第7話 心の内

 通訳は額の汗をぬぐいながら、今ララナが話したことを繰り返した。


「まずはお詫びを、とのことです。騙していたこと、本当に申し訳なかった、と。しかしながらこれにはやむにやまれぬ事情があります、と」

 そりゃそうだろう。事情しかないような出来事だ。前代未聞なのだ。

「続けろ」

「はい。まず本物のララナ様ですが……ご病気で意識がない状態だそうです」

「は?」

 まさかの答えだ。

「いつから?」

 こちらから質問すると、通訳がララナ……に確認する。ぎゅっと唇を結ぶと、咳を切ったように何かを喋り出す。


「ララナさまは元々お体が弱かったんだそうです。それでも、アトリス国への輿入れをそれは楽しみにしていらっしゃったとか。しかしここ最近は床に臥せってしまい、ついには意識が混濁し……。そんなララナさまの意思を継ぎ、ここに来たのだ、と。彼女はララナさまの腹違いの妹だそうです」

「腹違いの……?」

「それについては国王直々のサインが入った正式な書類があるとのことですが……」

 チラ、と彼女を見ると、コクコクと頷いて書状のようなものを差し出す。


「そこまでして嫁に来る必要が?」

 リダファがため息交じりに言うと、通訳がそれを訳して聞かせる。すると、また彼女がすごい勢いで何かを話し出した。


「ニースは小さな島国です。国王はこれから先、長い目で見た時、ニースの行く末を案じてアトリスの後ろ盾を必要としています。この婚姻がニースの未来に繋がると信じているのです」

「ま、ありがちな話ではあるな。しかし、アトリス国からの外交官たちをよく騙せたな?」

 そう訊ねると、またやり取りの間があり、通訳が言った。


「使者様は知っているそうです。ですが、ニースと、リダファ様のためにはこれが一番いい方法だろう、と目を瞑ってくださったと」

「やはり、知って……いるのか」


 リダファが腕を組む。

 そんなリダファを見て、また彼女は何かを捲し立てた。


「私ではダメでしょうか? ララナ様でないとわかってしまった今、もう私にはここにいる資格がないのでしょうか? だそうですが……」

 通訳をしているのはアトリスの人間だ。ニースから来ている人間ではない。しかし、通訳はもうすっかりこの少女に肩入れしてしまっているような口調である。


「正直、」

 リダファはソファに体を投げ出すと、頭を掻く。


「俺は結婚相手の素性に興味なんかない。誰だって同じだ。どうせ親が決めた形だけの結婚だからな。あんたがララナであろうがなかろうが、側室の子であろうがなんだろうがどうでもいいよ」

 半分は本心であり、半分は……ほだされたような気もする。あの真剣な眼差しに。


 リダファの言葉を、通訳が嬉しそうに彼女に伝えた。パッと笑顔になると、リダファに向かって何か言いながら深くお辞儀をする。

「一生あなたのお傍で、あなたを支え続けることを誓います、と」

 感動したのか、涙を拭いながら、訳す。


「……で、名前は?」

「……は?」

 通訳が首を傾げた。

「お前じゃないって。彼女、ララナの代わりに来たんだろ? 本当の名前があるんじゃないのか?」

 ぶっきらぼうに訊ねる。

「ああ!」

 また、二人が早口でやり取りをする。小さく首振る彼女。通訳が、大きく頷いた。


「私はララナ・トウエとしてここにおります。どうかこれからもララナとして、私をお傍に置いていただきたい、とのことです」

 まっすぐにリダファを見つめ、強い意志と共にそう、告げる。その覚悟は、リダファにはないものだ。自分に与えられた使命。そのためにすべてを掛ける、と、彼女はそう思っているのだ。

「……そう、か。では今まで通り、ララナと呼ぼう。それから、」

 ゴホン、と咳払いをする。

「このことはここにいる三人だけの秘密ってことで、いいな?」

「リダファ様!」

 通訳が胸の前で手を組み、ウルウルとした目でリダファを見上げる。とんでもなく誤解されている気がするが、リダファがこの件を黙認しようと思ったのはララナを名乗る彼女のためだけではない。彼女がララナではないと知りながら何の躊躇いもなく連れ帰った外交官……ハスラオの意図が計り知れない。何かを企んでいるのだとしたら、まずは手の内を見せずに相手の計画に乗っておいた方がいいような気がしたのだ。


「彼女に伝えて。ハスラオ……使者には、正体がバレたことを悟られないようにしてほしい、って。うまくララナとして嫁を演じていることにしてほしいんだ」

「わかりました、伝えます」

 二人はまたニースの言葉で会話を始める。それを聞きながらリダファは考えていた。今回の件を調べてくれたイスタには、どう説明するかを。真実を告げればハスラオについて調べるのを手伝ってくれるだろうか。それとも巻き込むべきではないのか。


「あの、リダファ様」

 通訳がおずおずと声を掛けてくる。

「なんだ?」

「おいとま致します前に、ララナ様がお礼を申し上げたい、と」

「礼?」

 チラ、と見ると、ララナが胸の前で手を組み、じっとこっちを見つめている。

「私は外に出てますね」

 何故か顔を赤らめてそそくさと部屋を出ていく通訳。


 ララナは、通訳が部屋を出るのを確認すると、リダファに歩み寄る。そっとリダファの腕を掴み引き寄せた。引かれるがまま、少し姿勢を低くすると、頬に柔らかいものが触れる。そして耳元で、囁かれた。


「リダファ様、のよ」


 それだけ言うと、真っ赤に染めた顔を両手で覆い、一礼して駆け出した。


「……へ?」

 リダファはなにが起きたかわからず、頬にキスされ、大好きだと言われたと気付くまで、しばらくその場に立ち尽くしていたのだった。


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