第2話

「えっと、普通に眠りにつけば良いってことだったよな。緊張して眠れなくなりそうだけど……」



 正信は少しでも平常心でいられるようにと、出来るだけいつも通りの時間を過ごした後、いつもと変わらない時間にベッドへと入った。



「裁判ってことは、被告人がいて、原告……代理人とかもいるんだよな。いや、それは僕のいる世界の話で、夢の中では違うのか? あー、もう本当に、なにが何だか……」



 色々なことを想像していると、正信はあっという間に眠りについていた。


 薄っすらと瞼に光を感じる。


 正信は目を細め、その光が与える刺激を和らげようと、細かく瞬きを繰り返しながら目を開けた。



「え、え、ここって……」


 そこには、昔、小学校の社会科見学で見たような裁判所があった。


 傍聴席にも、入りきる限りの人が座っている。


 ただ一つだけ記憶と違うのは、今座っている場所が、傍聴席と向かい合う、裁判長の席だということだけだった。



「正信さん、今夜はよろしくお願いします」


 突然の後ろからの声に、正信は小さな悲鳴を上げて振り返った。



「もしかして……、新導……さん?」

「はい、新導にございます。ご対面では初めてですね、改めてどうぞよろしくお願いいたします。あと、お電話でお伝えそびれましたが、私には敬語は不要ですから」



 新導は想像していた通りの装いだった。


 年齢は六十代から七十代の白髪で、些かにもこの場に合うとは言い難い、タキシードに身を包み、ハット帽子を手にしている。


 予想を裏切らないその姿は、少しばかりの安心感を正信に与えていた。



「わかりました。こちらこそ、よろしくお願いします。それで、今日の裁判は一体どんな……」


「はい」といって、新導は脇に抱えていた資料を出し、そっと机の上に置いた。



「今日は『内海』という教師の裁判になります」

「え、内海って――」


「ご想像の通り、正信さんの担任である内海です。この裁判では互いの主張を聞くために弁護人をつける、もしくは正信さんとの対話で判決を下す直接対話のどちらかを正信さんが選択することが可能です。希望がなければ基本的には弁護人をつける形となりますが……、ご希望はありますか?」



 初めての裁判であったが、正信は迷うことは無かった。


 資料に目をざっと目を通すと、新導に向かって言った。



「対話を希望するよ」

「承知しました」



 新導は真っすぐと伸びた背筋のまま軽く頭を下げ、どこかへ消えた。


 これから内海との直接対決が始まる。


 正信は自分でも驚く程に冷静に、再び資料へと目を戻した。



 程なくして、初めての裁判が幕を開けた――。




「それでは被告人、内海。証言台へ」



 どうやら裁判の進行は新導が担当するらしい。


 新導の言葉に促され、内海が証言台へと歩き出す。


 内海が視線を上げると、正信の視線とぶつかった。



「被告人、内海。あなたは教師という立場として、自分の生徒に対して正しく向き合っていましたか?」

「はい。もちろんです」


「あなたは今日、万引きがあったとの報告を受け現場に向かった。間違いありませんか?」

「間違いございません」



 内海は抑揚のない声で淡々と話していく。


 その表情に迷いはなく、自分の中の正義こそ正しいと言いたげな様子だった。



「その万引き現場で、あなたは複数の生徒、そして店の店主と話をした。そこでは生徒一人一人と十分な会話を行いましたか?」


「いえ、状況が状況でしたから、ゆっくりと話すことはしておりません。より有力な情報を『正』とし、対応しました」



 内海の言葉に、正信の心にあの時の気持ちが蘇る。


 あの時、内海は正信のことを見ようともしていなかった。


 どこをどう見て、「より有力な情報」と言っているのだろうか。


 正信は悔しさで涙が出そうだった。



「あなたの判断は間違っていたと思いますか?」

「思いません。正しい判断を行い、正しく指導したと自負しております」


「わかりました。それではこれより、裁判長との対話に移ります。まずは被告人より、今の思いの丈をお話しください」



 新導に向けられていた内海の視線が、ゆっくりと正信へと向けられる。


 正信の座る裁判席は証言台より高い位置にあるにも関わらず、その視線はまるで正信を見下しているようだった。


 現に、内海は不敵な笑みを浮かべている。


 そして、軽く鼻で笑った後、内海は話し始めた。



「私は自分のとった行動は全て正しく、かつ、責任ある対応であったと考えています。店に対して非を認めつつ、生徒に厳しく指導をしました。さらに言えば、生徒の今後についても示したつもりです。私の言動に不服があるなら、具体的にお話しいただきたい」



 勝気な姿勢を崩すことなく、内海は一気に話していく。


 時折見せる、呆れたような表情が正信の心を更に踏みにじる。


 正信はその態度に胸が苦しくなった。



 ――こうやってまた、丸く収められるんだろうな……。



 そう思っていると、後ろに立っていた新導が、囁くように声を掛けてきた。



「正信さん。ここはあなたの夢の中。思ったことを自由に言葉に出来るはずです。その胸に詰まっている言葉を、自信を持って吐き出してください」



 新導の言葉に、不思議と気持ちが軽くなっていく。


 正信は一つ頷くと、内海へと視線を戻した。



「あなたの言う『全て正しい』とは、何を持っての発言ですか?」



 裁判長という立場がそうさせたのか、新導の言葉のお陰か、正信は淀みなく話すことが出来た。



「結果です。あの場で私があの対応をしなければ、どうなっていたと思いますか? 事態はより深刻化し、被害は大きくなったでしょう」


「『被害』とは?」


「我々への信頼です。一度堕ちた信頼を取り戻すことは難しい。今は親御さんの目も厳しいですしね。私が生徒に厳しく接したことで、店主も事を荒げることなく『未遂』として処理してくださった。それが結果として我々の信頼を守ることに繋がったんです」



 内海は「どうだ」と言わんばかりに、傍聴席に向かっても身振り手振りでアピールしている。


 傍聴者の表情が変わることはなかったが、それでも内海が絶対の自信を持っていることは明らかだった。



「そうですか。ではその『我々』というのは、何を指しているんですか?」

「学校、及び私です。学校は評判を、教師は威厳を保たねばなりません。こんな小さなことで、それらを損なうなんて愚かだと思いませんか」


「小さなこと? あなたの言動で、一人の生徒は深く傷ついた。あなたの対応が違っていれば、その生徒を救える手立てがあったかもしれない。そのことについて、思うことはありませんか?」


「特に――ないですね。さっきも言ったように、私が一番に考えるべきは信頼です。信頼を守るためには、時に犠牲が伴うこともあるでしょう。恐らくその一人の生徒とは『実行犯』を指していると推測しますが、それは複数人の『証言』に基づく判断です。内容の信憑性ではなく、証言者が複数いるならそれを尊重すべきだ」



 ここで再び新導が小さく囁く。



「あちらからは裁判長が正信さんだとはわかりません。そろそろ質問の方向性を変えてみてはいかがでしょう」



 質問の方向性。


 つまり、反撃開始の合図だと正信は理解した。



「わかりました。あなたはその信頼を守るため、信頼に足りない可能性のある証言で話しを進めた。そういうことですね?」


「社会の仕組みをまるで理解していない質問です。物事を円滑に進めるには、残酷とわかっていても決断しなければならない時がある。今回がまさにそれだったんです」


「社会の仕組み……ですか。その前に、あなたにはもっと見るべきところがあるのではないですか?」



 遠回しの質問に、嫌気がさしたのだろう。


 内海はこの席まで届く程の大きなため息をついた。



「言ったでしょう。私には守るべきものがあったんです。だから――」

「守るべきは信頼ではなく、『生徒』ではないんですか? 社会の仕組みを語るより、『教師』の立場を第一に考えなければならないのではないですか?」



 正信は内海の言葉を遮って言った。


 不意打ちを喰らったかのように、内海の表情が初めて曇った。



「そ……、それは単なる綺麗事に過ぎない。それにあの時、私は教師として多くの生徒を守っている」

「『守っている』? それは一人の生徒を『見捨てた』結果でしょう。あなたは『面倒ごとに巻き込むな』と発言した。これは明らかに、生徒を見捨てた発言だ」



 正信の強い意志の込められた言葉に内海は眉根を寄せ、睨むように正信を見つめる。


 動揺しているのか、握った拳は微かに震えていた。


 正信は内海の言葉を待つことなく続けていく。



「教師たるもの、一人一人の生徒を平等に見るべきだと思いませんか。その先にある『親』ではなく」



 内海は完全に言葉を失った。



「正信さん、そろそろです」



 新導がそう言うと、傍聴席から拍手が起こる。


 一般の裁判では見かけない光景だが、この中ではこれが一つ、判断の合図なのかもしれない。



「これより、判決を言い渡します」



 威勢の良い新導の声が、裁判所に響き渡る。



「新藤さん。この判決というのは、どのようにしてくだせば……」

「刑を唱えて、ガベルを叩けば実行されます」


「刑はどんなものでも良いんだよね? 例えば本当には存在しない、架空の刑でも」

「全く問題はありません。好きなように好きな刑をお与えください」



 その言葉を受け、正信は強い眼差しで内海を見た。



「判決を言い渡します。主文 被告を――」



 正信は刑を言い渡すと、力強くガベルを叩いた。






 内海はうなされるように目を覚ました。



「夢……か。何でまたあんな夢を……? あの裁判長め。どうせ面と向かってはモノを言えない奴のくせに偉そうにしやがって。思い出しても腹が立つ」



 そう言って寝返りを打つように体制を変えた。


 次の瞬間、内海は自分の目を疑った。



「は? は? ちょっと待って。来るな、こっちに来るな」



 内海の視線の前には、見たこともない巨大な蛇が、じっと内海を見つめていた。


 その時、内海は昨夜見た夢の内容を思い出す。




 ――そうだ、あの時裁判長は……。





「被告を『大蛇に巻かれる刑』に処す」





 身体中から汗が溢れ出す。



「やめろ、やめてくれー!」



 この日を境に、内海はクラス担任を外れ、そのまま学校を去った。







「初めてにしては上出来でした、正信さん」


 電話越しの新導の声は嬉しそうだった。


 思わず正信の声色も上がり、笑みがこぼれる。


 そして、一つ長い息を吐きながら表情を戻すと、正信は静かに言った。




「ありがとう。そんなに長いモノに巻かれたいなら、これからもずっと、巻かれて生きていけば良いさ」






 裁判はまだ、始まったばかり――。

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脳内判決 春光 皓 @harunoshin09

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