帝仕えの[送り部]女官~貴方の魂、私が黄泉へと導いてみせます~

葵すもも

第1章 【風変わりな太子編】

§001 送り部の少女

 遥か昔、日本とも中国とも異なるこの国には、『霊』と呼ばれるものが存在していた。


 その種類は精霊、守護霊など多岐にわたるが、とりわけ、『浮霊ふれい』と呼ばれる霊に対処するのが、喫緊の課題となっていた。


 『浮霊』は、現世への執着から生じた霊魂であり、一部の例外を除き、人間に害をなす存在であるからだ。


 時の帝は、そんな浮霊に対応すべく、霊の魂を鎮める特殊な異能を持つ者を地方から集め、『除霊師』として、帝直属の特別官吏に登用した。


 その中でも一際秀でた力を持つ家柄に、久遠家くおんけというものがあった。

 久遠家は代々優秀な除霊師を排出し、帝の命の下、数多の浮霊を黄泉の國へと送ってきた。


 そして、現在、久遠家の当主は、弱冠十六歳の少女が務めている。


 彼女は歴代の久遠家の除霊師の中でも、とりわけ、特別な異能を有していた。


 人は彼女のことを、尊敬と畏怖を込めて――『送り部おくりべ』――と呼んだ。


 ♦♦♦


「さすがは瑠璃るり様! 他の除霊師が処理できなかった浮霊問題を一瞬で解決しちゃうなんて」


 地方特別官吏の名家、久遠家の一室にて、同家に遣える女中の真緒まおが目をキラキラさせながら言う。

 そんな彼女の横で、整然と正座をして味噌汁を啜るのが、久遠家の当主瑠璃るり


「今回は偶々相性がよかっただけだ。私は他の除霊師のように除霊呪文が使えるわけではないからな」


 そんな言葉を真緒は謙遜と受け取ったのだろう。

 更に目を輝かせて、静かに椀を煽る瑠璃に食い気味に話しかける。


「確かに現代における浮霊の対処方法は『除霊呪文』が一般的です。でも、そんな中、瑠璃様は『浮霊の未練を晴らす』ということに大変なこだわりを持たれています。浮霊に寄り添った瑠璃様のお考え、大変尊敬しています」


 こだわりと言われてもなぁ……と瑠璃は静かに嘆息する。


 別に『浮霊の未練を晴らす』というのが瑠璃のこだわりというわけではない。

 久遠家に生まれたがゆえに浮霊を黄泉の國に送ることは宿命だとは思っている。


 しかし、それとはまた別の話として。


「……私はしかできないからなぁ」


 瑠璃が持って生まれた異能。

 それは、除霊師の名家である久遠家においてもかなり希有な『霊の声を聞くことができる』というものだった。


 浮霊を強制的に黄泉の國に旅立たせる『除霊呪文』を行使できない瑠璃は、除霊師としては最弱の部類に入るかもしれない。


 しかし、見方によっては、浮霊の声を聞くことによって、通常の除霊呪文が効かないほどに強力な未練を有する浮霊をも取り除くことができる、唯一の存在とも言えるのだ。


「でも、霊の声が聞こえるって想像つかないんですよね。結構はっきりと聞こえるものなのですか?」


 まったくこの宮女はよくしゃべる。

 瑠璃が主人である自覚がないのか、それとも口から生まれてきたのか。

 と愚痴りたくもなるが、まあ、自分のような特殊な存在に対しても分け隔てなく接してくれるところは嫌いではない。


 瑠璃は瞑目しながら真緒の問いに答える。


「はっきり聞こえる霊もいるが、それはもう霊に依るとしか言いようがない。ただ、私ができるのは霊の声を聞き取ることができるだけであって、会話ができるわけではない」


「うぅ~みたいな呻き声が聞こえたり?」


 真緒は若干顔を蒼くして自身の手で腕を抱く。


「大概はうわごとのような声が一言二言聞こえる程度だ。だから私の仕事は、除霊というよりは、その少ないピースから浮霊の未練を汲み取るところにある」


「ほぇ~。推理ゲームのようなものなんですね」


 そんな特に実りのない会話を交わす折り、真緒は何かを思い出したようにポンと手を叩いた。


「そういえば、この前宮中を訪ねた時に聞いた話なのですが、何やら『翡翠宮ひすいきゅう』の花壇に花を植えても数日と経たずに枯れてしまうらしいのです。瑠璃様はこれをどう思われますか?」


 翡翠宮とは、宮中に複数存在する宮の一つの名称だ。


 宮の中でも花が咲き誇る優美な宮であると聞いたことがあるが、それにしても花壇の花が枯れるとは、また奇っ怪なことがあるものだな。


「今の段階では何も言えないな。もちろん浮霊の可能性は否定できないが、土に毒素か何かが含まれているということも考えられる」


 ただ、瑠璃は直感的に、これが浮霊の仕業であると思っていた。

 そんな予想は良くも悪くも的中してしまう。


 翌日、宮中から帝仕えの使者が瑠璃の下に送られてきたのだ。


 使者は飛燕ひえんと名乗った。


 どちらかといえば、感情の起伏が少なく、冷静沈着な雰囲気を纏った美男子だった。

 齢は……二十歳そこらか。


「それで、私にその翡翠宮における浮霊事件を解決してほしいと?」


「そのとおりでございます。今回は陛下直々の命ですので、どうかご協力いただければと思います」


 飛燕の説明によると、翡翠宮の件は概ねこんな感じだった。


 浮霊が初めて目撃されたのが約二週間前。

 翡翠宮仕えの宮女が花の手入れをしようとしたところ、花壇に立つ白い女性を目撃した。

 それと同時期に、花壇の花が一斉に枯れ始めた。

 ただ、宮女は浮霊というものをあまり信じていなかった。

 そのため、もしかしたら土に悪いものが含まれていたのかもしれないと考えて、一度、土を入れ替えた上で、再度、花を植えた。

 しかし、その花も数日も経たないうちに全て枯れてしまった。

 さすがにおかしいと思った宮女が、上司に当たる宮女に報告したところ、この事件が明るみになったということだ。


「状況はよくわかった。ただ、さすがにその場に行ってみないとどうにも判断尽きかねる。何分、私にできることは、霊の声を聞いてあげることだけなので」


 そうして、翌日、瑠璃は飛燕と共に翡翠宮を訪れた。


 そこは翡翠の色をした飾り瓦が特徴的な綺麗な宮だったが、飛燕の説明のとおり、翡翠宮をぐるりと取り囲む花壇は全て枯れ果て、宮中内にある草木にも影響が出ているように見えた。


 この花壇が花で一杯になればさぞ美しいのだろうな、という感想を思わず漏らす。


 そして、宮中を案内していた飛燕が一つの花壇の前で足を止めた。


 瑠璃にもここが浮霊の目撃報告があった場所だとすぐにわかった。


「いるな」


 瑠璃の視線の先には、白い少女が立っていた。


 いや、この言葉は適切ではない。

 高く結い上げられた髪から女性だと判断はできるし、身に纏う服からかつては宮女であったのだろうことは判断できるが、その見た目はひどく醜く、生前の麗しかったであろう姿は見る影もなかった。


 浮霊とは残念ながらこういうものなのだ。


「申し訳ないですが、私には浮霊は見えません」


 飛燕は眉を顰めながら言う。


 浮霊は全ての者に見えるわけではない。

 浮霊を見るにも、『霊感』という才が必要なのだ。


 しかし、これは瑠璃の異能の付属効果のようなもので、解決が可能である。


「おぬしは忍耐強い方か?」


 瑠璃は尋ねる。

 飛燕は質問の意図がわからず一瞬困惑した表情を見せたが静かに首肯した。


 それを見た瑠璃はコクリと頷き返すと、飛燕に詠唱を施した。


「……あっ」


 その瞬間、飛燕は微かな吐息を漏らした。


「おぬしと私の感覚を共有した。これでおぬしも浮霊が見えるし、浮霊の声も聞こえるようになる」


 浮霊は一般的には人に害をなす存在。

 そのため、その姿を見るだけで卒倒したり、気分が悪くなってしまう者が一定数いる。

 それが、声も聞こえるとなったら尚のことだ。


 先ほどの瑠璃の質問はその確認だったのだ。


 飛燕は初めて見る浮霊に一瞬顔を顰めたが、嘔吐や卒倒することはなく、なんとか踏みとどまっているようだった。


「忍耐強いというのは、偽りではなさそうだな」


「……私もこの事件を見届けたいと思っていますので」


 忠誠心が強いのだなと軽く笑った瑠璃は、表情を正すと、一歩浮霊に近付く。


 すると、その浮霊が何かうわごとのように呟いているのが聞こえた。


「(……は、はな)」


「……花?」


 人の名前か、いや、この場合は素直に『花』と捉えるのが妥当だろう。


「瑠璃様、浮霊は何と言っているのです?」


「ただ一言、……花と」


「花ですか」


 瑠璃はこれまでの情報を元に思考を巡らせる。


 ……宮女の浮霊、花、翡翠宮、取り囲むように作られた花壇。


 ん、そういえば、飛燕が訪ねてきた時、少し気になることを言っていたことを思い出した。


「そういえば、おぬしは昨日、と言っていなかったか? 花壇の手入れは本来庭師がするものであろう。それなのに、なぜ宮女が花壇の手入れなどしているのだ?」


「ああ、それは一ヵ月ほど前に翡翠宮を担当していた庭師が亡くなったからです。そのため、代わりの庭師を手配するまでの間、翡翠宮仕えの宮女が代わり花壇の手入れを行っていたのです」


「……なるほど。そういうことか」


「何かわかったんですか」


「飛燕、その庭師が翡翠宮で働くようになって以降、亡くなった宮女がいるか調べてくれるか」


「はい?」


 その翌日、瑠璃と飛燕はとある墓を訪れていた。

 それは墓というには非常に粗末なもので、森の中にひっそりと佇む石碑のようなものだった。

 墓前には、既に朽ちかけた花。


 その花はこの国で古来より親しまれている青紫色の美しい花――『桔梗』だった。


「彼女が浮遊の正体だったのですね」


 この墓に埋葬されているのは桔梗という名の宮女。

 まさに墓前に供えられている花と同じ名前を持つ者だった。


「彼女と亡くなった庭師は恋仲だった。そんな中、彼女だけが先に他界。残された庭師は、ここに墓を立て、彼女の名前と同じ花を毎日供えていた。しかし、先日、庭師の男も亡くなり、彼女の墓に花を供える者がいなくなった。その結果、彼女は浮霊となり、花を求めて花壇を荒らして回ったということだな」


「彼女にとっては、彼が供えてくれる花こそが彼との唯一のつながりだったのでしょう。それを断たれてしまった彼女の悲しみは察するに余りあります」


 飛燕はそう言うと、瑠璃へ問う。


「彼女を黄泉の國に送ってあげることは可能ですか?」


「無論。私は除霊師だから。その代わりの報酬と言ってはなんだが、おぬしに、いや陛下に一つ頼みたいことがある」


 ♦♦♦


「なるほど。さすがは現代最高の『送り部おくりべ』。噂に違えぬ働きだな」


 飛燕から此度の件の報告を受けた帝は、思わず笑みを漏らす。


「して、瑠璃の頼みとは?」


「はっ。彼女が此度の報酬として出した条件。それは、庭師の遺骨を彼女と一緒に埋葬してあげること。そして、その墓の周りに桔梗の種を蒔いてあげることです」


 帝の前で平伏した飛燕は、跪いたまま答える。


「それが彼女なりの除霊の方法ということか」


「はい。瑠璃は言いました。宮女の浮霊はそれほど強い浮霊ではないから、一般的な『除霊呪文』でも十分対処することが可能だった。でも、せっかくなら愛する人と一緒に、大好きな花に囲まれて、黄泉の國へと昇ってほしい……と」


「今代の当主は、心優しき娘だな」


 そう帝が口にした直後、ドタドタと一人の男が入ってきた。

 飛燕は何事かと一瞬そちらに視線を向けたが、その男の顔を確認すると、更に平伏を強めた。


「……風月ふうげつか」


 風月とは帝の第三の息子、つまりは太子に当たる。

 そんな風月に帝は立て肘をついたまま視線を向ける。


「父上。翡翠宮の件は、私も一部始終を見ていた。可能であれば、私もあの麗しき娘に頼みたい義がある」


 世継ぎに全く興味のない風月が、瑠璃のことを『麗しき娘』と評したことが帝には意外であった。


にしか興味のないおぬしが、どういう風の吹き回しだ?」


「…………」


「言えぬか。まあいい。紹介してやらんこともないが、一つ条件がある」


「条件とは?」


 そんな珍しく必死な風月を見た帝は、まるで余興を楽しむかのように、ゆっくりと口の端を上げた。



「――風月、あの娘をめとれ。そうすれば、彼女を紹介してやらんこともない」


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