厚底でコンビニ

Zarvsova(ザルソバ)

厚底でコンビニ

 買ったばかりの厚底ロングブーツを履くのに時間がかかってしまったのは想定外だった。

ベルトがたくさん付いているのがかわいくてバイト代を貯めてポチったのに、まさか履く度にベルトを一つずつ外して足を通し、また一つずつベルトを締めないといけない構造だったなんて。拘束具みたいでかわいいじゃないか。いや、でもお座敷の店に誘われたらアウトだな。

「里香、何してるんだ」

 左の靴の8つのベルトを締め終え、ようやく右側に取り掛かろうとしたところで玄関の照明が点いた。

 ヤベ、と里香は舌を出したが、今声をかけてきた父親には背中を向けたままなので、夜中に家を脱出する里香の計画はまだバレていないだろう。

「なんでもないよ征二」

 なんとか話題を反らしたかった。

「せめてお父さんって呼んでくれ」

 父は娘に反抗期がまだ来ない様子なのが心配だった。

「えーと、ちょっとコンビニでも行こうかと」

 里香はブーツを装着する作業を続けながら言った。

「車で30分かかるんだぞ」

里香の地元は田舎だった。

「運動も兼ねてさ、走っていこうかなって」

「そんな格好でか」

黒いフリルがあしらわれた深紅のブラウスに、下は短いプリーツスカート。よく見ると細かい十字架の刺繡が入った胸元のリボンが特に気にっていたが、これに厚底のロングブーツを履いて、車で30分かかる田舎道をわざわざ息を切らして走る人間なんて稀有であろうことは里香自身が一番よく分かっていた。

「すぐ帰るからさあ、タバコも買ってくるよ。セブンスターでしょ?」

ようやくブーツのベルトを締め終えた里香が相変わらず背中は向けたまま、首と目をその稼働範囲の限界まで動かすと征二がパンツ一丁で立っているのを視界の隅に捉えることに成功した。

「未成年が買えるわけないだろ!」

征二の表情は見えなかったが、語気の割には怒っている様子ではないことが里香には何となく理解できた。そう、征二はなんだかんだ自分の意見は尊重してくれる人だ。この会話の間だって、背中を向けてブーツを履いていたのだからこっちに近づいて肩でも掴んで「行くな!」と止めることもできたのだから。

「とにかくなるべく早く帰ってくるんで」

 里香は立ち上がり、靴箱の扉に付いている鏡で先ほど洗面所でセルフカットした前髪がパッツンと揃っているか最終チェックをした。

「彼氏に車で迎えにきてもらうのか」

その一言で里香は初めて征二の方を向いた。

「いやほんとそういうのないから。やめて」

娘の急な剣幕に征二は「すまん」と謝るしかなかった。

「あのな、里香。今どき珍しくこのへんじゃ暴走族が抗争なんてしてるだろ。先週、高校生が襲われたってニュースでやってた。俺が心配なの、言わなきゃ分かんない子じゃないはずだぞ」

 言動を注意しても無駄と悟った征二は自らの思いをそのままに口にした。彼のこういう不器用なりに気持ちだけは伝えようとしてくれるところが里香は好きだった。最近ちょっと太ってきたところがラッセル・クロウみたいでかわいいと言ったら周りの友達がナイスガイズもザ・マミーも観てなくて少しガッカリした。

「大丈夫、征二を困らせたりはしないから。」

「せめてお父さんって呼んでくれ」

「暴走族を懲らしめてきます」

「もっとマシな嘘をついてくれ」

「セブンスターでいいよね」

「電子に変えたからいらない」

「一番くじ引いてくる」「

フィギュアいっぱい当たっても迎えに来ないぞ」

「あ、外出OKだ。いってきまーす」

「いやちが、おい」

 不意をついて玄関から飛び出した娘を、まだ上半身裸のままの父は追うことができなかった。カポン、カポンという厚底の足音が次第に遠くなっていった。


「せありゃあ!」

 里香の跳び後ろ蹴りがモロに腹に入った暴走族その14は1メートル程吹っ飛ぶと、後ろにあったブロック塀に背中から叩きつけられてそのままうつ伏せに倒れて気絶した。

「遅い!」

 すかさず傍にいた暴走族その15の下顎に厚底がめり込む。その蹴りがカポエイラの技の一つ、ケイシャーダであることなど里香以外が意識を失ったこの場ではどうでもいいこと。


 その日コンビニの駐車場にたむろしていた小規模チームである堕悪腐悠禰羅琉(ダークフューネラル)の目の前に走って現れたのは、フリフリの服を着た女子だった。「深夜の田舎のコンビニに女子が一人で厚底ブーツでジョギングしてきた」という異常な光景に堕悪腐悠禰羅琉(ダークフューネラル)の全員が呆気に取られていると、息を切らした女子は暴走族を無視し、停めてある改造バイクの間をすり抜け、コンビニの前の自動販売機でモンスター・パイプラインパンチを買って腰に手を当て一気に飲み干した。口の横から漏れた雫を彼女が舌で舐めて拭うと、一番先に我に返った暴走族の一人が彼女に声をかけようと近づいた。

「ネ」その男が言葉を発するより早く、口にピンク色の缶が突っ込まれた。

そしてその缶を、女が基本に忠実なフォームの右ストレートでリサイクルしやすいサイズに潰したのが合図となり駐車場で乱闘が始まった。

 結果は先述のケイシャーダ。


「起きて」

 里香は、駐車場に転がっている中でも多少手応えのあった総長と思しき男に、自動販売機で買った水をかけた。

「先週、ここのコンビニで一人病院送りにしなかった?」

「あ……ああ……眼鏡かけたガリガリの」

「うちの彼氏だよ!」

 アスファルトと厚底に挟まれた総長の頭から嫌な音がした。


「一つだけ教えてくれ」

G賞のミニタオル6枚をもって不服そうに店から出てきた里香に、比較的軽傷だったらしい暴走族の男が倒れたまま声をかけた。

「どうしてそんな動きにくい格好を?」


 里香は捲れていた袖を直し、リボンを整え、スカートの埃を払い、答えた。


「勝負服だから」

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厚底でコンビニ Zarvsova(ザルソバ) @Zarvsova

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