第14話 大事件

「では、二人とも海へ……?」

「どうやらそのようなのです」


 ここはカラツォ国。


 公務のためアトリス国から出立した船が港に着岸した。出迎えに訪れたカラツォの外交官フリス・パンジャは、顔面蒼白で慌てふためくハスラオの話を聞き、同じように顔面蒼白になる。


「深酒を醒ますため甲板に出ると仰り、外に行くところは見ているのです。が、そこから先は私にもわからず……。ただ、甲板にリダファ様のお召し物の一部がありましたので、もしやバランスを崩しそのまま海へと、」

「奥方様もかっ?」

「ララナ様のことは、私は見ておりません。ですがお二人の姿がないということは、多分ララナ様も……」


「捜索はっ?」

 お二人が船にいないと発覚したのが着岸直前だったもので。今、海上警備の船を手配しておりまして、準備が出来次第、沖に出ます。が、落ちたのが昨夜ということであれば恐らく……」

 生きてはいない、とは口にしないでおく。


「二人は結婚してまだ日が浅いとのことでしたな?」

 フリスが腕を組んで何かを考え込む。

「そうですが?」

「もしやそのニースからの娘、リダファ様の暗殺を……?」

「暗殺っ?」


 思わず声を荒げてしまうハスラオ。その驚きがあまりに自然だったからか、フリスが慌てて否定する。

「いやいや、まさかそのようなことはないと思いますがね。大体、ニースがアトリスの次期国王を暗殺する理由がない。でしょう?」

 フリスに訊ねられ、しばし考え込む。


(なるほど、あの娘を首謀者にするという手もあるのか)


「……何か、気になることが?」

 黙ってしまったハスラオに、フリスが声を掛ける。


「いえ、暗殺かどうかは別として、あのニースから来た花嫁がリダファ様を亡き者にしようとした可能性が本当にゼロかどうか、と考えておりました」

 もしララナを首謀者にするのなら、理由はなんだ? 自分が本物のララナではないとバレて離縁を告げられ感情的に……? まぁ、そのあたりで行くしかあるまい。男女の揉め事は痴情のもつれが一番わかりやすい。


「捜索と同時に、アトリスへの報告もしなければなりません。が、今はまだ何もわからぬ状態。せめて少し状況に変化があってからと考えておりますので、どうかフリス様も、カラツォ国王にはこの件、まだご内密に」

 恭しく頭を下げると、フリスが大きく息を吐いた。

「とはいえ、そう長くは隠せませんぞ。いいとこ半日かと」

「承知いたしました」

 ハスラオが返す。


 都合よく死体が上がってくれればいいのだが……。などと思いながら、船に戻るハスラオであった。


*****


 ザザン ザー ザザン…

 ザザン…


 懐かしい、耳障りのいい波の音。

 毎日聞いていた、子守歌のような癒しの音が、すぐ近くで聞こえる。

 波……の…


「えっ?」

 ララナはパチリと目を開ける。

 目の前を、小さなカニが歩いていた。


 砂浜だ。陸地だ。夜中ずっと波に揺られ、リダファと話をしながらひたすら波に身を任せ、明け方、遠くに陸が見えたところまでははっきり覚えている。

 それから二人で陸に向かって泳いで、泳いで……そして、


「リダファ様っ?」

 半身を起こし、辺りを見渡す。

 少し先に横たわるリダファを見つけた。


 立ち上がり、走る。が、足がもつれて上手く走れず、何度も膝をついた。

 よろよろと、最後は這うようにしてリダファの元へたどり着くと、その体に、触れる。


「リダファ様! ハナ、ミルシダマスタ!」

 頬を軽く叩き、声を掛けると、リダファの瞼がピクリと動いた。

「…なに……言ったか…わか……らん」

 大丈夫だ、意識がある!


「ああ、ダイジョブ! 私、リダファ様、死ぬない! ダイジョブ、かにさま!」

「……それを言うなら神様、だろ」

 そう口にするリダファの横を、小さなカニが歩いていた。


 ララナに手を引かれ半身を起す。体中が痛むが、ララナはもっと辛いはずだ。

 リダファは辺りを見渡した。


「ここは、どこなんだ?」

 砂浜からは民家らしき家々も見える。陽は、昇ったばかりといったところか。

「シオノナガレ、合ってるだったら、カラツォきた思うます」

 昨日海上で聞いたララナの説明では、ハスラオは死体がカラツォに流れ着くと言っていたらしい。だからこそ無理に泳いだりせず、波に身を任せていたのだ。

「ともかく、行ってみるか」

 どうにかこうにか立ち上がると、ララナと支え合うようにして歩き出した。ここがどこであろうと、生きているのだ。問題ない。なんとかしてアトリスに今回の一件を報告しなければならない。


 リダファは今まで感じたことのない怒りが満ちていくのを感じていた。


*****


「では、このままアトリスにお戻りに?」

 昼を過ぎたころ、カラツォの外交官であるフリスは港に着岸しているアトリスの船まで再度出向いた。そこにいたのはハスラオ。海上警備船で捜索に出たものの、なんの手掛かりもなかったと先程戻ったばかりであった。


「一刻も早くアトリスに戻り、報告しなければなりませんので」

 沈痛な面持ちでそう告げるハスラオに、しかしフリスはこう答える。

「船はこのままで構いません。一度王宮まで来ていただけませんか? 国王への報告をハスラオ様自らしていただきたいのです」

「私が、ですか?」

「ええ、私の口から伝えるには話が深刻すぎますゆえ、やはりここは船に乗っておられたハスラオ様から事の詳細をお伝えいただければと思うのです。アトリスへは私共の高速船を出しますのでご安心ください」

「そうですか。お心遣い、痛み入ります」


 ハスラオはそう言うと、フリスと共に王宮へ向かうことにしたのである。同行するのは宰相であるコムラと、執事のヤガサ。ことのあらましを説明するために出向く。二人には今回の流れを何度も説明してある。うまく話を合わせてくれるはずだ。あとはタイミングよく死体が上がってくれれば完璧なのだが、身元不明の死体の話はまだ漏れ聞こえてこなかった。

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