第30話あなたといるから楽しい

 日焼け止めの塗り合いっこが終わった。


「行こう、湊くん」


 俺の手を引いて青ちゃんが走り出すので、俺も遅れないようについていく。やれやれだぜって顔をしてるけど、内心嬉しいのは内緒だ。


 バシャバシャと海に入る青ちゃんが、俺に海水をかけてくる。


「ふべ!?」

「あははは」

「ちゃんとしょっぱい!」


 笑う青ちゃんは、にんまりと笑う。


「湊くん、こんなのもかわせないのー?」

「言ってくれますね……どうやら、俺の本気ってやつを見たいらしいですね……」


 青ちゃんが冗談っぽく煽ってくるので、俺も付き合ってそれっぽいことを言う。

 また海水をすくった青ちゃんが、俺にかけてこようとするので、シュバババ、と的を絞らせない動きで惑わせる。


「うわガチだ!」

「本気出したら出したで引くのやめてください。『遊びだったのにマジになんなよ』みたいな空気、良くないですよ」

「えい、えい、えい」


 パシャパシャ、と海水をかけてくる青ちゃん。

 正面から見ると、すくう瞬間は胸を寄せて前屈みになるので、谷間がより強調されていた。


「……」


 それに気づいてしまった俺は思わず足を止める。そのせいでパシャパシャと全弾命中した。 


「あ、あれ? 湊くん、大丈夫?」

「あ、いや、気にしないでください」


 俺は笑顔で手を振った。


 俺も青ちゃんに海水をかける。


「きゃ!? もー!」


 冗談ぽく頬を膨らませて怒る青ちゃんが可愛い。


 海水をかけあいするだけなのに、なんでこんなに楽しいんだ……?


「くだらないのに、楽しいね」

「俺も同じことを思ってました」

「バカップルみたい」

「なっちゃ……」


 なっちゃいましょうか――。

 口にしかけて押し留まった。


 もし青ちゃんが同じ気持ちじゃなかったら、この楽しい楽しい海水浴に水を差すことになる。

 大人の青ちゃんは、「楽しくてテンション上がってるから、勘違いしちゃってるんだよ、きっと」みたいなかわし方をしそうだ。


 風にさらわれそうになる髪を押さえる青ちゃんは、どこか遠くを見ていた。


「楽しいと怖くなるときってない?」

「……あります。死亡フラグっぽいというか」

「そうそう。急転直下の前触れみたいでさ」

「ホラー映画は、イチャつくカップルは大抵すぐ殺されますし」

「何それ怖っ。私たちじゃん」

「……」

「……」


 目が合って、何か言おうと思ったけど、お互い黙ったまま目をそらした。


「あ、売店あるんだ! わ、私、飲み物買ってくるね!」

「ああ、はい」


 青ちゃんはこの空気から逃げるようにして海から出ていった。


 あの間、なんだったんだろう。


 カップルの話をしたら、『私たちじゃん』って……。

 口が滑ったみたいな反応だった。


 青ちゃんの中では、もう付き合ってるってことなのか――!?


 あれこれ考えていると、青ちゃんはレジャーシートの上でビールを飲んでいた。


「暑いときはこれだねぇ」


 むふっとご満悦の様子。


 俺の分も買ってきてくれたようで、手招きされたので海から上がって隣に座る。


「俺もビールですか?」

「いいじゃん、いいじゃんー! 付き合ってよぅ」

「仕方ないですね」


 俺はちびりとビールに口をつけた。苦い炭酸水を飲んでいるようで、刺激ごと飲み込む。


「酔っぱらう?」

「アルコールの感じはしますけど、まだだと思います」

「ふうん、そっかぁ」


 なんか残念そうだった。


「潰して遊ぶ気ですか?」

「違う違う、前は湊くんさ――……いや、なんでもない」

「前? 俺なんかしました?」

「ええっと……酔いつぶれて大変だったなぁって」


 誤魔化すように青ちゃんは目をそらす。

 俺、なんかやったのか……?


 そんな感じで、お酒を口にしながら海をぼんやりと眺めて、並んで座りながら、どうでもいい雑談を話す。

 また海に入って遊び、また売店で買った物を飲みながら、おしゃべりをする。

 そうするうちに、陽は沈み、砂浜が燃えるような橙色に染まっていった。


「……掛け合いっこが、どうして楽しいのかわかったよ」


 ぽつりと青ちゃんが言う。

 俺もその答えは出ていた。


「俺もわかりました」


 並んで座っている肩がちょん、と触れる。

 離れることはなく、じりじりと控えめに近寄ってきた手が、重なった。


「先生だから楽しいんです」

「湊くんだから楽しんだよ」


 タイミングが被って、思わず笑い合う。


「湊くん……」


 夕日に染まる青ちゃんの真面目な表情が、徐々に憂いを帯びていく。

 瞳はまっすぐ俺を見つめて、少しずつ少しずつ顔の距離が縮まっていった。


 青ちゃんの頬が、夕焼けではない頬の染まり方をしている。愛しくて手をぎゅっと握ると柔らかい手がそっと握り返してきた。


「先生」

「っ、あ、ちょ――やっぱり待」


 キスする気で顔を近づけると、青ちゃんが寸前で顔をそらした。

 その弾みで、頬にキスする形となった。


 ちゅ、と俺と青ちゃんにしか聞こえない音がした。

 磯の潮っぽいにおいがして、すべすべした肌の感触と熱く火照った熱が唇から伝わる。


「ま、待ってって、言おうと、したのに……っ」


 ゆっくりと顔を離していくと、大照れする青ちゃんが、夕日に負けないくらい顔を真っ赤にしてうつむいていた。


「生徒に、キス、されちゃった……。めっ。ダメだよ、こういうの」

「……すみません」

「罰ね」

「はい?」

「目つむって」

「はぁ……罰ってなんですか?」

「い、いいからっ」


 有無を言わさない青ちゃんに負けて、俺は目をつむる。


 すると――。


 ちゅ、と頬から音がして温かくて柔らかい感触があった。


「え」


 目を開けたときには、青ちゃんは歩き出しているところだった。


「あの、先生――」

「罰として、片づけね!」

「今――あの!」


 青ちゃんは、引き止めようとする俺を一度振り返って、照れくさそうな笑顔を見せた。


「先行ってるよ。夕飯、何食べるか考えといてね!」


 呼びかけに応じることはなく、足早に一人でビーチをあとにした。


「……キス、された、よな?」


 俺は夢見心地で頬をさする。

 俺がしたほうは事故っぽい部分があるけど、青ちゃんのあれは、するつもりでしたキスだ。


 罰っていう体でご褒美がもらえた。


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