30、まるで、『エス』みたい

 ひらり、はらりと舞い降りる薄紅の桜を鑑賞しながら、桜子は団子を頬張った。甘くて、もちもちだ。美味しい。

 咲花はそんな桜子をお姉さんのような目で見て、指先で「あんこがついていますわよ」と教えてくれた。

 

「あたくしも、本は好きですの。あたくし、本名は津末つずえ花といいます。親類に津末ミサオという記者がいますの。その影響で文筆が好きで、作家になるのが夢でしたのよ。ポエムや短歌なども、たくさんつくりましたの。あなたは、ご自分でなにかをつくることがあって?」


 学校に通う女学生の中では、文芸活動は流行していた。

 とはいえ、桜子の人生は「働いて学んで寝る」という生活で占められていて、「趣味」の二文字なんて存在する余地がなかったのだが。


「二世乃先生、すみません。恥ずかしながら、私……たしなみがございません」

「そ、そう。あ、あたくしとあなたは違うもの。し、しかたありませんわね。でも、興味があったらこの『お姉さま』が教えてあげてもよくってよ……『先生』ではなくて、『お姉さま』よ。呼んでごらんなさい」

 

 桜子は咲花の言葉に『女学校では、先輩と後輩が姉妹のように呼び合うのが流行っている』のを思い出した。

 

(まるで、『エス』みたい)

 

 シスターの頭文字をとって呼ばれる『エス』は、血のつながりのない少女同士の耽美な関係だ。

 自分には縁がないと思っていたが、これはもしや、そういう関係の申し出ではないか。

 

(……なんて、大袈裟に受け止めすぎかしら)

 

 単に『年上だからお姉さまと呼べ』と言われただけとも解釈できる。


「よろしくお願いいたします、咲花お姉さま」  

「ふふ。妹ができたみたい。ねえ、桜子さん。あたくしね、自分ひとりで小説を書いていたときもあったのよ。でも、下手で」

 

 咲花はそう言って自分のことを打ち明け始めた。

 

「お父様がおっしゃったの。下手の横好きもいいが、結果が出ないなら結婚しなさい。次の文学賞に応募してだめだったら婚約するんだぞ、って」

「まあ……」


 咲花は自分が破った原稿をみて、西洋風の手提げ鞄から携行用の裁縫道具を取り出した。そして、針の穴に糸を通しながら、言葉を続けた。

 

「ね。他の応募者たちは、皆さん自分の実力で勝負なさったと思うの。ゴーストライターが代わりに原稿を執筆したのを内緒にして受賞したあたくしは、ずるをしたのよね。賞の価値や評価に対して疑念を抱く人々が出てしまいますわ」


 針に糸が通る。

 なにをするのだろう、と桜子がみていると、咲花は「原稿を」と手のひらを上にして原稿用紙を渡すようにと求めた。桜子が破れた原稿用紙を渡すと、なんと針と糸で破れたところを縫おうとしている。

 

「でも、でもね。考えてもみてくださらない? あたくしはわからなくなりそうですの。だって、他の応募者たちがゴーストライターを使っていないかどうかなんて、誰にもわからなくてよ。学校の試験みたいに一か所に集めて、試験監督が見ているところで書いているわけではないのですもの? それに、いったん作家になってごらんなさいな……」


 紙を針と糸で縫うのは、大変そうだった。

 穴をあけたところからびりびりとまた破れるのをみて、咲花は哀しそうな顔をした。

 

「にゃあん」


 ミケが「なにをやっているんだ」と問うように足元で鳴く。桜子はミケ用にミルクを頼み、目の前にミルク皿を置いてあげた。

 

「今度は、編集者がプロットに意見をくださったり、原稿をみて校正してくださったりしますのよ。複数人で会議をしたりもしますの。結果、ひとりで創るのでは出来上がらないものがあたくしの作品として出来上がりますのよ」


 そうする間も、えいえいと咲花は原稿と針と糸とで格闘しながら語る。


「――作品を最大限よくするために他の方の力を借りるのは、そう考えると悪いことではないのではなくて?」

 

 繊細で難しいことを相談されている――桜子は執事を見た。執事も悩ましげな眼をしている。


(え、ええ~~っ) 

「わ、わ、……わかり、ません、待ってください、考えます」

 

 考えたこともない問題で、桜子は創作なんて自分でしない人間なのだ。

 気の利いた言葉なんて、自分が咲花に言える考えなんて、あるわけがなかった。


 わからないと悲鳴をあげる一方で、桜子には「わからないで投げ出さずに、自分なりの考えを言った方が絶対にいい」という思いもある。

 正解でなくてもなんでも、時間がかかっても、自分の言葉を言うことが咲花というお姉さまと心を通わせようとしている桜子の誠意みたいなものだ――と、そんな気がするのだ。

 

「でも、お悩みのお気持ちは、わかる気がしました」

「わかるの、わからないの、どっちよ。もう」

「す、すみませんっ」


 足元でミケが「にゃうーん」と伸びをしている。もみじは小さな声で「さっかさんは、たんき!」と笑っている。


「咲花お姉さまは、『これでいいのよ、やったもの勝ちなのよ、なにが悪いの』とおっしゃることもできます。でも、そうではなくて『ずるをした』と罪の意識をおぼえていらっしゃいます。すごく真面目で、良い方なのだろうと思うのです」


 たどたどしく言葉を選んで思いを形にしていく。

 咲花は、桜子の真剣さが伝わった様子で言葉を待ってくれた。


「作品も、私が楽しんだのは、お二人の合作のようなものなのですよね。でも、ええと……結果、完成した作品はたくさんの方を喜ばせることができています。それに、誰かと協力してひとつのものをつくるって、素敵だなと思います」

「……十人の合作ですの」

「えっ、い、いっぱいいますね?」


 桜子が手を差し出すと、咲花は原稿用紙を返してくれた。原稿用紙を大切に抱えて、桜子は祈るように言葉を選んだ。


「私、作品を通じて、あやかし族に親しみを持ちました。人間とあやかし族が仲よくなれたらいいなって思いました。困っている友だちを助ける勇気を持ちたいと思いました。励まされました。癒されました……私以外にも、そんな読者はたくさんいると思うんです」 

 

 桜子は、好意と切望を声にこめた。


「その、ただ、『これはひとりの力で完成したわけではないんです』とは、言った方がよかったのかなって思いました、けど」

 

 桜子がそう言えば、咲花は蚊の鳴くような声で「ごめんなさい」と言った。そして、「ありがとう」と泣き笑いのような顔で付け足し、頭を下げた。


「あの……針と糸、お借りしてもいいですか?」

「ふ、ふむん。いいですけど」


 桜子は針と糸を借りて、咲花がおそらくしたかったであろうことをしてみた。


「あっ、す、すご、すごい」

 

 咲花がびっくりしている。びりびりに破かれた原稿用紙を糸で縫い合わせて、桜子は立ち上がった。


「京也様は、お仕事を成し遂げてくださいますし、ご機嫌を悪くなさったりもしません。読者さんのために、続き、完成させてください。咲花お姉さま!」


 手を差し伸べるときは、京也や犬彦を思い浮かべた。

 二人が味方だよと全身で伝えてくれるから、桜子はいつも嬉しくて、胸がぽかぽかして、元気が湧いてくるのだ。


 ……そんな風に、自分も誰かに嬉しさや、ぽかぽかや、元気をあげられる存在になりたい。

 桜子は、そう思った。


 

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