剣を拾っただけなのに

冬藤 師走(とうどう しわす)

第1話:大英雄の誕生

大陸全土を揺るがす大事件が発生した。

一万年に一度、遥か天空より飛来してあらゆる文明を滅ぼすという災厄の竜“イプシロキア”が、突如として城塞王国アークレストに出現したのだ。

それも、百頭。


アークレスト国民は震撼した。伝説上のドラゴン……それも考えうる限り最強の竜が一気に三桁もの数で襲来してきたのだ。いかにその堅牢さを誇る城塞王国といえども、数日も経たずに壊滅することは必至だった。

聡明なアークレスト国王は軍を動員して迎え撃つなどという愚かな真似はせず、ただちに周辺全域の冒険者ギルドにイプシロキア撃退を要請。

魔物の討伐を生業なりわいとする冒険者ギルドの中には、人の身でありながら神にも匹敵するほどの猛者が何人か存在する。

人智を超えた力を持つ彼らならばあるいは……アークレスト国王は、一縷いちるの望みにすがったのであった。

しかし、撃退に名乗りを上げた高名な冒険者達はことごとくイプシロキアの群れの前に散っていった。世界で唯一、SSSランクの称号を持つ冒険者アルフェン、天に並び立つ者なしとうたわれた剣豪タケミカヅチ、史上最強の大魔導士フローリア……皆仲間と共に果敢に戦ったが、いずれもまったく歯が立たず敗走した。


アークレスト――いや、人類の滅亡は逃れられない運命のように思えた。

しかしその時、一人の青年が運命を変えた。


その青年はふらり、とイプシロキアの前に立ちはだかった、と当時の光景を目撃したアークレスト軍の一兵卒が後に語っている。

黒髪、黒目、ぼやっとした顔立ちで、そこらの道具屋で買えそうなありふれたを装備身に着けた青年。見た目は駆け出しの冒険者にしか見えなかったという。

その青年は、腰に提げた剣をおもむろに抜き放った。そして、軽く一振り。


すると、先頭にいたイプシロキアの首が一瞬にして両断された。


その場にいた誰もが目を疑った。

イプシロキアの群れも何が起きたのか分からなかったようで、目に見えて狼狽ろうばいしたようだった、と一兵卒は語る。だが流石は伝説に名高い災厄の竜といったところか、瞬時に目の前の人間を危険な存在と判断し、一斉にブレスを吐いたのだという。

イプシロキアは通常種の竜とは違い、赤い炎ではなく黒炎を吐き出す。この黒炎はとてつもない高温で、岩だろうがオリハルコンだろうが、灰も残さず焼き尽くすと御伽噺おとぎばなしでは語られている。大地に命中すれば大陸ごと跡形もなく消え去るであろう。


だが、黒炎が地面を燃やし尽くすことはなかった。

青年が剣をもう一度振る。するとどういうわけか、九十九匹分のブレスがたちまち全て消え去ったのである。

そのまま二度、三度と剣を振る青年。切っ先がひらめく度に、一頭、また一頭とイプシロキアの首が切断されて絶命していった。

理屈はまったくもって分からない。だが、この青年がイプシロキアをほふっていることだけはアークレストの市民も、軍も、貴族も、国王も、そしてイプシロキアの前に敗れていた数々の猛者達にも理解できた。


群れの数が最初の半分にもなった頃、イプシロキアはようやく自分達では歯が立たないことを認めて天へと飛び上がる。

その光景を目にした人々はわっと歓声を上げた。たった一人の男が国を、いや世界を救ったのである。


だが、青年だけは喜びの表情を浮かべていなかった。

彼は、剣を頭上高く掲げた。


すると、剣からまばゆい金色の光線が反たれた。

光線はイプシロキアの群れを一瞬のうちに包み込み、災厄の竜は一匹残らず金色の光に呑まれ、消滅した。

こうして、人類は救われた。


◇ ◇ ◇


一夜の後。

アークレスト王国では人類滅亡回避を記念した盛大な式典に催され、そこに最も重要な賓客ひんきゃくとしてくだんの青年も招かれた。

アークレスト国王は冒頭のスピーチで、青年がいかに勇敢で、どれほどの偉大な所業を成し遂げたのかを熱く語った。国王のスピーチは普段から長いことで臣下からは不評であったが、この時ばかりは皆真剣に聞き入っていた。


アルフェン、タケミカヅチ、フローリアといった歴戦の猛者達も、満身創痍ながら式典に参加した。謎の青年と会って話したい、せめて一目でもその姿を間近で見たいという思いからである。

アルフェン達は青年を取り囲んで我先にと握手を求め、話しかけ、称賛した。中には神をも超えると表現しても差し支えないほどの強さの秘密を聞き出そうとした者もいたが、「分からない」とはぐらかされていた。


式典の宴もたけなわとなった頃、国王は声高らかに、数百年前に実在した『英雄』と称された人物を超える偉大な人間、という意味を込めて『大英雄』の称号を青年に授けることを宣言した。もちろん、異論を挟む者など誰一人としていなかった。

こうして、歴史上ただひとりの『大英雄』が誕生したのであった。


式典会場となっていた王城が揺れるほどの歓声が上がる中、Sランク冒険者の一人が青年に「昨日起こったことが未だに信じられない」と興奮した調子で話しかけた。


それは、青年自身もまったく同じ気持ちだった。

青年の正体は、見た目通りの低ランク冒険者だった。

どうしてこうなったのか分からない。昨日の出来事がとても信じられない。

彼はただ、剣を拾っただけなのだ。

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