第33話 聖犬の大博打

「——魔力添加。はぁっ!」


 暗く狭い土の中。金色に煌々と輝く大金槌を、ソルディが振るっている。


「【金属よ! 穿てぇ!】」


 白銀色に輝く鋼鉄の鉄柱。土壁に向かって放たれた槍は、土壁を貫通することはなく衝撃は吸収されてしまっている。


「……っ!? 何でよっ!?」


 テラの魔法——【土寝袋】。ゴーレム生成を応用して開発されたこの土の球体は、防音性能と頑丈さ、そして、魔力に対する耐性が特徴である。


 サガナキの迷宮主リノチェロンテとの邂逅によって、その強度は、鋼鉄をも凌駕していた。


 一度発動してしまえば、テラ本人にも解除不可能。防御性能を極めた自動かつ不動のゴーレムを完成させたことが、少女たちの脱出を拒んでいた。


 ******


 ごろん、ごろん。ばきっ。

 トラスの足元で、魔法水晶オーブが割れ、砕ける音がする。


 トラスの腹を貫いたのは、魔法によって生みだされた赤い聖霊の【複製体】。フォコが足止めをしている本体は、弱っているのではなく、分身をつくりだし、力を分割していたのだ。


「ふーっ! ふーっ! がぁっ!!」


 弱い炎を一気に放ち、聖霊の視界を遮る。一瞬にしてトラスの元にたどり着いたフォコを警戒してか、赤い聖霊の【複製体】は、本体の元へ飛び去っていった。


 フォコは魔力添加を使えない。聖なる魔力は、通常の魔力とは、一線を画すものであるからだ。だがしかし、【聖獣の加護】により、フォコは、馬よりも早く駆けることができる。


「トラス! 怪我は?」

「……ぁ」


 返事はない。かすれた声だけが聞こえてくる。


(何で。どうして)


 そんな言葉たちが、フォコの頭をめぐる。背中の熱と感触で、トラスがここにいることを把握できるが、さっきまでのトラスは、【完全なる透明化】を発動していたはずだ。


 相手が聖霊だとしても、詳細な位置の看破は不可能なはずである。


 ぱきっ。

 フォコの足元で、ガラスの割れたような音が聞こえる。


「これか……っ!?」


 落ちているのは、様々な色を放つオーブ。


 魔力感知が、聖獣であるフォコよりも優れているのだというのか。それとも、当てずっぽうで? 


 乳白色の、回復のオーブは無残にも割れてしまっている。落ちているオーブもほとんどがひび割れてしまっている。


(どうする……? 今からでも撤退する? あの少女たちを残して? 駄目だ。そんなことしたら、今度はもうトラスの精神が持たない。そしたら、今度こそ……)


「うふ、ふうふふ、うふふ」


 不気味に笑いひらひらと飛び回るのは、二体の赤い聖霊。炎を扱うフォコを脅威だとみなしていないのか、それとも興味がないのだろうか。こちらに向かってくることはない。


「……」


 フォコが思いついたのは、分の悪い賭け。勝算の低い大博打。それても、やるしかない。フォコにとっては、この世界にトラスの命よりも大事なものなど存在しないのだから。


 フォコの視線の先は、四つの土塊。


「【聖火抱擁】」


 フォコの体が、炎に包まれる。本来の尻尾の横に現れたのは、夕日色の尾が4本。


 ゆらゆらと燃える尾から、四つの火炎弾を放つ。火炎弾の向かう方向は、静寂を保つ有人の【土寝袋】。


 聖なる炎は、魔の属性に対して強い効果を発揮する。それは、通常魔法に対しても。


 堅牢な【土寝袋】にヒビが入る。中から出てくるのは、鮮やかな髪色を特徴とする亜人の少女たち。


「やっと出られた! ちょっと! トラスはどこ!?」

「正直、心外だね。僕は足手まといってことかな? あれ?」

「トラスさん! あれ……? あっ……フォコちゃん!? 大丈夫ですか!? 血だらけですよ!?」

「うヘー。解除は出来るようにした方がよかったかナー、旦那ー。安眠できるようニ……っテ」


 不平不満、心配動揺。それぞれの速度で、さまざまな感情をあらわにしながら、少女たちが土から顔を出してくる。


 そう。フォコの大博打は、一か八か、少女たちが赤い聖霊を討伐するのに賭けること。無謀ではあるが、誰も死なない可能性は、この選択肢が一番高い。そして、全員が死んでしまう可能性も。


「……ラクア。多分、旦那、透明化してるゾ。聖犬さまの背中の毛、凹んでるシ」

「……!? ……本当ですね。じゃあ、あの血は……まさか!?」


 テラの推察を受けて、ラクアが早足でフォコの元に駆け寄る。フォコの毛のへこんでいる部分を触り、視認することのできない透明人間の輪郭を確認する。


「……っ! 【水よ、癒せ】」


「あははっ」


 水の魔力に反応したのか、赤い聖霊が羽根を小刻みに、超速で震わせる。目線の先は、ラクア。


 そして、そのタイミングで、トラスの透明化が解除される。腹には、風穴。通常ではありえない量の出血が、紺色のパーカーを鈍い赤に染めあげている。


「【金属よ】」

「【花弁よ】」

「【土ヨ】」


 金色が、深緑が、栗色が爆ぜるように、大きく不規則に煌めく。


「【穿て!】」

「【舞え!】」

「【弾けロ!】」


 四本の長く白光する鉄柱が勢いよく飛び、赤い聖霊ごと地面に深く突き刺ささる。魔力によって硬質化された白い薔薇の花びらが、大きな蚊柱のように赤い聖霊を襲撃する。小さな土人形が次々と創造され、その命を爆発の燃料として投下する。


 その魔法の威力は、フォコの想像を遥かに越えていた。


(これなら……!)


 迷宮探索において、感情によって魔法の威力がぶれることのない魔法使いは、安定した成果を残せる。


 しかし、彼女たちは違う。大きな感情の揺れによって、魔法の威力は大きくぶれる。今回は、怒り。トラスが傷つけられたことによる怒り。姉妹が狙われたことによる怒り。


 そして、何よりも。不甲斐ない自分に対する怒り。


 水色の魔力が、大きく不規則に、揺らぎうねる。


「必ず! 治してみせます!!」


 目に涙を浮かべる水色の少女もまた、姉妹たちと同じ気持ちであった。


「レグナ! テラ!」


 姉妹たちの名前を叫ぶのは、金色を纏う少女ソルディ。


「【多肉植物よ、栄えろ!】」


 レグナの解放した魔法は、対炎系モンスター用に開発した魔法。水分を多く蓄えているサボテンやアロエ、グラパラリーフ。多種多様な多肉植物たちが、地面からにょきにょきと、競いあうように生えてくる。


「あははは?」


 赤い聖霊が周辺全体に炎を撒き散らす。しかし、多肉植物たちが炎を吸収し、濃い緑と変色し、より鮮やかな色彩へと変化する。


「【土ヨ、隆起しロ!】」


 土が盛りあがり、聖霊の周りに土壁の囲いが完成する。囲いから脱出するためには、上に飛ぶ道しか残されていない。


「あーははっ!」


 赤い聖霊が飛び、天井のない上空へと逃れようとする。


「——魔力添加」


 姉妹たちを信じ、高濃度の魔力を練っていたソルディは、全身に金色の魔力を流動させる。それは、切り札。一日に一回だけの大技。


 金髪のツインテールをなびかせながら、ソルディは多肉植物の一つを踏切板の代わりにして高く跳ぶ。しっかりと両手で握られている大金槌には、まばゆい金色の粒子。


「はあああっ!!!」

「あはははははふふふふふふ!!!」


 金色に光輝くハンマーと赤い聖霊が放つ炎の激突。余波により、多肉植物たちが吹き飛び、土壁は砂へと変わる。


 聖なる炎の勢いに、ソルディの体勢が崩れかける。少女の軽い体重では、勢いが足りないのだ。


「【金属よ、穿てぇ!】」


 ソルディの顕現させた鉄柱が、空中に舞う。大金槌の——炎と激突している反対側の面に勢いよく衝突する。


「あはは……? は、は——」


 どぉおおおおおおん!!!!!!


 爆衝。爆音。爆風。爆煙。


 衝撃の当事者であるソルディも、爆風に巻き込まれ、遠くへとふき飛ばされている。


(すごい……! でも……それじゃあ、だめなんだ……!)


 言葉が伝わらないもどかしさ。フォコが少女たちに助言を行う術がない。


 赤い聖霊、健在。その事実を伝えられない。少女たちが仕留めることに成功したのは、本体のみ。


 危険を察知した【複製体】は、部屋の奥に流れている溶岩の中に潜んでいる。分身が生き残っている限り、聖霊は何度でも甦るのだ。


「あははっ」


 聖霊の無邪気な笑い声が部屋に響きわたる。


「嘘……だろ……」

「……ッ? どこかラ?」


 溶岩から、飛びだしてきた赤い聖霊の【複製体】が、まっすぐにソルディの元に向かってくる。少女を一番の脅威と認定したのだ。灼熱の溶岩の力を得た怪物は、本体の速度を超越している。


「「ソルディ!」」


「……っ」


 三人は動けない。精も根も尽き果てている。魔力は、それぞれの役割のために使い果たしている。


「——まだ動いちゃ……っ!?」


 そのとき、ラクアが見たものは、腹の穴が塞がっていないトラスが少女の元へと駆ける姿であった。

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