第4話 〈鏡写し〉という魔法

「マリ……」


 アッシュは幼馴染の名を呼びながら、一歩、また一歩と後ろに下がっていく。


 だが、いつまでも後ろに下がれるわけはなく、背中がキッチンのカウンターにぶつかってしまう。内心「しまった!」と思ったときには遅く、その瞬間を逃さなかったマリは右手を伸ばし、アッシュの首をつかんだ。


「かはっ……!」


 マリは徐々じょじょに右手に力を込めていく。

 アッシュは彼女の手を振りほどこうとするが、魔法を使っているせいか、びくともしない。


「もう、だめかもしれない」と、アッシュがあきらめそうになったときである。


 マリの左手からアッシュに向かって、何かが投げつけられた。


 それは指の間にはさめるくらいの小さな玉のようなものだったが、アッシュにぶつかると固い表面がパリンッと割れ、中に入っていた粉がアッシュをおおう。


「わっ!」


 粉が舞うと、マリに掴まれていた首が解放される。ほっとしたのも束の間、アッシュは足りなかった空気を補うために、大きく呼吸をしてしまう。


「ごほっ、ごほっ!」


 粉が気管支に入りむせる。


 苦しくて、そこから逃れるように床に四つんいになり、粉が少ないところに必死で移動した。


「早く収まってくれ」と思ったが、不思議なことに、症状は思った以上の早さで落ち着いていく。


「はあ、はあ……はあー……」


 通常の呼吸が戻ってくると、アッシュはその状態で上を見上げた。そこには、感情のない顔で、アッシュを見下ろしているマリの姿がある。


「マ、リ……」


 アッシュが呟くと、マリはアッシュの目の前にしゃがむ。

 何をするのだろうかと思っていると、彼女はアッシュの後頭部こうとうぶのところに腕を伸ばした。何をするのかと思っていると、髪の毛が引っ張られるような感覚が走ったが、それはすぐになくなり、代わりにマリの手にはベールのようなものが握られていた。

 アッシュがそれが何かを聞く前に、マリが手を離すと、隣に、服も、肌も、髪も真っ白な青年が姿を現わしたのである。

 それを見て、アッシュは小さくふるえた。


「僕が……」


 アッシュはそれ以上何も言えなかった。

 マリの隣に立った青年は、アッシュそのものだったからである。


「〈鏡写かがみうつし〉よ。今日まで実際に見たことはなくとも、本で読んだことはあるでしょう」


 マリがさらりと説明する。


 彼女が言うように、アッシュは<鏡写し>という魔法について、本を読んで知っていた。


 魔法のある過程を踏むと、術を掛けた相手と同じような人物が形成できるというものだ。


〈鏡写し〉というため、左右逆になると考えている人もいるが、実際はそうではない。あまりに似た姿で形成されるため、「鏡に写ったかのよう」という意味で、この魔法の名前は付けられた。


 だが、この魔法は高度な技術と、沢山の魔力を必要とする。そのため、実際にできる者はそういないとされていたのだ。


 謎は他にもある。

 何故マリが、アッシュの〈鏡写し〉をしたのかという点だ。


「何で……?」


 アッシュが呟くと、マリは静かに答えた。


「必要だったから」


「必要……?」


「あなたの能力がね」


「僕の、能力……?」


 アッシュは眉を寄せた。<鏡写し>は、相手の姿の模造もぞうでしかないため、「能力を写す」ことはできないはずである。

 そもそも、マリが欲しがるような能力が自分にあったとは思えない。魔力は子どもよりもないため、ほとんど魔法を使ったことなどないのだから。


「僕の能力、なんて……、何があるんだ……。それに『能力』を写すことは、できないはずだ……」


「それができるのよ」


 マリは彼の能力のことには触れなかったが、〈鏡写し〉の件についてはあっさりと否定した。

 アッシュは信じられずに、小さくかぶりを振る。


「でも、学校にあった本には『できない』って書いてあった……」


「魔法学校が発行した本が、信用にるものならね」


「魔法学校」は、スーベル島に唯一存在する学びで、この島で生まれた子どもたちは全員この学校に通い、「魔法」をはじめとする、さまざまな分野について学ぶ。


 そして魔法学校には、優れた教師たちが在籍しているが、彼らは教師である傍ら魔法の研究者でもあるため、学校を通して本が出版されることがあるし、子どもたちの教科書もここで作られている。


「……信用、できるよ」


 アッシュは、マリに感情のらない声で言われ、少しひるんでしまい、頼りない声でしか言えなかった。


 一方のマリは、アッシュの言葉を一蹴いっしゅうする。


「いいえ、信用なんてできないわ。〈鏡写し〉のことだって、魔法学校が事実をじ曲げて教本に記していたのだから」


「……嘘だ」


「嘘じゃない」


 マリの声は大きくないはずなのに、腹にずんとくる響きを持っている。

 アッシュは圧倒されながらも、自分がこれまで見てきたものや信じてきたものを否定されたくなくて、異をえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る