第31話 新生活

 馬車に引かれ向かったのは、外交官ウィル・ダフラの屋敷である。屋敷と言ってもそう大きなものではない。王宮と比べれば、の話である。


「お帰りなさいませ」

 女中に迎えられ、中に。

「……あの、お邪魔……します」

 遠慮がちに中に入ると、シンプルながらも整えられた室内には、センスのいい調度品が並ぶ。


「遠慮はいりませんよ。ここには私しか住んでいませんから」

「えっ?」

 まさか一人暮らしだとは思わなかったララナは、驚いてしまう。

「両親は妹夫婦と別のところに住んでおりますので。……大丈夫ですよ、住み込みの女中がいますので、ララナ様のお世話はちゃんとできますから」

「いえっ、そんな、お世話だなんてっ」


 自分は厄介者である。それは百も承知だ。そもそも自分は反逆者という扱いを受けてもおかしくないのだから、身を寄せる場所を提供してもらえるだけでも有難い話なのである。


「殺風景なところではありますが、どうぞ自由にお過ごしください。ただ、」

 声のトーンを少しだけ下げ、

「どこかに逃げてしまわれると、私が処罰されます。どうぞ屋敷の敷地を出ることだけは、しないでくださいね」

「そんな……当り前じゃないですかっ。どこにも行きませんっ」


 必死の形相でそう言われ、ウィルは神経が昂るのを感じていた。


 ついさっきまで一国の姫だった女が、化けの皮を剥がされ、ただの女になった。自分なしでは何もできない無抵抗の女……。この状況が想像以上に興味を掻き立てる。


「では、まずはお部屋にご案内しますよ」

 ララナの部屋は自身の寝室の隣。しかも二つの部屋は行き来が出来るよう、真ん中に扉が備え付けられている。これはもともと、主寝室と子供部屋であり、夜中に子供が泣いた時にすぐ駆け付けられるようにというものである。


「狭い部屋で申し訳ありませんが」

 部屋に案内し、ウィルが声を掛けると、

「とんでもございません。感謝いたします」

 と、ララナが頭を下げた。そして壁のドアに気付くと、

「このドアは?」

 と訊ねる。

 ウィルは扉を開け、

「こちらは私の寝室です。何かあればすぐに駆け付けますので、いつでも遠慮なさらず」

 と返す。


 ララナは頬を赤く染め、

「いえ、ダイジョブ……です」

 と言った。


 リダファ以外の男性と同じ屋根の下で過ごすことになるなど、考えたこともなかった。今更ながら、どう接していいのかわからなくなってくる。


「では、食事にしましょうか」

 ダイニングに連れられ、二人での食事。気まずさから伏し目がちになるララナに、ウィルは当たり障りのない会話を持ち掛けて場を和ませた。次第にララナも饒舌になり、勧められるまま果実酒まで飲んでしまう。

 ほんのり赤らんだ顔で目をこするララナに、ウィルがにっこりとほほ笑む。

「あれこれ考えて眠れない夜になってはいけないと、つい飲ませてしまいました。今なら眠れそうですね?」

 そう言われ、ララナはウィルの優しさに感動してしまう。

「そんなことまで……ウィル様はお優しいのですね」

 小さく笑うララナ。ウィルは首を振ると、

「それはどうでしょうか」

 と、意味深な返事をした。


「ではララナ様、ゆっくりお休みください」

 女中にララナを部屋に連れていくよう頼むと、食卓でグラスを煽る。


 得も知れぬ感情が、膨らみ始める……。


*****


 部屋に戻ると、ララナは寝着になり、早々にベッドに潜り込んだ。王宮とは違う小さなベッドだが、本来、自分にはこれでも大きすぎるほどだったのだ。


 ウィルの言う通り、王宮を出された今日、頭の中では様々なことがグルグルと駆け巡り、悲しみや不安から眠れない夜になっていただろう。その緊張をほぐし、目を閉じればそのまま眠りに誘われるほどの睡魔を用意してくれたウィルには、感謝しかなかった。


 考えなければいけないことは沢山あるのだ。けれど、頭も体も疲れ切っていた。

 ララナは目を閉じ、そのまま深い眠りの中に落ちてゆく……。


*****


 ほんの出来心だ。


 そう自分に言い聞かせ、夜も更けたころ、ウィルは隣の部屋に続くそのドアを開けた。ただ、様子を見ようと思っただけだ。やましい気持ちではない。そう、言い聞かせながら扉を潜る。


 ベッドに横たわる姿が見える。近付けば気付かれてしまうかもしれない、と、しばらく遠くからその姿を眺める。だが、ララナが目覚める様子はない。少しだけ、近付く。


 今まで、若い女性への興味がなかったわけではない。だが、言い寄られ交際することはあれど、自分から誰かに興味を示したことなどなかった。今、何故こんなことをしているのか、ウィルには理解が及ばない。


「……う、ん」

 ララナが寝返りを打つ。ウィルが慌てて一歩引くも、またすぐに静かになる。


 一歩、また一歩と近付き、ベッドの横に膝をつき眠っているララナを見つめる。無防備なその姿に、つい笑みがこぼれた。

「ララナ……」

 名を、口にしてしまう。すると、眠っているララナがうっすらと笑ったのである。その顔を見たウィルは、思わず手で口を押さえた。こんなに可愛い生き物が、この世に存在するのか!


「……ララナ」

 今度は耳元近くで名を呼んでみる。ピク、と肩を震わせたララナは、その名を口にした。


「……リダファ……様」


「っ!」

 ウィルが立ち上がり、後ずさる。


「リダ……ファ、さ……ま」

 ララナの頬を、一筋の涙が伝う。


 それを見た瞬間、何かどす黒いものがウィルの中に生まれた。


 踵を返し、自室に戻る。

 ドアを閉めたその手が、小さく震えていた……。


*****


 見えてくるのは山。


 あの山は、リダファが土砂崩れに遭った山に似ている……? ゴゴゴ、という地鳴りと流れる土砂。それは前回の比ではなく、大きく崩れた土の川は山里の村をも飲み込んでしまう。大きな木々がなぎ倒され、人も、家畜も、畑もみな茶色の濁流に飲み込まれていく。


 いけない! 早く逃げて! 何度も叫ぶけれど届かない。

 届かない!


 どうすることも出来ない自分に、ララナはただ、涙を流すことしかできなかったのである。

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