最強コンビ 俺と、あなた。

ROTTA

第1話

西にしかずは、とある会社の営業部に勤めており、職場恋愛中である。

相手は二つ年上、総務のてらうちさとる。こつこつと実直・スマートに仕事をこなすその背中と、常に冷静でいらいらすることのないすごさに、かなりの尊敬、からのそんな気持ちで、こちらから「プライベートでも隣にいさせてください」と申し込み、今に至る。



和馬、自宅。

会社から帰り夕飯の米を研ぎながら、和馬の眉間には深く皺が刻まれている。


ーーーなんで、教えてくれないんだ。


教えてくれないとは、今週末の聡の予定である。

「今週土日、会えないですか」、「あ、ごめん。今週はちょっと」。たまにやる、やりとりである。

聡にも用事は色々あるだろうから別にこれ自体はいいのだが、その際聡が妙にその用事の内容を話したがらないことがある。

深く追及するのも束縛のようなので避けていたが、あまりにも気になったのであるとき食い下がって理由を聞いたことがあった。すると聡が「ごめん、秘密にしたい……」と。きまりが悪いと言うよりは、つらそうにはっきりと言われて、それ以上聞けなくなっている。

今週もそのパターンだ。「秘密の用事」で、金曜夜から日曜夜までみっちり埋まっているらしい。

直感では分かっている。たぶん、浮気などではない。あの人はそういうタイプではないし、浮気ならば「秘密」と素直に言わず適当な嘘を吐くだろうと思われるからだ。


だけれど。


あの人、陰でモテているんだよな……。

頭がいいから、裏をかくのにあえて「秘密」と言っておいて浮気ではないアピールをし、実は……ということあるかも知れない。なんか隠しごととか得意な感じするし……。


「やだな」


炊飯器のボタンを押すと、和馬は呟いた。

秘密にしたいと言われて以来、気にしないでいようとしてきたが、そろそろ、限界だ。浮気でなくたって、ちかしい人から隠しごとをされるのは悲しいものである。


和馬は身を翻すと、リビングのテーブルに置いてあるスマホを手に取った。聡に電話して、「秘密」の中身を多少無理矢理にでも聞き出そうと思った。

二、三操作し、和馬はスマホを耳に当てた。呼び出し音が鳴っている。事前にアポなしだが、出てほしい。


ーーーと。


音が止み『はい、もしもし』聡の声が聞こえた。


「西野です。すみませんいきなり」

『それはいいけど。どうした?』


聡の声が緊張感を帯びている。急に電話などいつもしないので、何かあったのではないかと心配してくれているらしい。

それは分かりながら、和馬は分析してしまう。聡が今、どんな状況で電話を取っているか。

静かなので、外ではない。普通であれば、時間的に自宅であろう。そこに他の誰かは、いるだろうか……。


「大した用じゃないんですけど。今、お時間大丈夫ですか」

『ん、んー……と。そうだな、一時間くらいなら』


大した用じゃない、と聞いて安堵と共に怪訝な感じ。部屋にある時計を確認しながら言ったんだなとは思ったが、時間を指定してくるとは、どういう。


「忙しい……ですかね」

『いや、まあ、大丈夫だよ』


言葉とは裏腹に声音から滲み出るのは、「誤魔化したさ」ではなく本当に「忙しさ」。仕事のとき内線で会話するときを彷彿とさせる。


「その。わざわざ電話でっていうのもどうかとは思うんですが。どうしても気になっちゃって」

『何が?』

「聡さん、なんで土日駄目なんですか」


直球を、投げた。

黙り込む聡に、和馬は、続ける。


「休日の予定全部知りたいってわけじゃ、全然ないんです。俺だって一人で出掛けることくらいあるし……。ですけど、秘密だ秘密だって言われて気になって。隠しごとされてるのが、気色悪くて……」

『うん……』

「秘密の用事っていったい何なんですか? なんで教えてくれないんですか」


完全に問い詰めるテンションだ。自分のことを面倒臭い彼女のようだと思わないではなかったが、この状況で心を落ち着けることができるほど、できた人間ではない。


『そうだよなぁ……』と呟いたきりまた口を閉ざす聡に、「誰かと会ってるとか」聞いてみると、


『あ、それはない』

「、」


そ、そうなのか。

簡潔な即答に、和馬の方が若干、たじろぐ。


「じゃ……じゃあ、別に用事の内容俺に言ったって構わない、ですよね?」

『いや……それは』

「やましいことじゃないんでしょ。それかなんか、危ないこととか?」

『いいや。やましくもないし、危なくもない……けど』

「だったら言えるでしょう」


つい、強い口調になってしまった。電話の向こうで、聡が困りきっているのが目に浮かぶようだ。

しばしの沈黙ののち、聡が『フーー……』と深いため息を吐いてから、


『俺さ。絵描いてるって言ったろ、趣味で』


などという、話を始めた。

そう来るとは思わず、和馬はきょとんとしてしまった。

確かに、聡の趣味が絵を描くことだとは知っている。初めてその話を聞いたとき、見せてくださいよ~と言ったけれど、恥ずかしがって見せてくれなかったのでそれきりになっていた。正直な話、和馬は絵には興味がないので本気で見たいとも思わず、それ以来そういう話もしていない。


「は……はい。言ってましたね」

『その関係で、金曜夜から準備して土曜に東京行って、日曜に帰ってくるんだよ』

「はあ」


と、和馬は気の抜けた相槌を打つ。絵と東京というのが、繋がらない。


『今週もそれだ。もちろん一人で。観光とかもせずに、用のために行って用が済んだら帰ってくる』

「ですけど。それなら秘密だなんて言わないで、普通に言ってくれたらよかったじゃないですか。東京で何してくるんですか?」

『……売るんだよ、絵を。そういう、イベントがある』


そう答える聡の声。どうしてこんなにも投げやりなんだろう。秘密が明らかになっていくにも関わらず、和馬の胸の内にはもやもやが増す。


「なんでそんなに、言いたくなさそうなんですか」

『知られたくないからだよ。無様なところを見られたくない』

「? 無様? 絵を売ることが?」

『いいや、それ自体はそんなことない。俺が、無様なだけだ』


え???


言っていることの意味は分からないけれど、聡の気分が下がっているのは確実に分かる。怒っているのではない。気のせいかも知れないけれど、どちらかというと和馬には彼が悲しんでいるように思える。

不明瞭で気持ちが悪く、さらに聞こうと思ったが、正直なところ今まで聞いたことのない聡の声音に動揺している。これ以上追及したら、彼が泣き出してしまうのではないかとさえ感じられ……、


『なあ、もういいか。……ごめん』


和馬が返すべき言葉が分からず黙ってしまうと、聡が静かに言ってきた、要するに「もう勘弁してくれ」。それへ和馬は、「は、はい……」と応える他なかった。




* * *




その翌々日の日曜日。和馬は朝から新幹線で数時間揺られ、東京に来ていた。

「秘密の用事」のことは一応聞けたが何かが解決した気がせず、かといってあの様子ではもう本人に聞くことはできない。なので和馬は、聡の言葉からヒントを得て、独自に色々と調べまくり、聡が来ているであろう場所ーーーとある、大きなイベント会場ーーーへと来たのであった。

今日ここでは、一般人による作品の即売会が行われる。調べた感じ「でかい手作り市」で、売っているものはちょっとした漫画であったり雑貨であったり、色々らしい。それが「絵を売る」に当てはまるのか、この領域に疎い和馬は分からなかったが、聡が「イベント」と言ったのと、どうやら聡本人が行って売らねばならないようであることから、ここと推測を立てた。


こんなとこ初めて来たよ。


会場の前まで来て、その建物の大きさと、人の多さと賑わい。この人たちは、基本的に他人の作品というものに興味があり、そういったコンテンツ全般を愛しているのだろう。自分とは明らかに異なる「人種」ばかりで密かに圧倒されながら、和馬は看板の案内に従って入り口に向かい、入場のためパンフレットを購入した。すぐに隅に寄り、ぱらぱらとめくるが、聡がどこにいるのか、そもそも本当にここにいるのかという答えは出なかった。


和馬は聡の絵も、ハンドルネームも、知らないのだ。




* * *





金曜夜から土曜にかけて、和馬は初めて真剣に、「イラスト界隈」の色々に触れた。

これまでも、なんとなくは知っていた。SNSをやっていれば、たとえそういうアカウントをフォローしていなくても、どこからともなく毎日どこかの誰かが描いた絵が流れてくる。今までは認識だけして流していたが、一昨日と昨日はその人たちのプロフィールを覗きに行った。

まず目に入るのはフォロワーの多さであった。多いと3万越え、そうでなくとも1万台や4桁。世界が違う。

そういった「絵師」たちが、時折参加するイベント。それが、和馬が今日来ているようなイベントである。


調べてみると、在庫に関しては自分たちで業者に作品のグッズ化や書籍化を依頼する場合も多いらしい。イベント当日は購入者の行列を捌くのが大変だとか、友達に売り子をやってもらったり、搬入搬出の手伝いをしてもらうといった話もあり、和馬は、聡さんも俺を使ってくれればよかったのにと少し思ったりした。


ーーーさて。


会場と会場を繋ぐ、ロビー。ベンチに腰掛け、和馬はパンフレットを改めてよく見る。聡のことが分からないなりにも、目星くらいはつけねばならない。

開いているページは、「一次創作 同人誌」のサークル参加者一覧表だ。その中でも、いわゆる「エロい絵」を扱うサークルが、和馬としては怪しいのではと思っている。

聡が絵を描いて売っていることを、頑なに秘密にしたがる理由はそれなんじゃないかと。それを「無様」と言うのかは和馬には分からないけれど、そんな内容ならば知り合いに言いにくいというのは想像に難くない。


というわけで、足を運ぶのはそういうものを扱うサークルが集まるゾーンである。広い空間には人、人、人。と、並ぶ長机。なるほどあれがカウンターというわけか。

入ってすぐに立っている大きな看板。会場の地図である。現在地と行きたいところを確認し、いざそちらへ。

机の列の間へ行くと、人混みをかき分けながら進むかたちになる。その中で、和馬はカウンターの向こう側の人らをなんとか確認しながら進む。

どうしても視界に入る、女の子や大人の女性の絵の、「そういった」絵。瞬間的に、好みだとかこれは違うとかのジャッジをしてしまいながらーーー俺が集中しなくちゃならないのは、そっちじゃねえよ!


「は……」


アダルト向けなゾーンを、一通りまわった。机の間の列を抜けると、和馬は一息ついた。疲れた。聡は、いなかった。

ならば、作戦を練り直す必要がある。和馬は壁際へ寄り、もう一度パンフレットを広げた。

といっても、先ほどまわったところにいなかったとなると、和馬が確実に分かることとしては「雑貨ではない」「研究や評論ではない」くらいしかない。聡から感じるイメージをもとに、可能性の高そうなところからひとつひとつ、まわるしか。




* * *




絵そのものや画集、グッズなどを売っているようなところ。ファンタジーものとか、学園ものなどなどの、「エロくない」漫画のところ。可能性は低そうだとは思ったが、イケメンな男の絵が乱立する、女性向けのところ。色々見たが、聡の姿はなく。


「しんど……」


ロビーに戻り、ベンチは空いていなかったので壁際で、和馬は掠れた声で呟いた。


やっぱいないのかなぁ。

それか、見逃したかなぁ……。


人混みの中にいるだけでも、疲れるものだ。カウンターの向こう側の人を、きちんと確認したつもりだけれど、途中から疲れてきて集中しきれなかったのは確かだ。

もう一度、まわった方がいいだろうかと思わないではないが、今の自分にはもうその元気はない。明日仕事だし、帰った方がいいだろうかと思いながら、最後にもう一度だけ見るつもりでパンフレットを広げた。


「あ」


開いたのは、サークル配置図だ。何気なく目に止まったのは、そういえばここ行ってないなという場所であった。

どんな作品を出すサークルが集まっているのだろうと確認すると、4コマ漫画、らしい。


これならあり得る。


和馬はパンフレットを閉じて、そのゾーンへと向かった。




* * *




そこへ近づくにつれ、人は少なくなっていった。助かったと思いながら、和馬は最後の集中力を使ってカウンターの向こう側を確認していく。

どういった作品かによってサークル側も客側も性別に偏りがあったが、ここは両方ばらばらだ。老若男女、入り乱れている感じ。

男性ばかりでなくて、この点も助かった。確認するまでもなく、女性を省くことができるからだ。


長机の間を、和馬は進む。

まずは右方を見ながら歩き、聡の姿はない。列の終わりまで行き、今度は違う方へ寄って見ていく。いてくれ。ここにいなければ、俺はもやもやを抱えたまま帰らねばならないことになる……、


と。


前方。見たことのある柄シャツが見えた気がした。近づいてみる。


ーーーあれは!


間違いない、聡だ。足早に長机の前まで移動すると、暇そうな顔をした聡がすっと顔を上げ目を丸くして、


「え」


短く、驚きの声を上げた。


「お……お疲れ様です」


和馬は、とりあえずこう声をかける。聡を見つけてその後どうするか、そういえば考えていなかった。


「な……んで」

「電話したときに聡さんが言ってたことからヒントを得て。これだったんですね、秘密の用事って」

「………まあ」

「やっぱり、別に隠さなくたっていいじゃないですか」

「………」

「誰か、手伝いの人いるんですか?」

「いや。一人だよ」

「じゃあ俺手伝っていいですか」


もともと、和馬としては聡と過ごしたかった週末である。ここで手伝って共に帰り、夕飯を一緒に食べられたらいいなという思いで聞くと、


「………。西野、俺のためだけに来た、んだよな」


返ってきたのはこんな質問であった。


「ええ、はい」

「結構、探した?」

「まあ……。色々まわって、最後にここ見に来たんです」

「そうか……」

「俺、学生のときは飲食でバイトしてましたから。お金のやりとりとか慣れてますよ。どうです」

「ん……」


聡が、複雑な顔をしてしばし口を閉じ、


「東京来るだけでも疲れるだろ。それに、ここまわるのもさ……人多いし。ちょうど荷物置きのために椅子二人分借りてんだよ。休んでくといい」


にこやかに、そう言ってくれた。

そんなわけで、和馬は長机の列の端から内側へ入り、聡の隣のパイプ椅子へ腰掛けた。

机上にはB5サイズの薄い漫画本の束が五つとそれぞれの値札、その表紙のパネル、お釣り用の小銭などが置かれている。絵というのは漫画のことだったのかと、初めて知った。


「しかしよく分かったな」


聡が、話を振ってきた。


「頑張って調べました。こういうイベント、聡さんがいなかったら一生来てないです」

「興味ないもんな。……だから、言っても来ないだろうと思ってたよ」

「いやー……はは。でも、調べてみるとみんな、一生懸命やってるんだなって。自分で業者に発注したりして。これも、業者ですか?」

「うん、そうだよ」

「すごいな……。何冊くらい刷るんですか? 百冊とか?」

「ある程度売れる人だと、それくらい刷れるだろうな」

「聡さんは?」

「、フフ」


会話の流れが止まった。和馬は、なぜそこで聡が笑うのか理解できずにきょとんとしてしまった。


「なんです?」

「いや。あー、俺は……今回は、十」

「十、」

「だけど予備で注文よりも少し多く来るから、実際に刷ってもらった数でいうと、十四冊になる」


言われて、和馬は思わず机上の新刊の束を確認した。ざっと見て、十数冊といったところか。


……と、いうことは……。


和馬の目線と表情から察したのだろう、聡が「今日は手に取ってもらえてないよ」と言ってきた。


「たぶん今日一日無理だろうな」

「で、ですけどまだ分からないじゃないですか」

「………」

「なんか、SNSとかやってるんだったら、フォロワーの人が来てくれるとか」

「確かに来てくれることもある。ただ、関西と四国の人だからなぁ。今回はたぶん、来てないと思う」

「フォロワーの住んでるところに偏りがあるんですね」

「……偏りというか……、まあ、でも、そう、か」


その返しの意味を、和馬ははかりかねる。が、電話のときと同じーーーこれ以上、聞けない雰囲気だ。聡の声のトーンも、段々と低くなって。


「あの。一番新しいやつ一冊買っていいですか」

「え、そんないいよ。いらないもん家にあっても困るだけだぞ」

「いらなくないですよ」

「気遣わなくていいよ本当に。絵とか漫画とか、興味ないんだろ。しかも漫画家とかでなく一般人の作品なんて」

「いや……でも、聡さんの描いたやつなら興味あります」

「……そ。じゃあ、ただでやるよ。搬出まで、手伝ってくれるだろ?」

「それは、はい。ですけど、いいんですか?」

「うん。ほい」


言って、聡が立ち上がり、新刊の束の一番上のを一冊取って渡してきた。それを受け取り、和馬はじっくり表紙を見、


「聡さんって絵上手いんですねー……。ちなみにこれって何冊売れば利益出るんですか?」


何気なく、聞いた。聡がまた短く笑って、


「全部売っても赤字だよ」




* * *




最終的に、聡の本は、一冊売れた。イベントの終わりまで一時間ほどというときに、女性の客が来て「新刊一冊お願いします」。にこ、として聡が対応し、和馬はその隣で聡と同じに立ち上がって、「ありがとうございます」自分もにこりとしておいた。


和馬は帰りの新幹線の中を、イベントで机上に並んでいた諸々の詰まったキャリーケースと、いつもの鞄を手に持った聡とともに歩いている。二人とも事前に席の予約をしていなかったので、先ほど二人で自由席の当日乗車券を買って、隣同士で座ろうという所存だ。

先頭を行く聡が、「お、ラッキー」と声を上げた。二つの席が並んで空いている。

ならばそこに座らない手はない。聡が窓側、和馬が通路側の席に座った。聡のキャリーは、和馬が荷棚へ上げてやった。


「はー、やっとちょっとゆっくりするな」


隣の聡が、言った。


「だけど西野、せっかく東京なのにほんとによかったのか? どっか寄りたいとことか。交通費だけで三万近く飛んでってるんだぞ」

「別にいいですよ。聡さんキャリーあるし、移動大変でしょ」

「俺と分かれてお前だけ遊んできてもよかっただろ」

「うー……ん。ですけど、今日は聡さんを見つけるために来ましたから。目的達成はできてるんで、大丈夫です」

「そーか。……隠しててすまなかったな」

「いえ。誰かと会ってるわけじゃなかったですから」


返しながら、和馬は一昨日の聡との電話を思い出していた。「無様な自分を見られたくない」という暗いトーン……、


「想像と違ったろ」


横から言われて、和馬は顔を上げた。


「悪いな、お金のやりとりとか、手伝わせてやれなくて。あのお客さんも、思わず俺が全部対応してしまったし」

「いえそんな。搬出とか荷物持ちとかでは、手伝えましたから。いつも一人でやってるんですよね?」

「うん」

「よかったら、今度から俺呼んでくださいよ。設営とかもあるんでしょ」

「……そう、だなぁ……」


聡が、遠い目をした。


「嫌ですか?」

「あ、そんなんじゃないよ。そうだな、今度。イベント出ることあったら……そのときは声かける」




* * *




それから和馬は、聡の「次のイベント」を待っていた。去年はぽつぽつとそういうときがあったので、今年もそれと同じように参加するのだろう、そしてそのときに、自分を呼んでくれるだろう……と。


しかし、である。

「秘密の用事」解明後しばらく経って、そんな時期になっても、一向に声がかからない。呼んでくれると言ったのにと若干傷ついたが、ここ半年ほど週末の予定をぼかされることがなく、そもそも自分と過ごしてくれる回数も増えていたことに気がついた。


「去年、東京で出てたみたいなイベント。次のいつ出るんですか?」


仕事終わりによく行く定食屋に、聡と来ている。向かいの席で白米を口に運ぶ彼へ聞いてみると、口の中のものを飲み込んでから彼が「もう当分出ない」と。


「ありゃ、そうなんですか。漫画は今も描いてはいるんですよね?」

「ん……まあ、描いてなくはないよ」


味噌汁を手に持つ聡。目は、合わない。


「だけど、もうイベントはいいかなー……」

「どうしてですか?」

「んー……」


と、唸ったきり。聡は、答えてくれなかった。




* * *





定食屋から出、聡とともに自宅へ帰った和馬の胸は、少しもやついている。聡がイベントに出ない理由を教えてくれなかったからだ。

答えをぼかすということは言いたくないということで、言いたくないということは、深く聞かない方が無難であるということで、


でも、なぁ……。


今日は泊まっていくからと、今、二次会のノリで宅飲み中。和馬は少し酔っていて、聡は割と、酔っている。和馬は酔うとナイーブになる傾向で、聡はへらへらしてくる傾向にある。


「それでさぁ、明日一緒に行ってくんないかと思って!」


聡が、横からぐっと体を寄せてスマホの画面を見せてきた。なんかいい感じのカフェだ。落ち着いた雰囲気で、食べ物や飲み物にこだわりがあり、おいしいと評判らしい。


「いいですよ。行きましょう」

「ん。じゃ決定」


と、会話の切れ目。聡のにおいだなあ、と思いながら、和馬は気になっていることーーーなぜ聡はイベントに出ることをやめたのかーーーを続けて再度、聞きたい衝動に駆られている。

聞けば、聡の気分は下がる……のだろう。けれど、気になる。好きな人の、秘密は。


「あの」


和馬の口は、気がつくと例のことを聡に聞くために言葉を発していた。

それは聞いてしまうなと、自分の中で声がしないではない。けれど……、


「気になるからもっかい聞くんですけど」

「うん?」

「漫画の、イベント。なんでもう出ないんですか」


ーーー聞いた。どきどきして、彼の返しを待つ。といっても、ゼロコンマ何秒という短い間だ。すぐに彼が、「あー、はははは」笑い出したからである。


「な、なんですか?」

「いや。フフ。いーよ、そんなに知りたいなら教えてやる。大した理由じゃないしなー」

「そうなんですか?」

「俺なー、実はあのとき……お前が来たイベントのとき……決めてたんだよ。三冊以上売れなかったらもうこんなことやめようって」


あのとき、終わりがけに新刊を買いに来た女性のことが思い出された。あれで一冊。自分を含めて、二冊。


「参加費も印刷代も交通費も宿泊代も、色々さ……意外とすげー金かかるし。そんな金払って、わざわざ東京まで行って、二、三時間ただ座って、自分の描いたもんがほぼほぼ誰にも必要とされないのを確認しに行くだけって。アホらしいだろ?」

「、いや、そんな……」

「あとなー、俺が漫画を描いてるのも悪いんだよ。ってまあ、他の……絵とか雑貨だって、大変だろうけどさ。漫画も結構、大変だから。家帰ってそれに時間注ぎ込んで、自分的にはすげー頑張って描いて、それで、売れるの数冊かよって。応援してくれる人も、読んでくれる人も確かにいると分かってんのにそんなこと思ったり。それで自己嫌悪、入ったりさあ……」


もー、疲れたから。


「だからやめたんだよ、ああいうの出るのは」


手伝うって言ってくれてたのにごめんなー、と言ってくる聡へ「いえ、」と答えながら、和馬はどんな顔をしていいのか分からない。

やっとはっきり、気がついた。イベントについて聞くことは、聡の傷を抉るのと同義であったということに。




* * *




隣では聡が眠っているが、和馬はどうにも寝つけない。

「大した理由じゃない」。思い返すと自嘲を多分に含む、聡の笑顔と笑った声が頭の中で延々とリピート再生されて、和馬の胸は鈍く痛む。


大した理由じゃないって。

大した、理由なんだろうに。


今思うと、自分と付き合い出した頃にはもうすでに「複雑」だったのだろう。それでも去年まで漫画を描いてイベントに出続けていたということは、傷つくのが分かっていてもやめないほどには、熱い想いがあったのだろう。


近頃の聡は、今まで通りきっちりしていて優しくて頼もしいのに、どことなく以前よりも、なんというかーーー和馬としては「ぼんやりした」感じがしていた。

自分的にもその表現ははまっていないのは分かっていても、そうとしか言い表せなかったのだが、今、はまる表現に気がついた。


「覇気がなくなった」だ。

「輝きが薄れた」でもいいのかも知れない。ともかく聡は、その度に傷ついていたとしても、漫画を描くことに燃えていたときの方が、きらきらしていたと思う。


聡さんならどんなだって好きだけど、きらきらしてくれてた方がいいに決まってる。

以前のように、漫画を描いてまたイベントに出てほしいな……。

思えど、もう安易には言えない。聡にこれ以上、傷ついてほしくはない。


「………」


でも絵を描く人って、そんなに、「そんな」なものなのかなぁ。絵が描けるだけで、ある程度は人気のあるものなんじゃないのかなぁ……。


ーーー聡さんは、どんな「絵師」なんだろう。

そういえば、SNSをやっていると言っていたことを思い出した。明日、聞いてみ……るのはよくない気がする……、


あ。


聡からもらった、あのときの新刊。さっと読んでとりあえずの感想を伝え、本棚の隅に眠っている、あれ。奥付に、SNSアカウントのIDが載っていたような。


隣の聡を起こさないようベッドから起き出して、スマホを手に取り、電気を点けず、和馬は静かに静かに数歩歩いて本棚をごそごそやり出した。今日は月が明るいのか、幸い、暗いながらもなんとか周りが見える。

といっても本の背表紙の文字を読むことは不可能だ。が、聡の本は和馬が持っている他の本に比べて格段に薄いので、分かりやすい。ほぼ手探りであったが、何なく見つけ出して本棚から引き抜いて、玄関へ向かった。

やっと電気を点けることができた。聡の本の一番後ろのページを確認する。ーーーあった。聡さんの、漫画描きとしてのアカウントID。

自分もそのSNSはやっている。スマホのアプリを開きすぐに検索をかけ、難なく、発見。迷わずそのアカウントのアイコンをタップした。


え、少な。


プロフィール画面。瞬間目に入ったそのフォロワー数に、考えるより先にそう思ってしまったのが自分でも嫌だった。

最新の投稿は、一週間前だ。ちょっとした絵。それに対する他人からの反応の数は、和馬の想像より遥かに少ない。

何とも言えない気持ちで、他の投稿も見てみた。他人からの反応の数はいつも「そういう」感じの数で、誰からも反応のないときもある。たまに人と会話しているから、仲のいい人はいるようなのは、よかったけれど。


ん……。


もともとアートの領域に疎い和馬には、正直なところ聡の絵の良さも分からないけれど、そんなに悪いとも思えない。ただ、この感じだと、聡が自嘲気味になるのもまあ、分かる気は……した。


和馬は本を靴箱の上へ置き、スマホの画面を切って腕を下ろすと、くっと唇を引き結んで俯いた。

走馬灯のように、あのイベント直前から今までの聡に関する記憶が脳裏を駆け巡った。

無様だと言った、投げやりな口調。会場や帰りの新幹線での会話。薄ら、「翳った」彼。そして今日、酒に酔ってやっと出た、本音……。

はらり。瞬きをすると、涙が一雫、床へと落ちた。


俺は聡さんの、何を見てきたのだろう?

こんなに近くにいたのに、応援もしてやらないで。それどころか、彼の痛みを知ろうともしてやらないで。


と。ひたひた、寝室の方から足音が聞こえて和馬ははっとした。咄嗟に目元を拭うも、涙は思い通りには止まってくれない。

かちゃ、と音を立てて、リビングと玄関を繋ぐドアが開く瞬間、トイレに逃げ込むことを思いついた。スマホをハーフパンツのポケットに入れ、さっとトイレへ入り鍵をかけた。

しかし、聡の本を靴箱の上へ置いてきている。それを玄関に入ってきた聡が見つけないわけはなく、またそれへ何かしらの反応を示さないわけもない。「うぇっ」と彼の驚く声が、ドア越しに聞こえた。

聡は、和馬がトイレへ入っていくのを見ている。和馬に声をかけるか悩んでいるようだ。だが、わけの分からないまま寝室へ戻ってくれればいいと和馬が願うのも虚しく、「に、西野?」ドアのすぐ前から、呼びかけられてしまった。

ならば返事をせねばと思うものの、今何か言葉を発すれば涙声になってしまう。落ち着くために深呼吸を繰り返すと、再度聡が「西野、大丈夫か?」心配そうに、聞いてくる。


「はい」


涙を拭って、なんとか返す。しかし優しい聡がこれだけで去っていってくれるはずはない。


「具合悪いのか?」

「いえ、」

「そ……そ、か」


会話が、途切れた。ドアの向こうで、聡が混乱しているのが目に浮かぶようだ。


出なければ。

ここから出て、今までのことを謝らなければ。そして、描いてくれとーーーもう一度輝いてくれと、言わなければ……。


「………」


涙が止まってからとは思ったが、いつになるか分からない。泣き顔を見られたくなく、詰まらずに話せる自信もなかったが、和馬の手はトイレのタオルに伸びた。あまり使われていなそうな真ん中らへんで目元を拭く。一息ついて、和馬は鍵を開け、ノブを下げた。


玄関へ、出た。俯いていても、完全に顔は隠せない。こちらを見るなり聡が「えっ、ど、どうした!?」ぎょっとして、正面から和馬の背中へと片手を添えてきた。彼に泣いている姿を見せるのは、これが初めてである。


「悪い。お……俺、何かしたかな」

「いえ、俺が」

「え?」

「俺が……俺が、ごめんなさい」


う、と涙が込み上げてきて、両手で顔を覆うこととなった。「うん……!?」聡が、意味が分からないといった感じで短く唸った。早く事情を、と思うけれど、聡が普通に、こちらの心配をしてくるのがつらかった。あなたの内側には、本当は他人の心配をするどころではない深さの傷があるんだろうに。


「今まで……さ、聡さんを、傷つけるようなことばかり言って」

「え? そ、そうだっ、けか???」

「イベントの……こととか」


キーワード。


言えば、聡の頭の上に浮かんでいた数多の「?」マークが、一気に消え去った気配がした。背中へ添えられた手が、強張るのが分かった。


「でも、俺……さ、聡さんに、もっかい描いてほしいです。それで、イベント、連れてってほしいです」

「…………」


黙り込む、聡。何か言ってほしくて、和馬は目元から手をどけて、彼の方を見た。

聡は目を泳がせて、半端に口を開き、言葉を失っているようだった。


「聡さん、」


泣き顔を晒すことになるけれど、もうどうでもいい。顔から手を離し、彼の両肩を掴んだ。はっとした彼の目と、目が合った。

わなわな、聡の唇が震えた。瞳は揺れて、こちらを見ているけれど見ていないようだった。彼の今見ているのはきっとーーー、


「考え、させてくれ……」


耐えきれず、聡の目が逸れた。絞り出すようなその声音には、これまで彼がそういった活動の中で感じたつらいもの全てが詰まっているような気がした。





* * *





和馬が少し落ち着くと、とりあえず寝室へ戻る運びとなった。リビングを通るのでそこの電気を点けて、ちらり、見る聡の横顔は暗い……、


「あっ。そうだ」


ふと、聡が言ってこちらを向いてきた。その瞬間には、たぶん一時的にであろうが、彼の顔は普通の顔に戻っていた。


「これだけは言っとかないと。……さっき西野、謝ってくれたこと。気にしないでいいからな」

「で……でも。俺、その」


これ以上のことを細かく言うのは、はばかられた。言えば、聡が余計に惨めになることに気がついたからだった。


「悪気あったわけじゃないだろうし」

「それは、そうですけど」

「俺がな。俺がもうちょっと……」


聡の視線が虚ろに落ちて、すぐまたこちらへ向いた。にこり、上がる口角と細まる目が、痛い。


「とにかく、西野は悪くない」

「聡さ……」

「朝までソファ借りてていいか。お前のこと怒ってるわけじゃなくて、ただ、一人で考えたいだけだから」


ごめんな……。


怒っていない、という言葉を裏づけるためであろう、聡が、短く頬へ口づけてきた。

そんなであるので、和馬は一人、自分のベッドに戻り布団を被った。が、すぐに眠りにつけるわけはない。

泣いた直後と深夜せいでぼうっとする頭で考えるのは、「聡さんのために、自分に何かできることはないか」。

聡は、漫画を描くのは大変だと言っていた。自分には絵を描くことはできないが、その他のことーーーたとえば家のことを手伝ってやるとかーーーで多少、サポートはできる。


あとは。あとは、何かないか。

しばらく考えたが、それを思いつくには、まだまだ自分は聡の参加している世界のことを知らなすぎる。

和馬は、枕元に置いていたスマホを手に取って、インターネットブラウザアプリを立ち上げた。知らないなら、調べよう。そしたら何か、見えてくるかも知れない。




* * *




ふっ。

と目が覚めると、朝だった。色々と調べている間に、自分は寝落ちていたらしい。

リビングの方から物音がする。聡はすでに起きているようだ。

枕元に投げ出されているスマホの画面を点けて、時間を確認した。十時二十二分ーーー意外と寝ていた。

寝室を出ると、ソファに腰掛け勝手に茶を用意して、聡がくつろいでいた。「はよ」と笑いかけてくる顔が疲れている。きちんと、寝れたのだろうか……。


「おはようございます」

「お前寝れた?」

「はい……、聡さんは?」

「寝れたような、寝れてないような」


そうだろうなあ。


「あの……昨日の話」

「あー、うん」

「後で、してもいいですか」

「……。うん」


一応ではあるが聡の同意を得た。ということで、和馬は支度を終えると、リビングへ戻ってきて、聡の隣へ腰掛けた。

「イベント。どう、ですか?」

単刀直入に、聞いた。聡が手元の茶を見つめたまま「んー……」と唸り、


「やっぱ、パス」


と。


なぜですか、とは聞けなかった。理由なんて簡単に想像がつくからである。


「夜な。俺も、もっかい考えて。だけどやっぱ、……怖えよ。あそこ出るのは」

「怖い、」

「うん。……出て、いい思い出が全くないわけじゃない。出てよかったと心から思ったことだってあるよ。けど、……そこそこ心に『来る』んだよー、そのときの自分的には傑作だと思って出したもんが、他の人からしたら全然なの。他人の評価を気にしてるなんて野暮だって。こんなの、ものを作って世に出してる人からしたら『あるある』だって、分かってたって……つらいもんはつらいし、自分が嫌んなる。応援してくれる人は確かにいるのに、それより数に目が行くなんてさぁ」

「……」

「でも、お前に描いてくれって言われて、嬉しかったよ。もともとは漫画を、描きたくて描いてて。イベントなんてどうでもよかったわけだから。これからもちょこちょこ、描くだけは描いて……」

「駄目です」


和馬は気がつくと、そう言って聡の言葉を遮っていた。

ふつふつと和馬の胸に湧いてきたのは、意外にも、怒りに似た感情であった。

昨晩自分は色々と調べ、リベンジのための策を考え始めた。それなのに当の本人は、そんな半端ことをのたまうとは。「やらない」と決めて、こんなにも、輝きを失っているくせに。


「だって、聡さんは、『描いてて楽しい』から一歩進んで、『他の人にも楽しんでほしい』になってるわけでしょ。なのにまた自分だけで楽しむ世界に戻って、満足できるんですか」


昨日、少しは分かったつもりだ。彼がこの件で、どれほどに傷ついているか。伴って、どれほど、楽しいはずのそれに対して恐怖を抱くようになっているか。

決して、無理はしてほしくない。けれど、諦めてほしくもない……。


「夜に……調べて。ものも大事だけど、売り方とかも結構、大事だって書いてありました。お客さんに声かけたりとか、聡さん、してますか?」

「……してない」


聡の声のトーンが下がった。和馬は彼を責めたかったわけではないが、言ったすぐ後、そう聞こえても無理のない言い方と口調であったことに気がついた。

会社で彼が総務という部署を希望しているのは、お客への声かけやセールストークが苦手だからだ。営業や店舗に飛ばされたら会社を辞めると言っていたのを、聞いたことがある。


「あの……でも、そういうのがあったら、もっと売れるんじゃないかと思って」

「まあ……。だけど俺、苦手なんだよ」

「知ってます。そこで、ですよ」

「え?」

「今、すぐ近くに、協力してくれそうな営業マンがいますよね?」


言えば、聡がこちらへ視線を移してきた。


「だけどあれは、営業ってより接客スキルの方が必要なんじゃないのか」

「そうですが。でも、聡さんと比べたら俺の方が、間違いなくそのスキルはあると思います」

「それはまあ……」

「ですから、聡さんが描く。俺が売る。これでどうですか」

「気持ちは嬉しいけど。西野に迷惑かけるわけには」

「迷惑なんかじゃないです。俺、聡さんにイベント手伝い呼んでもらえるの楽しみにしてたんですよ」

「……だけど俺、きついよ。イベント終わる頃には西野ががっかりしてると思うと」

「がっかりするかどうか、やってみなくちゃ分からないでしょ」

「………」


聡が頭を抱え、肘を太腿の上へついて、ぐっと俯いた。しばし黙って「俺だって出たくないってわけじゃねえけどさ……」呟く彼へ、和馬は「前出てたイベント、今度のは*月です」すかさず、言ってやる。


「他のでもいいですけど」

「いやー……でもなぁ。出るならそれだろなぁ……来る人の数もな……多いし……」

「だったら。今から準備して、間に合うんだったら」

「………」

「お金とか、俺も出します。家事とかの手伝いもします、その他、力になれることなら何でも」

「分かった、分かったよ」

「、聡さん」


観念した、といった感じで、聡が顔を上げた。


「だけどほんとに……無様だぞ」

「そんなことありませんよ。もしも誰にも買われなくたってそんなことないし、というか、俺が絶対、売りますから」

「うん……、」


聡の瞳が、つらい記憶に揺れている。けれど、「嫌だ」とは、言わない。「嫌」では、ないからだろう。描くことも、それを世に出すことも、心からは決して嫌いにはなれないのだろう……。


「……それじゃ、イベント。家帰ったら申し込むよ。お前も来るテイで」


聡の口元に浮かぶ薄い笑み。孕むのは、悲しみと諦めとーーーほんの微かな、でも確かな、熱い温度。

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