第21話

 ランナーが三塁にいる場合一番気をつけたいのはバッテリーミスだ。パスボールはもちろん、ワイルドピッチ、ボークは絶対にやってはいけない。つまり三振を取ったり、ゴロを打たせたりするときに使う低めの縦の変化球が投げにくくなるのだ。そうなると自然にストレートを投げざる終えない。バッターとしては、的が絞りやすく外野フライでもいいのだから気楽なものだ。


 ピッチャーは一塁ランナーを捨てクイックモーションではなくセットポジションから三塁ランナーを目でけん制して足を高く上げて投げた。ストレートの威力を上げることを選択したのだ。真咲はそれを見てゆうゆうスタートをきる。りかこもそのことを読んで初球を見送ると駿台学園の選手は思っただろう。否、りかこは直前になってバントの構えにスイッチした。意表つかれ慌てて前進する内野手をりかこはあざ笑うように一塁側にバントをした。その瞬間にソヒィーがスタートをきった。


「セーフティースクイズ!」


 セーフティースクイズは、通常のスクイズより三塁ランナーがアウトになるリスクが少ない。スクイズはピッチャーが投球モーションに入った瞬間三塁ランナーがスタートを切るため、バッテリーに外されたらバッターがボールに当てない限り挟殺プレーになることがある。その点セーフティースクイズはバッターがバントしてから走り出すので外されても本塁と三塁間で挟まれることはない。


 このプレーの成功の鍵はバッターが確実に一塁側にボール転がせるかにある。なぜ一塁側かというとサードはランナーとの距離が近い分走ったと同時に気がついて前に詰めることができるがファーストは三塁ランナーの動きをサードほど注意深く見ることができない。


 ましてランナー、一、三塁で自分自身もベースについているので反応するのが遅くなる。


 この一瞬のプレーにはこれほど緻密に計算された意味がある。野球というスポーツは打つ、投げる。のほかにいろいろな戦術がありレベルが高くなればなるほどその意味や狙いを事細かに理解しなければならない。


 相手のファーストがボールを取った時にはソヒィーはホームにスライディングをしていて真咲も二塁に到達していた。諦めてボールを一塁に送りワンアウトでなおも二塁の得点チャンス。


「りかこやったね。ナイスバント」


 翔子のハイタッチを受けたりかこはベンチに置いたグラブを手にして、ベンチを見回す。


「咲坂キャッチボール付き合いなさい」


 その声に背中をびくつかせた久留実はダメもとで聞こえないふりをしたがそんなことはお構いなしでりかこはこちらに近づいてきた。


「聞こえないの? キャッチボール付き合いなさい」


「は、はい!」


「聞こえているなら一発で反応しなさいよ、まったく」


 不機嫌になったりかこのボールをビビりながらボールを受ける。


「ちょっと、もっといい音を鳴らしなさいよ」


「す、すみません」


 グラブの芯で捕球しなければ、グラブは乾いた音を鳴らしてくれない。先ほどからグラブの芯を意識して捕球しているのだが、一向に上手くいかない。


 ――というか手元で変化してない?


「もういいわ、ありがとね」


 そう言うとおとなしくベンチに戻っていく。

 

 最終回のマウンドにはそのままりかこが上がった。上位打線から始まる駿台大学の攻撃は逆転しようと意義込んでいる。


 しかし平常心が失われればりかこの投球術にはまるのは目に見えている。低目をついたていねいなピッチングで二番、三番を抑えると最後のバッターをどう締めるか脳内でシュミレーションしている。イメージがつかめたのか投球モーションに入るコースはど真ん中。


 バッターはしめたとばかりにフルスイング。ヒットを覚悟する鋭いスイングだったが打球は上がらず痛烈なゴロになりショートを襲う。しかし名手ソヒィーが難なくさばいてゲームセット。


 最後の球はストレート? バッターの打ち損じにしては妙だった。


 整列が終わってバッテリーで話をしているりかこに久留実があの球の正体を尋ねるとなぜか翔子が快く教えてくれた。


「あの球はツーシームって言ってバッターの手元で少し変化する球よ」


「じゃあ変化球ですか?」


「そうとも言うねでもメジャーリーグではストレートに数えられている球種だね」


 りかこは翔子に喋りすぎと注意する。


「まぁあなたには必要のない球よ、三振が取れるあなたにはね」


 そう言うとりかこは荷物をまとめてダックアウトに消えた。


「りかこは、ああ言いながら久留美を認めているわ。彼女は人一倍不器用なだけなの。気を悪くしないでね」


久留実は「分かりました」とだけ言うと帰り支度を始める。場内アナウンスが光栄大学の勝ち点を報せている。


☆☆☆


「お互いに勝ち点一ずつで対戦できそうね。りかこ」

 ベンチを出るときに誰かの視線を感じて振り返ってバックネットを見た。胸のエンブレムに慶凛と書かれたジャージを着た女の人がこちらを睨んでいた。 







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