第13話 救出

 ダボーン


 海に投げ込まれるリダファ。


「きゃぁぁぁぁ!!」

 ララナは悲鳴を上げた。

「はーっはっは、これで予定通り、王宮の潮目も変わるというもの!」

 楽しげに笑うハスラオの前を勢いよく過ぎてゆく影。


 パシャン


「ああっ」

 男二人が止める間もなく、まさにあっという間の出来事だった。

「ん?」

「ハスラオ様、あの娘、海に飛び込みましたぜっ?」

 男が海を指し、興奮した様子で言った。

「ハッ! 自ら後追いとは!」

 ハスラオが半笑いで海を見遣る。夜の海はただの黒。こんな、周りに陸地もない海の真ん中に飛び込んで生きて朝を迎えられるはずがない。泳いで陸へ行こうにも、方向すらわかるまい。


「馬鹿な女だ。言う通りにすれば国に帰れたというのに」

 揺れる水面を一瞥し、吐き捨てる。


「いいんですか? 本当に」

 男たちは浮きあがってこないララナを、目を凝らして探す。

「構わん。あの女の生死は今回の計画に関係ないからな。いいのですよ、リダファ様がきちんとくたばってくれさえすれば」

「でも、死体は」

「最悪、カラツォ国に死体が流れ着かなかったとしても、私の目撃情報があれば誰も疑うことはないでしょう。何の問題もないのです」


 ふふ、と笑みを浮かべ、ハスラオは船内へと戻って行ったのである。


*****


 季節的に、凍える寒さではなかった。


 ララナは迷いなく海に飛び込んでいた。

 助けなければ。

 ただそれだけしか考えてはいなかった。


 一度水面に小さく顔を出すと、月明りだけを頼りに潜る。幸運にも、リダファの姿はすぐに見つかった。


(リダファ様!)


 そのまま海へと潜り、泳いで、泳いで、沈んでゆくリダファを捕まえる。

 リダファの口から大量の泡が漏れ出すのを見て、心臓が押し潰されそうになりながら、リダファを抱きしめた。


(慌てるな。慌ててはダメだ)


 何度もそう自分に言い聞かせ、水を蹴る。


 光の指し込む方へ!


 もう水面までの距離もわからない。もしかしたら自分の息も続かないかもしれない。不安で、恐ろしくて、それでもただひたすらに、水を蹴る。服が重い。リダファを抱えているせいもあって、なかなか進まない。


(ダメ! 諦めちゃ、ダメ!!)


 何度もそう自分に言い聞かせる。


(動け! 私の足、動け!)


 蹴って、蹴って、息が苦しくなる。

 もう、限界だった。


 ──ザバンッ


「はぁつ、はぁつ、はぁっ」

 水面から顔を出し、息をする。


 見上げた空には、満天の星。


(ああ、生きてる……)

 つかの間、泣きそうなほどの幸せを体中で感じる。

「リダファ様!」

 腕の中で力なくうなだれるリダファの顔に手をかざす。息を……していない?


「リダファ様!」

 ララナはリダファを後ろから抱き締めるように抱えると、みぞおちの辺りで手を組み、思い切り上に引き寄せる。一度、二度、三度。それから向かい合わせになると、鼻をつまんで口に息を吹き込む。

「リダファ様!」

 半狂乱で名を呼ぶ。

 同じことを何度か繰り返すと、

「ガホッ、ゲホッ」

 リダファが水を吐き出した。

 口元に手を当てる。


(息が、ある!)


「よかった……」

 ララナが呟いた。涙が溢れて、止まらない。

 生きている。

 リダファも、自分も生きている。


 空を見上げる。

 まだ夜明けまでは長い。辺りを見渡すが、船の姿はもうどこにもなかった。もちろん、陸地もどこにも見えない。このままリダファを抱えたまま泳いだとしても、陸地までたどり着けるとは思えなかった。


(どうしよう……どうすれば)


 そのとき、ハスラオが話していたことを思い出す。全部は聞き取れなかった。それでも、彼は『シオノナガレ』がどうとか言っていたのだ。『シオノナガレデ、アスニハ、カラツォニ ナガレツク』だったと思う。


「カラツォに……ながれる?」

 海に浮かびながら、考える。


 もしかしたら……。


 それは一筋の希望だ。しかし、もし違っていたら? 当たっているとしても、そううまくいくのか? わからない。わからないが、今ここで出来ることは限られる。選ぶなら、一番可能性の高いと思われる答えを選ぶしかない。リダファの命が掛かっているのだから。


 リダファは意識のないまま眠っていた。しかしそれが今は好都合だった。仰向けに寝かせ、海に浮かせた状態にする。力の抜けた人間というのは浮いていてくれるのだ。


 シオノナガレ、がララナの思っている通りのことなら、何もしないでこうして浮いていればいい。そうすれば、明日にはカラツォに辿り着けるはずだ。

 ララナは小さく息を吐き、眠っているリダファの顔を覗き込んだ。


 服を着たままの遊泳は、いつもと勝手が違う。島国育ちが故、泳ぎは達者であるが、こんな海の真ん中で服を着たまま泳いだことなどない。二人とも薄手の夜着だったから、まだよかったのだ。これが昼間の、正装であったならまず水面に浮かぶことすら難しかっただろうと思う。


 ちゃぷちゃぷと、波の音だけが聞こえる。


 ララナはリダファの顔を見つめながら、なるべく力を抜いた状態で波間を漂うことに集中した。

 無駄な抵抗はせず、ただ、揺蕩たゆたうのだ。


*****


「……ん、」

 塩辛い味を感じ、うっすらと戻りつつある意識の墓でリダファは思う。


(浮いてる……?)


「リダファ様?」

 耳元でララナの声が聞こえ、リダファはハッと意識を取り戻す。と同時に、

「ガボッ、ゲホッ、ゲホッ」

 海水を飲み込んでしまい、咽る。


「リダファ様、ゆるく! ゆるくするます!」

 ここがどうやら海の中であるとわかる。ララナが言わんとしていることを想像し、緩くする、が力を抜け、であると推測。確かに、浮きたければ力は抜くべきだ。リダファは体の緊張を解き、立ち泳ぎをする。


「ララナ、これは一体……?」

 訊ねると、ララナは眉を寄せ、

「リダファ様、海、落ちられた。したはハスラオ様。死んだがいい、シオメガカワル、言った」

「命令したのはハスラオ? くそっ、だからイスタはこの公務から外されてたんだな」


「シオメ、カラツォから、少しがんがれ」

 今度は何のことか読み取れないリダファであった。


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