雨の向こうから

戸成よう子

第1話

 生まれて初めてショート・ムービーを撮ったのは、約一年前だ。大学に入学したての頃、右も左もわからないうちに加入した映像サークルで出された課題が、ショート・ムービーの撮影だった。

 秋に、学生を対象にしたコンテストがあるので、それに出品する作品を撮るように、ということだった。いきなりそんなこと言われても、と戸惑いながら、応募要項のサイトに目を通した。応募要項によれば、作品のフォーマットさえ規定に則っていれば、撮影方法は何でもいいとのことだった。スマートフォンで撮ろうが、自宅の防犯カメラ映像だろうが、何でもオーケーなわけだ。そうは言っても、大学に入るまで映画撮影なんて考えたこともなかった史樹にとっては、やはり難題だった。撮ってみよう、という気になったのは、そうしたかったからというより、サークルの先輩たちにどやされるのが怖かったからだ。とにかく、何でもいいから元ネタを撮って来い、後の編集や何やかやは俺たちでやってやるから、と言われ、渋々、腰を上げた。

 何でもいいから、と言われても、すぐに何かが浮かぶはずもない。史樹にとって、題材になりそうなものといえば、故郷とそこに住む家族の日常くらいだった。そこで、無理矢理、家族の了承を得て、スマートフォンでその日常風景を撮影したのだ。

 そうして完成したのが、ショート・ムービー『うちの母が変なんです』だ。

 カテゴリはドキュメンタリー。それと一応、ホラーにも属している。

 史樹としては、ただ、実家の様子を撮っただけだったのだが、それを観た先輩連中が面白がり、勝手にタイトルをつけたり、編集したりして、ふざけた内容にしてしまったのだ。一応抗議はしたが、受け入れられるはずもなかった。作品はそのままコンテストに提出され、審査の箸にも棒にもかからずに終わった。

 それでも、先輩たちの間ではその作品は妙に評判がよく、動画投稿サイトに載せようだの、SNSに上げようだのとしばらく盛り上がっていた。どちらも史樹が必死で止めたため、事なきを得たのだが。月日が経つと作品のことは忘れられ、史樹もほっと胸を撫で下ろしていた。ところが、翌年のコンテストが近づいてきた今、再びその熱が再燃しだしたのだ。

「次作を撮ろうぜ、次作を」サークル室でそう声をかけてきたのは、先輩の山下だ。「あれ、なかなか評判よかったじゃないか」

 半径十メートル以内でね、と言いたいのを、史樹はぐっと堪えた。「やめてくださいよ、もう」

「いやいや、なんでよ。大体、ほかにネタなんてないだろ? 前に撮ったロード・ムービー風のあれなんて、滑りまくりだったじゃないか」

 でも、僕は別にウケを狙ってるわけじゃ、と反論しようとしたが、山下は聞こうとしなかった。

「手持ちの札の中で一番面白そうなのを選ばなきゃ。そうでないと、観客を惹きつけられないよ」

 と、にやにやしながら言って、別のメンバーに声をかける。「なあ、西尾君のあれ、イケてたよな?」

「あれ? あれって何?」浜谷という先輩が、怪訝な顔で聞き返す。「ああ、あの、うちの母がどうとかいう? まあ、イケてたんじゃない」

「だろ? あれの続編を撮るよう、西尾君に話してたんだよ。今度はちゃんと脚本を書いてさ、編集も気合入れてやれば、ウケると思うんだ」

「ドキュメンタリーに脚本? 最低だな」と、浜谷が顔をしかめる。

「まあ、そう言うなよ。これも修行だって。色んな作品を撮ることが大事なの!」

 自分もそんなに大した作品は撮ってないくせに、本当に困った人だな、と史樹は嘆息した。

 ともかく、脚本はいらないからと断り、近々帰省して撮ってくると約束したのが、数日前。まさかこんなに早く、その約束を果たす日が来ようとは。

 在来線の駅から、日に数本しかない実家の最寄りのバス停へ向かうバスに揺られながら、史樹はそう考えていた。

 それでも、これはチャンスかもしれない。『うちの母が変なんです』なんていう、おかしな名前の作品を撮ってしまった恥を濯ぐための。そして、こう主張し直すための―― うちの母は変なんかじゃない。少し変わっているだけだ、と。



 作品の冒頭は、なぜかモノクロの映像から始まる。どこから拾ってきたのかわからない、新聞記事だの、農村の風景だのといった映像だ。おそらく、著作権の切れた戦前の映像だろう。

 それから、ちょっとスタイリッシュなカットがいくつか入って、タイトル。例の馬鹿げたタイトルが、大きく映し出される。

 先輩連中は、シリアスな出だしからコメディ風のタイトルへ移ることで、”面白さ”を演出しようとしたのだろう。生憎、その試みが上手くいっているとは思えないが。

 その後、画面は史樹の実家へと続く道を映したものに切り替わる。田んぼと田んぼの間を縫う、畦道のような車道だ。まだ酷暑が続く九月。前方に伸びる道は土埃に覆われ、白い。やや色づいた稲穂の上を、乾いた熱風が渡っている。

 家は、築五十年の平屋だ。頑固な祖父が建てた、昔風の家。瓦屋根の下の木造の壁や梁は、かなり傷んでいる。それでも、ここで暮らす母は不自由を感じてはいない様子だ。

 カットが切り替わり、カメラは家の中を映し出す。カメラといっても、スマートフォンのだ。画面の中の座敷で、二人、いや三人の人物が向き合っている。母と、母を訪ねてきた客人二人だ。

 ここで、史樹の声でナレーション―― 撮りながら小声で喋っただけだが―― が入る。

”えー、お客さんが来ているようです。お客さんには許可を取っていないので、顔は映さないようにします”

 カメラが移動し、客の姿が障子に隠れて見えなくなる。元々、座敷が薄暗いので顔などははっきり映っていない。

”うちには時々、こうして知らない人が母に会いにやって来ます”

 史樹のひそひそ声。

”目的は、病気や怪我を母に治してもらうためです”

 ここで、先輩が勝手に入れた、ドン!という派手な効果音。B級ホラー映画でたまに聞く、わざとらしいあれだ。

 そして、史樹による拙いカメラのズーム。映像がブレブレだ。

 手ブレの酷い画面の中で、母がいつものように客の手を取り、俯いている。

 調整を誤ったためだろう、画面全体が突然ぼやけ、白くなる――



 史樹が撮ってきた映像を見せると、山下は最初、眉を寄せてこう言った。

「何だ、これ。お前の母親って、詐欺師なのか?」

 当然、むっとして、違うと言い返したが、山下のひそめた眉は元に戻らなかった。

 落ち着いて考えてみれば、医療関係者でも何でもない人間が他人の体の不調を治すなんて、ありえないだろう。だが、史樹は指摘されるまで、そのことがそれほど不思議だとは考えていなかった。なにせ、自分にとっては、親という当たり前の存在が当たり前のように行う、日常の一部に過ぎなかったのだから。

「そんなこと言ったってさぁ、おかしいだろ。何、お母さん、超能力者か何かなの? ぶは!」と、自分で質問しておいて、自分で噴き出している。「――とにかくさ、詐欺はいかんよ、詐欺は。こんなの公表したら、捕まるよ」

「だから、違いますって」史樹は顔を赤くして反論した。「犯罪なんてするわけないじゃないですか。大体、うちの母、お金なんか貰ってないし――」

「金取ってないの?」散々、詐欺だと責めたくせに、山下は信じ難いという顔をした。「おま、おかしいって、それ! とにかくおかしいよ!」

 何と言われようと、母親は犯罪行為はしていないし、人を騙すような真似もしていない。史樹がそう言い張ったにも拘わらず、山下はうさん臭そうに目を細め、首を振りつつ向こうを向いてしまった。

 史樹は憤然とサークル室を後にしたのだが、夕方、もう一度寄ってみると、実家の日常を映したその素材―― フッテージが、なぜか先輩たちの間で大ウケしていた。山下も意見を変えたらしく、こりゃ最高だ、という賛辞と爆笑を連発している。どうやら、先輩連中が集まって観ているうちに、和製ホラーにありがちなネタとPOV手法があいまって、ちょっと怖い、ということになり、徐々に盛り上がりを見せたらしい。

 馬鹿げた話だが、こうして身内で”ややウケた”ために、そのフッテージは好き勝手に編集され、下らないタイトルをつけられ、そのままコンテストに提出させられてしまった。情けないが、史樹も途中で抵抗を投げ出し、言われるまま従っていた。

 こんな成り行きで、家族を人の目に晒すなんて。――あまつさえ、口先の上手い詐欺師、あるいは頭のおかしい自称祈祷師か何かとして。本当に、酷い話だ。うちの母は、どこにでもいるごく普通の人間なのに。

 バスを降りた史樹は、田んぼ脇の道を辿って家へ向かった。あの映像の冒頭とほとんど変わらない景色が目の前に広がっている。あれより半月ほど時期が早いので、稲穂はまだ色づいていない。陽光も灼熱を帯びている。

「ただいま!」玄関前の敷石を踏みながら、声をかける。

 この時間は畑だろうと思ったが、やはりそうだったようだ。自宅に隣接した畑のほうから、母の、おかえり、という声が返った。

「中、入ってて! すぐ行くから!」

 注意深く聞き耳を立てたが、母の声は元気そうだ。史樹は玄関をくぐり、家に入った。

 祖父母の死後、母は一人、この家で暮らしている。元々、不仲だった父とは、四年前に別れた。

 離婚の原因はよく知らないが、母が誰かに、性格の不一致、と笑いながら話しているのを耳にしたことがある。父もそんなことを漏らしていたので、おそらく事実なのだろう。

 一家はずっとこの家で生活してきたが、離婚を機に、父は関東へ引っ越した。その際、東京の学校に通わせたい、と言って史樹も連れていくことにした。そのほうが就職に有利だから、と父は母を説き伏せたらしい。史樹としても、その時は特に異論はなかった。

 そんなこんなで、母は今、この家で一人で暮らしている。母が訪れる人に”施術”を施すようになったのは離婚の何年も前だが、暮らし向きが変わってからは前より頻繁に客を招き入れるようになったらしい。

 冷蔵庫の飲み物を飲んで落ち着くと、史樹は荷物を解いて中身を手探りした。取り出したのは、割と新しい型のハンディ・カメラだ。電源を入れ、試し撮りをしていると、勝手口の開く音がした。史樹はカメラを手に、廊下へ出た。

「おかえり―― あら、何やってんの、あんた」長靴を脱ぎ、作業着の泥を落として、家に上がってきた母が、こちらを見て言った。

「また撮らせてよ」

「また、って、ああ、去年やってた、あれ? 映画撮ってんの、あんた?」

 そんな大層なものじゃない、気にしないでくれと言うと、母は肩をすくめた。

「いつまでも馬鹿やってんじゃないわよ。そんなことさせるために大学に行かせてるわけじゃないのよ」ぽんぽんと出る軽口も、いつも通りだ。

 史樹はカメラを回しながら尋ねた。「体調、どうなの? 病院に行った、って言ってたけど」

 母は、え? という顔をしてから、笑い出した。

「ああ、病院。病院へは定期的に行ってるの。もう年だもんね」

「それで、具合は?」

「別にどこも悪くないわよ。いやあね」

 ほっと安堵した。少し前に、調子が悪いから病院へ行った、というメッセージをスマートフォンで受け取ってから、そのことが気になっていたのだ。

「何、あんた。そのために帰ってきたの? いやに突然だな、とは思ったけど」

「そのためだけじゃないけど」

 ぼそぼそと答えると、母はちらとカメラを見やった。「それと、それを撮るため、ってこと? 何のため?」

 目的は、もちろん、コンテストに出すためなんかじゃない。以前撮らされたあの酷い出来のショート・ムービーを、もっとましなものに撮り直すためだ。そして、母を誤解している先輩連中に一泡吹かせてやりたい。要は、汚名返上が目的なのだ。

 だが、そのことを母に言うわけにはいかなかった。母には、映画サークルのノリなんか理解できないだろうし、自分が笑いものになっているなどとは知らせたくない。

「去年撮ったのがイマイチな出来だったから、そのリベンジ」

 そう告げると、馬鹿にしたような鼻息の音が聞こえてきた。

「それで、今日はお客は来ないの?」

「四時頃に一人、来るらしいわ」母は答えて、このところ増えてるのよね、と付け加えた。

「撮らせてもらっていい?」

「わたしはいいけど、お客さんにはちゃんと許可を貰わないと駄目よ」

「わかってるって」史樹は笑みを浮かべて、そう言った。

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