第28話 長文詠唱
「【——属性は風。大気の踊り手、自由の走り手、無傷の運び手。不可視の翼よ、踊り、走り、運べ。顕現せよ、突風——】」
ヴェントの体から溢れ出すのは、魔力の粒子。一方向への射撃を覚えさせるために、無茶をさせる。
「【——風よ! 吹きすさべ!】」
長い詠唱が終わり、ヴェントの全身の魔力が、前方へと突き出された右腕に集結する。
ごおおおお!!!!
風が、突風が荒れ狂う。吹き
「はぁ……はぁ……。これを……ぼくが……?」
「ああ。お前の魔法が空けた」
『母なる迷宮』の小部屋。その分厚い岩壁を貫通し、他の小部屋の道が出現した。
「な、なんだよ。これ……。こんなの」
「怖いならやめていいぞ」
「こ、怖くなんか……いや……ちょっとだけ、びびりはしたけど……」
ヴェントは正直に言う。腰が抜けて、立ち上がれなくなっている状態で強がっても意味がないと判断したのだろう。
「——長文詠唱。古臭い技術だよ。もう使用者はほとんど残ってない」
「なんで? こんなに強い魔法が撃てるのに」
「魔力を練ってみろ」
「う、うん……。あれ……?」
「一気に体中の魔力を排出する……というより、加減なしにぶっぱなすからな。魔力切れだけならまだしも、体もろくに動かせなくなる」
「……でも」
諦めきれない、そういった様子がヴェントの顔からひしひしと伝わってくる。
「これに頼ったせいで多くの人間が死んだ。大戦で撃った方も撃たれた方もな。だから、技術の継承はもう断絶しているといっていい」
「そんなの……」
今の自分には関係ないとでも言いたいのだろうか。まだ納得していない様子である。
「今はもう、昔よりはるかに魔法研究が進んでいる。迅速化、短縮化、略式化、簡易化。様々な技術が取り入れられている今の短文詠唱は、冒険者の武器として、長文詠唱よりも圧倒的に優れた手段だ」
「……」
「とにかく、だ。今のは感覚を掴んでもらうためにやってもらっただけだからな。もう二度と使うなよ」
「……うん」
即答はもらえない。いまいち信用しきれない返事である。
「……そういえば、トラスは、どんな魔法を使うのさ? こんなの知ってるんだから。やっぱり攻撃魔法?」
「【聖犬言語】。聖犬の言葉が分かるだけの魔法だよ」
「聖犬? 何それ?」
ヴェントは目を輝かせ、予想外に食いついてきた。
「気にしなくていい。そういう生き物もいるってだけだ」
「ぶーっ。なんかてきとうじゃない?」
「いいから——っ!」
「げこぉっ!」
横穴から、
「フォコ!」
油断していた。弓を引いている時間はない。そう判断した俺は、フォコの名前を叫ぶ。
腹ポケットから顔だけを出して、炎弾を放つフォコ。
ぼうっ!
炎に包まれたフライングフロッグは、瞬く間に灰へと変わり、地面に魔石が落ちる。
「ひ、ひ、火を吐いた! 何だそいつ!?」
「はぁ……。まぁ、別にばれても問題ないか……」
「魔物……?」
「違う……。こいつが聖獣だよ」
フォコの名誉のために、はっきりと否定する。
「そいつが……。というか、聖獣ってなに?」
「正直なところ、俺もよく分からん」
隠しているわけではなく、本当に知らないのだ。詳しいことは何も。
「まあ、それはいい。それより……」
きょろきょろと周辺を確認する。モンスターの気配はない。
「ほら、これ」
ヴェントの近くまで行き、液体の入った瓶を手渡す。
「わぁ、これポーションだよね。はじめて飲むや」
「そんないいもんじゃないぞ。かなり苦い」
正確には、マナポーションだが。どちらにせよ苦い。
「え……っ。じゃあなんで飲むのさ。たしか、体にかけても効くんでしょ?」
「簡単だ。飲んだ方が効果的なんだよ」
「……えぇ。まあいいか」
ぐびっ。ヴェントが勢いよく瓶を空ける。
「苦ぁ」
「ははっ」
あまりのしかめっつらに、笑い声が漏れる。
「冒険者っていつもこんなん飲んでるの?」
「いつもじゃねえよ。体力か魔力を回復するときだけだ」
「そうだとしても、まずすぎるよこれ……」
「動けるか?」
「何とか……」
体を起こし、立ち上がろうとするヴェント。
「一旦外に出るぞ」
「うん」
******
さきほどとは違う小部屋。ヴェントは、再び全身に魔力を込めている。
「よし。そう、そのまま。さっきの感覚で……」
黄緑色の魔力が、瞬きながら右手に収束する。
「【——風よ、吹け】」
びゅうう。ばっ!
右手から放たれた風が、岩壁にぶつかり、大音を残し消える。
「よし」
「……こんなに」
スライムの粘体に対して、ほとんど影響を与えられなかった風が、岩壁に傷をつけている。
「これが……収束?」
「まあ似たようなものだ。一塊をイメージしにくいなら、魔法が通る道を用意してやればいい」
「道……?」
「一度強い魔法を使えば、魔力はおのずとその一撃を再現しようとする。だが、長文詠唱をしたときほどの威力はでない。結果として、威力が抑えられた魔法が発現する」
「……? どういうこと?」
難しいことを言っている自覚はある。だが、大体は自分自身の感覚の話。分かりやすい言い換えなど知らないのだ。
「まあ、細部まで理解する必要はない。俺も完璧に説明する自信はないしな。とにかく、強い魔法を撃つ感覚を少し掴んだんだと思えばいいさ」
「ふーん……。まあいいや。そうだ! これならモンスターを倒せるよね!」
「当たればな」
とはいえ、スライムはそこまで機敏じゃない。ヴェントの魔法でも、不意打ちならばほぼ確実に命中させることができるだろう。
「やった! じゃあすぐ探しに行こうよ!」
「慌てなくていい。ここで待ってさえいれば大丈夫だ」
「……? 何で——」
——みしっ。
小部屋に響き渡るのは、軋む音。壁が、悲鳴をあげるように裂ける。
「ぎゅ……わ……」
岩の裂け目から産声をあげたのは、炎の粘体。ぽたぽたと、赤い体を流動させながら動くそれは、この場所が非日常であることを教えてくれる。
「——隠れろ」
「……っ!」
かちこちに固まっているヴェントの首根っこを掴み、素早く岩陰に飛びこむ。
「大丈夫か?」
ヴェントの額からは大粒の汗。手足は小刻みに震え、呼吸は乱れている。
「だ、大丈夫……。話には聞いてたけど、なんか予想以上にぐろかったから……」
無理もない。ダンジョンがモンスターを産む。その光景は、何度見ても神秘的なおぞましさを感じる。
「落ち着いてからでいい。しっかりと吸って、吐け」
「う、うん。すーっ、はーっ」
「よし。右手はしっかり動くか?」
「……うん。大丈夫」
覚悟がこもった表情、そして、しっかりと前を見据える目。ヴェントはもう平気だろう。
「【風よ——】」
黄緑色の魔力が溢れ、揺れる。半透明なオーラが、ヴェントを優しく包む。
照準はフレアスライム。まっすぐに右手を突きだし、狙いを定める。
「【——吹きすさべ!】」
放たれたのは、突風。金切り声を響かせながら、風は一直線にスライムを捕らえる。
「ぷぎゅあっ!?」
爆散。粘体は散り散りに引き裂かれ、あたりに赤いぶにょぶにょとしたものが飛び散り、それもやがて灰に変わる。
「や、やったっ」
「上出来だ」
スライムの一部分があった場所には、怪しく光る赤紫色の魔石。
学生服とベレー帽の幼い少年は、この日、ダンジョンで魔法を行使した。ヴェントは、凶悪なモンスターに勝利したのだった。
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