淀クンと崇夜サン

剣山

第1話  米の怪

「おうい、ヤヒコぉ」



「ん? ……あぁ、ゴンロクさん、こりゃあどうも」



 目を細め、畑から手を振る大男の姿を認めれば、ヤヒコは担いでいた荷物を下ろし、声の主へと近づいて行く。



「なんだ、随分な大荷物だな。もう刈り入れかい? 今年もヤヒコんとこの米はいい色付きだもんなぁ」



「まだ少し早いですよ。そっちこそ、芋の様子はどうですか?」



「いやぁ、うちは今年はダメだなぁ。長雨はどうってことなかったが、ちいと栄養が足らんで、どいつもこいつも小さくなっちまった。悪いがあんまり量は渡せんよ」



「構わねぇですよ、ゴンロクさんところの芋は、小さけりゃ小さいほど味が濃くて、俺ぁ好きなんで」



「ハハハ、なんだオメェ、うちの芋がいつもちいせぇってか」



 快活な声に、ヤヒコもまた楽しげに笑う。



「まぁ、このご時世だ。外と言わず、村の連中にも、あまり羽振り良く見せんほうがいいぞ。いやなに、悪いというんじゃねぇ、オメェの為を思って言ってるのよ。村の連中だって、内心お前のことを羨んでいる。それくらいは分かるだろう? 『無遠慮にばら撒くんでも嫉妬はする』。おまけに外では今、西から来た奴らの食い扶持を稼ぐのに精一杯って話だ。こっちだって、お前んとこの米以外は思い通りには行ってねぇ。年貢米の手前こういう言い方はあれだが、お前の米は、本来お前が全部食う権利がある。忘れんじゃねぇぞ」



 ゴンロクの大きな手が、ヤヒコの背をバシバシと叩く。それから少し立ち話をしてから、ゴンロクは畑へ戻り、ヤヒコも再び荷物を抱えて歩き出した。



 ぐるりと見渡せば、秋の色が村を染めている。夏に膨らんだ青々とした葉が黄色、赤色に変わりゆく。それらを超えた奥に、金色の景色がある。



 秋の色。収穫の金。



 人によっては黄色だと言い張るものもいるが、ヤヒコにとって、あれは間違いなく金色だった。




 






 ヤヒコの住む村は、低くなだらかな山を四方に据えた、言わば盆地のような場所にあった。



 透き通った川が村の中心を通り、雨も風も太陽もよく浴びるそこは、植物を育てるには格好の条件であり、故に彼らの産業は専ら作物を中心に発展していた。



 中でもヤヒコの作る米は、村内のみならず、山を超えた先にある周囲の村からも評判がよく、またいつも豊富に採れるので、彼らが用意する品が僅かであっても、ヤヒコは気にせずに、いつもと同じ量の米をくれてやったものである。



 一度村の人間が、稲作の秘訣を尋ねた時、



「なぁに、うちの米が特別なのよ。それだけだ。育て方を間違えなきゃ、誰でも育てられらぁね。尤も、こればっかりは俺の専売だ。教えるわけにはいかねぇよ」



 ヤヒコはそう言って、愉快そうに笑ったという。









 その日ヤヒコは、収穫を間近に控えた米の様子見がてら、手入れをし終えた道具達を納屋へ戻しに行くところだった。



 家から水田へ向かう途中のこの景色が好きだった。村民たちが思い思いの作物を作り、それを互いに分け与え、時には村の外へも足を運ぶ。それは涼しい夜に、月の動きを屋根の上に座ってぼんやりと眺めるような、何を考えることもなく、ただ幸せを感じることの出来る時間であった。



 ふと、先程別れ際、ゴンロクに言われたことを思い出す。



 今年の雨は長かった。二月ごろから降り始めた雨は、そのまま梅雨入りまでもつれ込んだ。本来なら春を少し過ぎたあたりで終わるはずの梅雨も、そのままさらに二ヶ月続き、結果一年の半分以上が、冷たい雨とに晒されたことになる。



 長雨は各所の川を氾濫させ、田畑の土を種や苗ごと洗い流す。多くの苗が実をならすことなく枯れるか、出来ても太陽の恵みに預かれなかった、小さなものに留まった。



 更に冷たい雨は、冷たい気温を呼ぶ。



 麦が腐った。次いで、去年の冬場に収穫を終えていた葉野菜の類も死んだ。



 唯一の救いは、五月の半ばには水田に穂を添えた稲が並んだことだった。冷夏は米の成長を促進させ、あと二ヶ月もすれば早めの収穫の時期を迎えられ、その分でどうにか、麦や野菜の不足分を補えそうだった。



 そして六月に入った頃。



 米に虫がついた。



 長雨で植物が腐り落ちた結果、食べる物を失った蝗が、普段は口にしない米にたかり始めた。



 水田の水が蝗の死骸で変色するほどの大群は、農民程度にどうにか出来るはずもない。



 かくして、西の食物はその大半が消失した。



 埋め合わせを求める手は他の藩、地方にも及び、結果農作物、とりわけ米や麦の値段は瞬く間に高騰した。差し迫ったところでは、既に奪い合いすら起きているという。



 幸いにして、この村には冷夏も蝗害も、そこまでの影響は及ぼしていない。夏場に至ってもなお半纏を仕舞うのを躊躇ったくらいだった。



 ゴンロクの話を聞いても、ヤヒコはまだ実感が持てていない。それくらい、この辺りは平和だったのだ。



 近づいてくる黄金の水田も、いつもと変わらない。怪しげな蝗が集る様子もなく……。



「……あ?」



 だが、近づくにつれ、水田の様子が妙であることに気付いた。一面が黄金に染まるはずの視界の中に、黒い歪みがある。その正体は、間近に迫りようやく判明した。



 一部の稲が折れていた。



 手折られたのではなく、誰かが踏みつけている。



 根元からぽっきりとへし折れた様子に、ヤヒコは力なくへたり込んだ。獣ではない。踏みつけられた様子からして、それは人に違いなかった。そんなことをされたのは初めてだった。



 一度がっくりとうなだれてから立ち上がると、その足跡を追って、水田の中へと入っていく。



 外から見た時、一際大きく、丁度人一人隠れるくらいの範囲で稲が折れている場所があった。そこを目指す。



 もし犯人がいたらどうしてくれようか。そう考えても、ヤヒコには何も思い浮かばない。細身の自分が暴力に訴える姿など、想像が出来なかった。



 そして、稲の幕が晴れ、その先に人の姿を見出した時。彼は言葉を失った。



 水田の中心に倒れ込んでいた、稲穂を踏みつけていった犯人は。



 まるで絹のような白い肌をした娘で。



 泥水を吸い汚れた着物を纏ったまま、力なく稲にその身を預けていた。



 ぽきりと、また一本、稲が折れた。









 娘の名はコマと言った。



 やせ細った彼女は、西から食べ物を求め、ひたすらに歩き続けたのだという。



「この村に入った時、視界を金色に染めんばかりの稲を目の当たりにして、ついふらふらと……本当に、お詫びのしようもありません。そればかりか、身を清める手伝いまで……」



 そう言って泣きながらヤヒコの家で身を伏せる彼女を宥め、貯蓄していた米で粥を作り、振舞った。コマはまた泣いた。



 聞けば行くあてもなく、帰る所もないという。家族はみな飢えて死んだと。



 ならここに居ればいい。ヤヒコの口は自然とそう言葉を紡いで、コマはまた泣きながら、それを受け入れた。



 コマは良く働いた。とりわけ家事の類よりも、稲作に興味を抱いていた。両親が米を育てていたのだ、と辛そうに言うので、ヤヒコはその詳細を訊ねなかった。代わりとばかりに、彼女に目一杯、自分の米の育て方を教えた。



 時間によって水を足し引きし、日に温まり過ぎない温度を保つ。



 稲穂についている虫は、取るべき物とそのままにしておくべき物をしっかり見分ける。



 引き抜き、選定すべき稲の状態のあれこれや、稲の収穫時期まで。



 ヤヒコの行う稲作は、他の者が行うそれに比べてさらに詳細に決められており、手遊びに口頭で伝えるのみだったが、コマはその一つ一つを良く反芻し、しっかりと覚えた。



「すごいな、まさかあっという間に全部覚えるとは思わなかった。こりゃあ来年は苦労せずに済みそうだ」



「そんな、私は……」



 コマは小さく俯き、謙遜するように被りを振った。



「……でもヤヒコ様。あの稲はまだ刈り取らないのですか?」



「あぁ、うちのは他の連中より遅いんだ。秋の空が深まり切った頃。黄金が色あせ始めた頃に収穫するんだよ。そうすりゃあ、次の稲作の準備だ。簡単だろう?」



「左様でございますか」









 それから数日の後。ヤヒコは死んだ。



 夜中に水田にハマり、そのまま溺れ死んだ。



 誰もがその死を悲しんだ。誰もその死を疑わなかった。



 事故死だと主張するコマの手足が汚れていたのを、村人たちは誰も追及しなかった。



 ヤヒコの着物の背に、彼を押さえつけるような手形があったことを、村人たちは報告しなかった。



 彼の死を何よりも悲しみ、泣いたゴンロクの手がそれと同じ大きさであったことも。



 それから間もなく、ゴンロクとコマが一緒に暮らすようになったことも。



 誰も、何も言わなかった。



 その年の秋、村一面に大きな黄金の園が出来た。



 他の村人たちの水田の稲も、ヤヒコの水田のように立派に育った。他の農作を行っていた畑は全て水田へと変わっていた。



 まるで、端からそうするつもりだったかのような、手際の良さだった。



 米は大量に実るだろう。年貢米を払い、飢饉に喘ぐ外に売り飛ばして、なお余るほどに。













「……という話な訳だが、何か質問はあるかね? 淀君」



「いや、質問も何も、それうちの町の年表で一番最初の所だろう? 今更崇夜に教わるまでもない。少し調べりゃあっさり出てくる。まぁ、歴史というにはやたらとおとぎ話感が強いけどよ」



「呼び捨てにしない。崇夜さん、だよ」



 不機嫌そうな声に、崇夜と呼ばれた女は一瞬怯み、それを誤魔化すように言葉を被せ、ゆらりと立ち上がる。影を思わせる、黒い衣装と長髪が目立つ女だった。



「普段から勉強熱心な証だね。いいことだ。では質問を変えよう。君はこの話から、どんな教訓を得るかね?」



「教訓?」



 そう尋ねられて、淀と呼ばれた男は面倒そうに顔をしかめる。



「さぁ、どうだい? 教訓だよ、教訓」



「近づくな鬱陶しい。……教訓って……あー、食べ物の恨みは恐ろしい、とか?」



「ふ、ふふふふ、ざーんねん、ちーがーいーまーすー」



「教訓に不正解とかあんのかよ」



 ジロリ、と睨みつけ、テーブルに置かれている皿を指で弾く。崇夜はヒクついた笑みを浮かべながら、くるくると回りつつ遠ざかる。面倒そうに椅子から立ち上がり、彼女を追う。向かい合うと、崇夜の背丈が彼よりも更に頭一つ抜けて高い。だが、気圧されているのは崇夜の方だった。



「……ゴホン。正解はね、『胃袋は真っ先に満たすべし』だよ」



「なんだそりゃ」



「『衣食住足りて礼節を知る』って言葉があるだろう? 人が人であるためにはまず満たされてなければならない、ということだが……。これらを全て埋めるというのは、実際かなり難しい。なにせどれも限られた資源を用いる。そして食に関しては不足=死。となれば、人がまず真っ先に胃袋を満たそうとするのは、当然の流れといえる」



「……で?」



「っ、この話なんかもそうだけど、人間に限らず、生き物の争いはいつだって、足りてないものを他所から奪おうとするから起きるんだ。富んでいる者から窮している者へ。その衝動の根幹こそが食欲、というわけだ。人は食べ物が足りないからこそ奪い、奪われ、争い続けるのさ!」



「思想の統一とか領土の確保とかあんだろうが」



「ふっふっふ、甘いねぇ淀君」



「うっぜぇ。いちいちクルクル回んな」



「思想の統一? そんなものはまやかし、お為ごかし、ただの建て前さ。本命は『他人からより食べ物を奪いやすい状況にしたい』という企みでしかない。思想が同じなら説得も簡単だしね。そうに決まってる。第一それは人間にしか当てはまらないじゃないか。領土の確保なんてもっとわかりやすいとも。淀君は何故、生き物は領土、縄張りを広げるんだと思う?」



「あぁ? そんなの……」



「強さの誇示? 統一による平和? それらはさっきも言った通り建て前だし、人間にしか当てはまらないから却下だ。それ以上にもっと切実で、単純な理由がある。わからない? わからないかい? しょうがないなぁヒントをあげよう! これは歴史の勉強だよ、過去の例に倣いたまえ!」



「うるせぇっつってんだよ! 耳元でデカい声出すな!」



 面倒そうに視線を逸らし、喧しくなってきた彼女の頭を一度ひっぱたきつつ考える。



 理屈を通した答えではない。この女が求める答えはなんなのか。過去の例というが、実際に考えるべきは、彼女の主張であり、彼女がピックアップしている情報だ。人に限らない、と言いながら人の歴史を引き合いに出すような女だ。



「……。……領土の中じゃ食事を賄えなくなったから?」



「いっっつぅ……はっ、正解! その通りだよ。領土を広げるというのは、単純な話。今の土地だけでは食事量が足りなくなるからなんだ! ただ単に広げればいいのなら、不毛の大地に足を運べばいい。それをせずにわざわざ争う相手がいる場所を選ぶのは、そこにしか食べる物がないからさ! そして身内の為ならば、他者を排するのは至極当然の流れ!」



 決まった、とばかりに得意げな顔で淀を見やる。



「そういう意味では、このヤヒコという青年は本当に可哀想だよ。本人は目一杯施しを与えていたのに、結局外部からのほんの一押しで全部崩れる程度の関係にしかなっていなかった、というんだからね。彼らにとってヤヒコという青年は、自分達に施しを与えてくれる身内ではなく、豊かな米の育て方を独占する悪党だった、というわけだ」



「成程な、よーくわかった。……で?」



「……えっとね?」



 だが、淀川の冷たい声に、そのどや顔はヒクついて。



「だからね、目の前にある食べ物を勝手に食べちゃうのは生き物のサガっていうか、そんな争いの元になるようなものを冷蔵庫に入れっぱなしにした淀君にもちょっと責任があるんじゃないかなって……?あと、独占はやっぱりよくないよーって……」



「人の水羊羹食っといてそんな下らねぇ言い訳の為に長々と無駄な時間使わせんじゃねぇよ!」



「痛い! 無駄じゃないもん! ちゃんと理屈通ってるでしょ!」



「通ってねぇよ!」



「嘘!? どこが? 結構しっかり筋道通せたと思って……痛い! 痛いよ! ぶつのはだめ! わかった、買う! 新しいの買うから! ごめんってばー!」



 悲鳴と共に逃げる崇夜。追いかける淀川。遠ざかる二人の声。



 あとに残された、言い訳の為だけに引っ張り出された歴史本が、バランスを崩してテーブルから落ち、ばらりとページを開いたまま床に投げ出された。


















 ――……これから間もなくして、村は滅んだ。その年に取れた新米に毒があり、気付かずに真っ先に口にした村人たちが皆ほぼ同時に死んだためだった。



 米に毒が含まれていた理由は分からない。



 一説には、罪の意識に耐えかねた誰かが毒を盛ったとも。



 ヤヒコがコマに嘘の収穫時期を教えた、とも言われているが、その真相は定かではない。



 かくして、突如として人々が死に絶えたその土地は一気に不吉なものとなり。



 豊穣を与えた神の目も眩ませる、神眩の地として、周囲から疎まれ、避けられることとなる。




                      上倉町の歴史。その二へ続く―――

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