第32話 処罰

 王宮の朝は早い。


 いや、早くから起きているのは女中たちだけで、官僚たちはそこまで早いわけでもない。官僚も様々で、王宮内に住む者もいれば、外に家を持つ者もいる。国王に近いものほど、王宮内にその身を置いている。


 リダファは眠れないまま朝を迎えていた。


 友人でもあるイスタ、そして大宰相エイシルが謹慎となり、会うことすら出来なくなった。ララナは、若き外交官ウィルが連れ去ってしまった。もう、王宮にはいない。


 出発の際、王宮に向け礼をしていたララナの姿を思い出す。


 彼女を思い出せない。

 ずっと自分に嘘をついてきた女だ。このまま思い出す必要もないだろうと考える自分と、思い出さなければ駄目だと必死になる自分が頭の中でせめぎ合っている。


 ふと、窓の外を見ると、ウィルが歩いてくるのが見えた。リダファは急いで着替えを済ませ部屋を出ると、来たばかりのウィルを捕まえる。


「ウィル!」

 思いがけない相手に声を掛けられた、とばかり、ウィルが驚いた顔でリダファを見た。

「これはリダファ様、おはようございます」

 いつもの、人のいい笑顔。しかし眼だけが笑っていない。リダファは、気付かなかった。

「昨日は……その、」

 視線をあちこちに動かしながら、落ち着かないリダファ。ララナのことを聞きたいのだろうことはわかる。が、すぐには答えてやらない。


「大変でしたね、リダファ様。まさかなどとは……心中お察し申し上げます」

 恭しく礼などしてみるも、内心楽しくて仕方なかった。

「いや、それは、」

 もじもじしたまま二の句を継げないリダファを前に、ウィルは、

「なにか?」

 と首を傾げてみせた。

「ああ、その、ララナのことを、」

 やっとその名を出すリダファに、ウィルは大袈裟に反応してみせる。


「ああ、ララナ様ですね! ええ、差し出がましいようですが、我が家で丁重におもてなしをさせていただいております。屋敷は決して広くありませんが、私だけしかおりませんので気兼ねなく寛いでいただけるかと」

「ウィルしか……いない? 家族はっ、」

「なにぶんまだ独り身ですので。両親は別に住んでおります。あ、でもご心配なく。きちんと女中がララナ様のお世話をさせていただいております」


 独り身の男の家に、ララナはいるのだ、と知るや、リダファの中のモヤモヤが急に増幅し始める。勿論、ウィルは家臣であり、今やララナは処罰対象者だ。リダファが何かを言えた義理ではないことくらいわかっているのだが、それでも。


「……ララナは……大丈夫か?」

 そんな質問をするのが精一杯だった。

「それが、少々気になることが……、」


 ウィルが言いかけたとき、門の外から二人の兵士が馬に乗って駆け込んできた。

「リダファ様!」

 血相を変えて馬から飛び降り、リダファの前に跪く。

「一体何事だっ?」

 リダファが訊ねると、

「バルム山にて早朝、山崩れが発生! 麓の村を飲み込んで、甚大な被害が出ておりますっ!」

「なっ、」

「まさかっ!」

 リダファとウィルが同時に声を上げた。

「至急、対策を!」

 リダファは大きく頷き、兵士二人を連れ王宮の中へと走っていった。残されたウィルは、口に手を当て、今朝の出来事を振り返る。


『山が崩れますっ! お願いっ、早く皆を助けないと!』


 半泣き状態のララナにそう懇願されたのは、ついさっきのことだ。ウィルはただ怖い夢でも見たのだろうとララナを諭した。だが……今の話。まさにララナが見た夢の話と同じではないのか?


 ぶるっ、と頭を振り、ウィルも王宮へと向かったのである。


*****


 ララナは窓から外を眺めていた。本当は王宮に行って、リダファに直接話がしたかった。どうしてかはわからない。けれど、夢に見た光景は多分現実に起きているのだ。一体どれだけの被害になっただろう。

 ウィルの屋敷では、何もすることがない。起きて、食事をして、ただそれだけ。


「ララナ様」

 女中の一人に声を掛けられ、振り返る。

「もし時間を持て余すようであれば、書庫にでも行かれますか?」

「書庫?」

「はい。ウィル様は各国の書物を沢山お持ちです。ララナ様が読める本も、中にはあるのではないかと」

「ありがとう。そうするわ」

 せっかくの好意を無駄にするのも申し訳ない。気ばかり急いても仕方がないのだ。あの土砂崩れのことはウィルに話してある。きっと今頃、王宮ではそれについての話がなされているだろう。そう、信じるしかない。


 案内され、屋敷の奥にある一室へ。

 中は壁中に本が置かれた、書斎のようになっている。


「うわ、これは……すごい」

 色々な国の本が並んでいる。中にはニースの言葉で書かれた本もあった。ゆっくりと見て回り、気になる本を手に取った。

「これって……、」

 それは表紙にある紋章が入った古い本だ。

「クナウの……古い紋章?」


 エルティナス国、外交官であり研究者でもあるマシラとのやり取りで、ララナも少しだけクナウの文化やその世界について詳しくなっていた。間違いないだろう。これは、クナウ文化に関係する書なのだ。

 部屋に置かれているソファに座り、ページを開く。さすがにクナウの言語を読み解くまでには至らないが、そこに描かれた挿絵や地図はとても興味深いものだった。

 中でも目を引いたのは、祭壇を前に舞を舞う巫女のような女性が描かれた挿絵。


「これってマシラ様が言っていた、生贄の巫女なのかしら?」


 災害を鎮めるために数百年に一度捧げられるという巫女。どういう経緯で、どうやって、どこに? という素朴な疑問も残るが。しかし、クナウという都市自体、もはや存在しないもの。だったらもう、巫女も必要のない存在であろう。

 ペラ、とページをめくると、地図が書かれていた。少し形は違うものの、それは大陸の地図である。クナウとは、いったいどの辺りにあったのだろうと目を凝らす。ニースの近くの島だと聞いた気がする。島の崩壊によって流れ着いた民がニースの地に落ち着いた、と、そんな話だったが。


「……これって、」

 地図を見る。


 マシラと話していたクナウの話とは、違うことがそこには書いてあるように思う。

 もし、自分が感じたこれが事実だとしたら、もしかしたら……、


「手紙を……書かなければっ」


 ララナは本から顔を上げ、思い詰めたようにそう呟いたのである。

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