克服
Zarvsova(ザルソバ)
克服
ピンク色のウサギの着ぐるみを着た犯人は、部屋から出てきた支配人の首をカッターナイフで切り裂いた。飛び散る真っ赤な鮮血は着ぐるみの顔から腹にかけてを斑模様に彩る。
床に倒れ、喉からは詰まった排管のような音を出してそのくだらない人生を終えていく支配人を見下ろす斑模様のウサギの表情は子ども達に風船を配っていた時と同じで、相変わらず口元に微かな笑みを浮かべたままだった。
---------------------------------
まだ幼稚園に通っていた頃、サスペンスドラマで見たこのシーンのせいで私は着ぐるみ恐怖症になりました。
ウサギはもちろん、イヌやクマ、世界的に有名なキャラクターや地方のゆるキャラまでもその全てが畏怖の対象であり、自分の命を狙っているかのように思えてなりませんでした。
お祭りや遊園地では着ぐるみはサービス精神で小さな私に近寄ってくるのですが、その度にドラマのシーンがフラッシュバックした私が大声で泣き叫ぶので両親もさぞや手を焼いたことでしょう。
ただ、普通の男の子だった私はその後すぐ着ぐるみが現れるような場所には行かなくなりました。
時々テレビやスマホの画面に着ぐるみが映ることはありましたが、これはすぐに画面から目をそらして別のチャンネルに変えればいいだけなので対策は容易です。
しかし、困ったことになりました。
私も二十歳です。周りと比べて少し遅いのですが、初恋をしました。デートに誘ってみたいのですが、協力してくれる友人によると遊園地で絶叫マシーンに乗ることが彼女の趣味だというのです。
かれこれ十年以上、私は着ぐるみに近づいてはいませんが、もしも今、着ぐるみから風船を渡されたら?着ぐるみが握手を求めてきたら?抱き着いてきたら?
私は彼女の前であの頃のように泣き叫ぶかもしれません。
そんな情けない姿を彼女に見られるのは避けたい。何とか着ぐるみ恐怖症を克服したいと考えてスマホで「着ぐるみ恐怖症 克服」とそのまま検索してみたところ、意外にもその解決法はすぐに見つかりました。
私が見つけた心理学を分かりやすく解説しているサイト曰く、「人間は未知のものに恐怖を抱く。であれば、着ぐるみの中に入ってその構造を知ってしまえば怖くなくなる」
一見突飛な荒療治に思えますが、私のような極端な怖がりには、これくらい極端な方法がちょうどいいのかもしれません。
早速、友人に頼んで着ぐるみレンタルを申し込んでもらいました。着ぐるみレンタルのホームページには当たり前ですが着ぐるみの写真が大量に載っていて直視できなかったのです。
自宅に届いた巨大な段ボールを開けると、まず着ぐるみの生首と目が合って僕は叫びました。トラウマと対峙するため、あのドラマに出てきたものとよく似たピンクのウサギの着ぐるみを選んだのは流石に刺激が強すぎたかと後悔しました。
しかし、床に伏せながらも何か違和感を感じておそるおそるもう一度ウサギの顔を見ました。そうだ、このウサギの頭には耳が無いのです。
ウサギの特徴といえば言うまでもなく長い耳ですが、箱に収まりやすいように取り外しできる別パーツになっているようです。
この時点で私の心はかなり軽くなりました。そう、着ぐるみなんて所詮は人工物なのです。人間の都合に寄ってバラバラにされてしまうような。説明書にも主な材質はポリエチレンとウレタンと書いてあります。
頭と、ペッタンコの身体を箱から取り出します。箱の下にゴムバンドでまとめられた耳パーツを見つけたので頭に付けてやりました。
床に並べられた着ぐるみ。さすがに中身の無い着ぐるみが勝手に動き出す場面を想像できるほど私の想像力は豊かではないので、この状態であれば恐怖はさほど感じません。
誰も入っていない空っぽの着ぐるみの感触を指先や手のひらや頬で確かめたり、顔を埋めて匂ってみたり、抱いてみたりするうちに、これまで恐怖の対象であったそれが、まるで冬服の延長のようであるかのような感覚が芽生えてきました。
次は、いよいよ実際に着ぐるみを着てみます。
まずはボテと呼ばれる胸当てを体に付け、その上からつなぎを着る要領で足から着ぐるみの中に体を入れていき、次に腕を通しながら胸の部分が皺にならないよう整えます。
しかし着ぐるみの構造上、手が背中に届かず背中のチャックを一人では閉められません。やや半端な着方になってしまいましたが仕方がありません。
ウサギの足を履き(少し大きかったので中にタオルを詰めました)洗面所まで歩きます。想像通りに視界はほぼ前しか見えず、音も聞こえにくい。
ドアに数回ぶつかりながら洗面所の鏡の前にたどり着きました。
鏡を覗くと、私に恐怖を植え付けた原因と目が合い全身が震えました。それを纏っているのは自分自身であるという事実が分かっていても脳が本能的に拒否反応を起こし、呼吸が荒くなりました。着ぐるみの中から吸う空気のなんと薄いことか。
いや、しかし先ほどまで「それ」はただのポリエチレンとウレタンの塊だったはずです。
そして、それを着て鏡に映っているのは紛れもない自分自身。
鏡の中にいるのは殺人犯ではない。自分だ。鏡の中にいるのは殺人犯ではない。自分だ。鏡の中にいるのは殺人犯ではない。自分だ。鏡の中にいるのは殺人犯ではない。自分だ。鏡の中にいるのは殺人犯ではない。自分だ。鏡の中にいるのは殺人犯ではない。自分だ。鏡の中にいるのは殺人犯ではない。自分だ。鏡の中にいるのは殺人犯ではない。自分だ。鏡の中にいるのは殺人犯ではない。自分だ。
何度も唱えて意識と本能の擦り合わせをします。
鏡の前で佇み、どれくらいの時間が経ったでしょうか。
酸欠なのか頭が痛い。狭い洗面所ですが、なんとかウサギの被り物を外しました。
トラウマの中から出てきた自分の顔を鏡で見て、何故だか私は大声で泣いてしまいました。
荒療治のおかげで、それから私の中の着ぐるみへの恐怖はすっかり無くなったようでした。試しに着ぐるみレンタルのホームページを見てもなんとも思いません。
そこで、もう一つ私は苦手を克服することを思い立ち、友人に協力をお願いしました。
実は、私は女性が苦手なのです。
自宅に届いた巨大な段ボールを開けると、彼女と目が合って僕は叫びました。
あとは着ぐるみと同じように構造を確かめ、着てみればよいのです。
克服 Zarvsova(ザルソバ) @Zarvsova
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます