31、よろしいでしょうか、お姉さま?

 からんからんと入店音が鳴り響く。

 にゃんこ甘味店かんみてんに戻れば、京也の周りには見物客が集まっていた。まるで見世物ショーのようだ。


「へえ、ほんとうに続きだ」

「すごいなあ。続きがどんどん出来上がっていくぞ」

 

 桜子には、それが『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』の話だとわかった。

 周囲であれこれと言われているが、京也は聞こえている様子もなく執筆に没頭している。


「あ、二世乃にせの咲花さっかだ……」

 

 誰かが言えば、視線が集まる。心配になって、桜子は咲花の顔をちらりと見た。

 

「なにか文句があって? じろじろと見ないでくださる?」

 

 咲花は札束を扇のように広げて、強がるように顎を上げた。思わず桜子が「すみません」と謝ると、「あなたに言ったんじゃありませんっ」と言葉を返される。

 

「あっ、勘違いしてしまい、すみませ……」

「桜子さんったら。あたくしは、あなたをとがめたわけじゃないから謝らなくていいって言いましたの。人気の味噌屋さんのよう……でもね、おばかな子は可愛いって言葉もあるから自信をもちなさいな」

 

 けなされているような、励まされているような。悪意はない様子――桜子は頭をさげた。

 

「あ、ありがとうございます、お姉さま……?」

 

 人気の味噌屋さん、とは帝都で使われる流行語で、とある味噌屋さんが味噌を売り文句より少なく詰めて販売していたことが発覚した事件に由来する言い回しだ。

 「脳みそが本来あるはずの量に足りない」つまり「頭がわるいわね!」と言っているのである。

  

 そんな咲花を見て、周囲が内緒話をする。

 

「なあ、どう思う? あのお嬢様」

「他人の力で偉そうにしてるのって、よくないよなあ」


「……むむっ」 

 

 見物客の声に唇を噛み、咲花は離れた席に座った。

 

 桜子は成り行きを心配しつつ、仕事を再開した。

 中田夫妻から料理を受け取る耳には、咲子の負けん気の強い声が聞こえた。

 

「あ、あたくしにも実力があるって見せて差し上げますわよ」

 

 咲花が原稿用紙をテーブルの上に広げている。

 

「一応、来てみましたけど、間に合わない可能性がありますものね。あたくし、自分でも書けますの。やろうと思えばね! やらないだけですのよ。実力を見せてさしあげましょうっ!」

   

 お待たせいたしました、と料理を注文した客のテーブルに届けてお辞儀をしたとき、桜子には咲花の手が震えているのが見えた。


(強がっているんだわ)

 思えば、羅道にもそんなところがあった。プライドが高くて、他人の前で虚勢を張ってしまうのだ。

 

 見物客が注目する中、咲花は数秒間じーっと原稿用紙を見つめてから、文字を書き始めた。


「あ、やっぱり文章がぜんぜん違う」

「意外と違いがわかるものだなぁ」

 

 聞こえてきたのは、見物客の遠慮なき感想だった。   

 

「登場人物の一人称を間違えてないか?」

「ほんとうに他人に書かせてたんだ……へたくそ」


「く、くぅ……」 

 咲花の顔がれた林檎のように真っ赤になっているのをみた瞬間、桜子は『おお、大帝都にあやかしの旗は燃えて』を思い出した。ヒロインの友達がピアノを弾けと言われて、失敗する場面を。

 

 口をおろおろと開いて、閉じる。


 黙って見ているだけではなくて、なにかをしたい。そうすることで、状況を変えたい――そんな想いがふつふつと自分の中から湧いてくる。

 

 自分の変化を自覚して戸惑いつつ、桜子は声をあげた。

 

「あ、あのう。わ、私も書いてみようかな……と思うのですが。よろしいでしょうか、咲花お姉さま?」

「え? い、いいですわ。もちろんよ」


 咲花はどこか安心した様子で自分のペンを置いた。そして「まずは、なんでもいいから書いてごらんなさい」と言った。

 

 原稿用紙とペンを用意してもらってから、桜子は周囲を見た。

 

「み、みなさま……私も、書きます……なにかを」 

 

 その場の思い付き。衝動。そうとしか言えない自分の声に自分で驚きつつ、桜子は原稿用紙に向かい合った。


「なにかってなんだよ」

 

 ごもっともです、と言いたくなるような疑問が投げかけられる。桜子は「考えていませんでした」と正直に告白した。すると、咲花は面倒見のよいお姉さんぶって笑い、「体験を書いてみるのはいかが? 学校のことですとか」と助言してくれる。


「学校、ですか」

 

 桜子は眉を寄せ、うーんと考えてから文章を書き始めた。

 

『なにやら頭の頭痛がとてもひどく激しく痛いので、たいそうよく効くと評判の薬を、もしいただけるならいただこうと思って、私は決意して学校の保健室に向かったのですが、廊下は人が少なくて、窓の外の景色が夏らしく、一方そのとき保険の先生は』


「書けているじゃない。その調子ですわよ」

 

 咲花はそう言って、「あたくしも書きますからね」と自分のペンを動かした。 

 

「桜子さん、困ったことやわからないことがあったら、教えてあげてもよくってよ」

「はい、咲花お姉さま」

 

 自分でもなにを書いているのかよくわからないまま、思いつきを書いていく。

 

 客たちはそんな二人に微笑ましい空気を感じたようで、雰囲気を和らげていた。


「ふたりは姉妹なのか? 仲がいいんだなぁ」

「若い子の間では姉妹ごっこが流行ってるらしいぞ」

 

 桜子は、今までは周りにたくさん人がいるとき、自分に悪意が向けられて嘲笑ちょうしょうされることが多かった。周囲の人々が笑っているとき、自分も楽しい気分になれたことはあまりなかった。

 けれど、今のこの雰囲気は、なんだか楽しい。

 

「お嬢ちゃんお嬢ちゃん、頭の頭痛が痛いってのはひどいやあ」

「あ……ほんとうですね。直します」


 中田夫妻も、親のような顔で見ている。

 

「桜子ちゃんの文はどこまでも続くのねえ。……なにやら、とてもひどく激しく……すごく痛いのねえ、心配になっちゃうわぁ……」

「凄まじく痛いんだろうなあ」

 

 おかしな文章を書いてしまっているみたい。

 桜子は頬を染めつつ文章を見直して、「とても」や「ひどく」や「激しく」の上に訂正線を引いて続きを書いた。


「あるじさま、もみじもかいて~っ!」

 もみじがおねだりをしてくる声が、可愛らしい。桜子はもみじを喜ばせたくなった。


『保険の先生は式神のもみじとあそんでいましたが』

 と書き足すと、もみじは「もみじ、とうじょうした!」と大喜びした。

 

「ふふっ、私、もみじちゃんを喜ばせることができた」

「もみじ、うれしい」

「もみじちゃんが嬉しそうで、私も嬉しい!」


 桜子はにこにこした。

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