で、藍原晃あいはらあきら君。これは一体どういう事か説明願おうか?あ?」

突きつけられた用紙に、僕はため息で答える。

どういう事かと聞かれても、書いてある事以上でも以下でもない。

「何で第一志望が近所の公立大学で、第二、第三が国内最難関なんだよ。滑り止めの意味わかってんのかてめぇは。」

「第一志望を落とすなんてありえないから別にあとはどこでもいいっしょ?」

「よくねぇ!」

バンッ、と先生は手にしていた進路希望調査書をデスクに叩きつけた。

「前回の全国模試でお前上位だったんだぞ!何で第一志望がここなんだよ!」

ぎ、と睨みつけられても僕の考えは変わらない。

確かに前回の模試の結果は、国内最難関の大学でも合格圏内に入るくらいにはよかった。だけど、僕にとって重要なのは大学の偏差値でも格式でもない。

「そこが一番かかる費用が安いからだよ。地元入学者は入学費半額なんだもん。」

正直に告げれば木崎先生の眉間のシワが深さを増した。

「特待生として授業料免除してもらってるから、恩返しにちゃんとレベルの高い所も受験するよ。だけど、実際そこに通う意味も価値も僕にはわかんないから。」

狭い準備室に、先生の重いため息が響く。

「……なんでだ。お前、父子家庭とはいえ親父さん外資系のいいとこに勤めてんだろ。金銭を気にする必要なんてないだろうが。」

答えに詰まって、僕は無言で手にしていたカフェオレのカップを傾けた。

先生の言う通り、僕は多分世間一般でいう所の裕福な家庭なんだと思う。周りの友人が規格外なせいであまりそういう感覚はないけど、両親が離婚するまでは都内の高級住宅街に住んでたわけだし、十七年生きてきた中で金銭的に困ったことはありがたいことに一度もない。

……でもそれは、僕自身の力じゃないから。

ちらりとカップから視線を上げれば、僕を見つめる瞳と視線がぶつかる。

正直あまり話したくないけど、多分先生は許してくれない。

普段めんどくさい事はやりたがらないくせに、生徒一人一人をちゃんと気にかけてる。木崎総士きざきそうしという人はそういう人間なんだ。

「……大学は、親の力を借りたくないんだよ。奨学金借りて、自分の力で行くつもりだから。」

本当は高校だって自分一人で何とかしたかった。それでも子供の僕は、特待生として全寮制のこの彩華高校に入る事が限界で、寮費等々は父親の世話になっている。

「……親父さんと上手くいってないのか?」

「逆だよ。すごく良くしてもらってる。……だからこそ、早く自立してあげたいんだよ。」

最終的に自分一人で生きていけるだけの稼ぎのある職につければ、大学なんてどこでもいい。地位も名声もいらない。僕が欲しいのは問題なく一人で生きていける程度の生活力だ。

「とにかく、成績は申し分ないし、学校に不利益があるような事はしてない。問題ないと思いますけどー?」

「お前な、」

ダンっ、と手にしていたマグカップを、わざと音を立ててデスクに置いた。

「高望みしてるならまだしも、どこの大学に行けとか、一教員が生徒のプライベートに踏み込んでくるわけ?」

「な、」

じ、と真っ直ぐにその目を見て、僕はわざと意地悪な言葉を投げかけてやる。こう言えば、この人は何も言えなくなるってわかってるから。

案の定先生は口を噤み、ぐっと奥歯を噛み締める。

「……まさかとは思うが、失恋して自暴自棄になってるわけじゃねぇよな?」

「いくらなんでもそこまで馬鹿じゃありませーん。彩華に入学する時からそう決めてたんだよ。」

笑ってそう言ってやれば、僕の意思は固いと悟ったんだろう。先生はくそっ、と吐き捨ててそのくせっ毛を掻き乱す。

僕は再びデスクに置いていたマグカップに手を伸ばして、残っていたカフェオレを全て飲み干した。

「で、お説教は終わり?まだ何かある?」

悔しそうな唸り声が聞こえるばかりで先生からの反論はないようなので、僕はカップを置き、にんまりと口角を上げて席を立つ。

「じゃ、僕はこれで失礼しまーす。」

話はこれでおしまい。

昼休みはまだ始まったばかりだし、友人達に合流しようと踵を返そうとしたのだけれど、

「藍原、」

無言のうちにのびてきた手が、僕の手首を掴んだ。

「ちょ、」

振りほどこうとしてもビクともしない。先生はぎゅっと僕の手首を掴んだまま椅子から立ち上がり、一歩距離を詰める。

呼吸を忘れるくらい真剣な眼差しに射抜かれて、僕は思わず息を飲んだ。

「な、なに。」

逃げられない。

掴まれた手が、熱い。

「……今日のところは言い負かされといてやるよ。けどな、親のためとかそんなんじゃねぇ、が何をしたいのかちゃんと考えとけ。」

視線と共に真っ直ぐに投げられた言葉は、ぐさりと心臓に突き刺さった。

見透かされてる。

悔しいけど、何も言い返せない。

「春休み、三者面談やるぞ。親父さんに予定空けてもらえ。」

「……わかった。」

それ以上何も言えずに逃げるように視線をそらせば、痛いくらいに掴まれていた手が解放される。

僕は悔しさからぎゅっと拳を握りしめて……

ダンっと思いっきり目の前の足を踏みつけてやった。

「ってぇ!藍原、てめぇ何すんだ!」

「ふーんだ。」

掴みかかろうとしてした先生の手をするりとかわし、べーっと舌を出してやる。

木崎総士という火山が完全に噴火する前に、僕はデスクの上に置いていた菓子パンの袋を手に逃げるように数学準備室を後にした。





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