第5話祈り続けた再会なのに

 真藤と加織とは店の前で別れて、オフィスには戻らず、ひとり電車に乗って会社のサッカー部の寮に向かい始めてようやく、真藤が自分に言いたいことがあったようだが、それは何だったのだろうかと、そのようなまともな思考が戻ってきた。

 自分では関係ないと言いながらも、やはりどこかで真藤のことが気になっていて、のぼせていたのだろうか。

 ダブルシーケンスシステムの情報が漏れている可能性があることを伝えたかったのならば、なぜ加織も同席のままで話してきたのだろうか。それとは別の話があったけれど、何かが気になって話すことを止めたのだろうか。いや、それにしても、あの社外秘の情報を、たとえ意味がまったくわからなかったとしても、加織の前で話したということは、加織に聞かせたかったのだと思うほうが正しいのではないのか。これまで一緒に仕事をしてきて知っている真藤という男は、そういう部類の男だと認識している。

 軽々に誰かに気を許したり、うかつな話題を時と場所を選ばずに口にするような男ではない。

 あの話を加織に聞かせて、何がしたいのだろうか。その目的は何なのだろうか。いくら考えても、答えにつながる糸口すらみつけられなかった。

 サッカー部の寮までは私鉄で3駅の距離しか離れていない。ぐるぐると、とりとめもない思考が頭の中を巡っているうちに目的の駅についた。

 このような場合も、梅はいかにも男前だ。もうそのことをぐじぐじ考えることを止めてしまった。


 寮に入って、真っ先に管理人のおばちゃんである目黒さんのところにむかった。この時間ならば、食堂で仕込みの真っ最中のはずだ。

 思ったとおり目黒さんは厨房で作業をしていた。

 箱根駅伝で話題になった寮母さんは美人で評判になったけれど、残念ながら豆狸そっくりで老け顔の目黒さんは、そっち系では話題になれないタイプだ。けれどもやさしさならば、日本一だと梅は思っている。

「ああ、梅ちゃん。早いね。新人さんのことだろ」

 目黒さんはすぐに梅に気づいて言葉をかけてきた。

「そうそう。15時に入寮予定なんでしょ」

「だったらしいけど、もう入寮は済まして、今はグラウンドに行ってるよ」

「グラウンドに行っても、誰もいないでしょ、まだ」

「わたしもそう言ったんだけどね。早くグラウンドが見たいからって言ってたよ」

 なんだ新人さんは、加織の情報とはかけ離れたいい動きをしてるじゃない。早く、グラウンドを確かめたいって、やる気満々じゃないの。とってもいい傾向だわ。

「まだ居るかな」

「そりゃ居るだろうよ。たった今出かけたばかりだからさ」

「どんな人?」

「どんな人って?」

「印象ってものがあるでしょ。イケメンとかブスメンとかさ」

 目黒さんは作業の手を止めて、目をまん丸にして梅に近づいてきた。

「こりゃ驚いたね。堅物の梅ちゃんがどういう風の吹き回しだい」

「何が?」

「イケメンかって聞いたんだろ。イケメンだったら恋人候補にでもするつもりなのかね」

「何をバカなことを言ってるの。性格とか運動能力だとか、そういう意味よ」

 加織の情報があったからか、ちょっと聞く方向がおかしかったかな。

「梅ちゃん、初めましてのあいさつをしただけのお兄ちゃんの性格が読み取れたりなんかしたら、あたしゃ超能力者だわ。さらにその上に運動能力なんてものが分るなら、そいつは占い師か悪魔の使いか何かじゃないかい。きょうの梅ちゃんはちょっとおかしいよ」

「あっ、うん」

 確かにきょうのわたしはどうかしてる。どうしてこんなことになっちゃったんだろ。

「目黒のおばちゃん、ごめん。ちょっと色々あって。でも、その色々は今は話せないんだ。それもごめんなさい。とにかく、わたしもグラウンドを見てきます」

「ああ、それがいいね。風がいい感じに吹いてるから、頭も冷やせるだろうしね」

 わたしのほうが悪いんだけど、それでも一言余計だわと思いながらも、梅は、

「よし。がんばって走って行きます」

 と元気な声を出した。


 グラウンドに着くと、ひとり、サッカーボールでドリブルをしている男性が居た。

 あれが新人なのだろう。と思った瞬間に、あっ、と声が出た。

 まちがいない。牛乳配達の、あの少年だ。もちろん大人の男性にはなっていたが、目元の感じとか、筋肉はついたけど体のラインとか、間違いようがなかった。

 高速シザースからマルセイユルーレット。ダブルタッチからの加速。まるで磁石か何かで吸い寄せられるように、ボールが足から離れない。フットワークも見事でスピードもある。梅には男性の前に立ちはだかるディフェンダーの姿がはっきりと見えた。そのディフェンダーたちを素早く切り裂いて、見事なターンから前を向いたと思ったら、小さな足の振りでシュートを打った。飛び出したゴールキーパーを嘲笑うかのようなループシュートが見事に決まった。まるでサムライブルーの選手のようだ。

 梅は思わず拍手をしていた。

 それに気づいた男性がこちらに近づいてくる。サッカーボールをリフティングしながらも、こちらを値踏みするような視線が梅に絡みつく。笑みを浮かべているのだが、なんだか蛇に睨まれているような気持ち悪さを感じる。

 どうしちゃったの、わたし。本当に変だわ。長く夢見ていた奇跡が起った瞬間なのに、もっとこみあげるようなうれしさを感じるはずなのに。

 男性は梅の目の前にやってくると、

「花咲梅さんですか」

 と訊いてきた。

 どうしてわたしの名前を知っているの。でも、

「花咲ではなくて、ややこしい華の字と咲くで、カザキですけど」

 と男前に、きっぱと言ってやった。

 男性がぷっと吹き出した。くっくっと口を閉じたまま笑ってから、

「本当に教えられたとおりの反応をする人なんですね。こいつはおもしろいや。僕は城田弦です。きょうからこちらのサッカーチームに加入させてもらいました。トップ下が得意ですが、センターバック以外なら、どこでもやれます。ということで、華咲梅さん。色々と僕のこと、知りたいですよね。お近づきの印に、今夜あたり、ちょっと寝てみませんか」

 と立て板に水の調子でのたまった。

「いやいや、わたし、不眠症じゃないし。夜になればもちろん寝ます」

 またまたきっぱりと言い切ってやった。

 弦は、カッカッカッと笑い声をさらにパワーアップさせてから、

「いやいや、これも教えられたとおりの反応だな。本当におもしろいや。しばらくは退屈せずに済みそうだ。てことは、梅ちゃん、まだバージンなの?」

 と顔を覗き込んできた。

「へっ」

 自分のことながら間抜けな声が漏れた。顔が火照ってくる。それは、間抜けな声を漏らしてしまったからか、目の前の弦にからかわれたからか、本当のところはわからないけれど、かなり強烈に火照ってくる。

「いやー、見事に咲きましたねぇ。さすが梅。紅も鮮やかだ」

 紅潮した顔をからかうなんて、最低の男だ。でも、奇跡の少年でもある。

「ちょっと、あなた、なんですか。不真面目過ぎます」

 梅の中に、もくもくと不満と怒りがこみ上げてくる。

「不真面目ってことはないでしょ。まだ練習時間でもないのに個人練習してるくらいなんだから」

「そりゃ確かにサッカーのほうは見違えるくらいうまくなってるけど、心の方は腐っちゃったのね」

「ほほう。僕のプレーを見たことがあるって口ぶりですね。インターハイのときですか」

「何言ってんの。河川敷時代よ」

「河川敷? なんなの、それ。わけ、わかんないわ」

 誤魔化して嘘を通そうとする態度が、さらに梅の不満と怒りに純度の高い燃料を投入してしまった。もう一歩も引く気はない。とことん問い詰めてやる。

「牛乳配達してた頃よ」

 弦の顔から笑みが消えた。背筋を冷たいものが登っていくほどに冷淡な視線に変った。

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