第5話 異国の花嫁
大陸より南に位置する、島国ニース。
美しい海と豊かな自然に囲まれたこの小国には、その美しい自然以外、自慢できそうなものは何もなかった。
貧しくはないけれど、何の資源もない小国である。民芸品などを細々と輸出してはいるが、このままだと衰退の一途を辿るどころか、どこかの国に攻め入られ、植民地になってしまう可能性もあると、現国王は危惧し始めていたのだ。
それというのも、大陸で国同士の諍いが起き始めている、という噂を耳にしたせいである。
小国は、何とか大国の傘の下に入ろうと必死で考える。結果として、自らの娘を大きな国の中枢にいる誰かと結婚させることで、関係を太くする、という単純な答えに行きつくのだ。
「仰る意味がわからないわけではございません。ですが父上、」
「口答えは一切聞かぬ!」
ララナ・トウエは父であり国王であるガイナの荒ぶった物言いに、すべてが決定事項であることを悟った。父は、娘を売ったのだ。
「お前が輿入れをすることで、我がニースの立ち場は、少なくとも今よりは向上する。お前の弟がこの地を治めるにあたり、お前という存在がアトリスにあることが強みとなるのだ。いいか、私は今日、明日のことを言っているのではない。数年、いや、数十年先の話をしているんだぞ、ララナ!」
理由など後からだっていい。
大人とはそういう生き物だ。ララナはよく知っている。この狭い島国で、どんなに正論を口にしようと意味などないのだ。
「……わかりました」
他に何といえばいい?
求めている答えなど、どんなに追いすがったところで手に入らないと知っている。
「では、従者一名を連れ輿入れするものと決定する。アトリスからの使者は来週には到着するはずだ。支度しておきなさい」
「はい、お父様」
にべもしゃしゃりもない。
ララナは踵を返すと急ぎ足で屋敷を駆ける。止め処なく溢れる涙を拭うことすら忘れ、そのまま外へ勢いよく飛び出した。
白い砂浜が見える。
ニースの空と相まって、その美しさたるや、まるで一枚の絵のようである。
この国が好きだ。
沢山学んで、この地のために何か仕事がしたいと思っていた。そのために、今まで努力を重ね、ひたすら勉強してきたのだ。知識こそが武器と信じて疑わずに。
「違うのだわ。私はただの、道具なのだわ」
政治のための駒にされることが、悔しく、悲しかった。
「お嬢様っ?」
泣きながら歩いているララナに声を掛けてきたのは、従者でもあり、幼馴染でもあるヒナである。
「いかがなさいましたかっ?」
オロオロとララナの周りをうろつきながら顔を覗き込む。物心ついた時からずっと一緒だった、双子のような存在である。
「ヒナ……」
ララナはヒナに抱きつくと、一部始終を話して聞かせた。
*****
「そんな……お嬢様が今までしてきたことがすべて無駄になってしまうだなんてっ」
今まで、一番近くでララナを見てきたのだ。彼女がどんな思いで、どれだけの努力を積み上げてきたのか、誰よりもよく知っていた。
「だけど、仕方ないのよ」
「そんな……、諦めるしかないのでしょうかっ?」
憤慨しているヒナを宥めるように、ララナが力なく笑う。
「無理よ。もう決定してしまったもの。私は異国に嫁ぐの。相手がどんな人かも知らないままね」
「お嬢様……、」
ニースからアトリスまでは船で渡る。大きな船でも、日数にして約三日ほどかかるだろうか。決して近い距離ではないのだ。
アトリスがどんな国かは、本に書いてあることと、聞きかじった噂でしか知らないが、色白で美しい人が多いと聞いたことがある。
ニースは小国であり、豊かな資源があるわけでもない、だから各国からの訪問者というのも決して多くはなく、良くも悪くも孤島なのである。
「出発はいつなのですか?」
「アトリスからの使者が到着するのは数日後じゃないかしら」
「そんなに早くっ?」
ヒナが顔を歪ませる。
「お嬢様、私に出来ることがあったら何でも言ってください! 私、お嬢様のためだったら、」
「ううん。いいの。いいのよ、ヒナ」
ララナはヒナの手を握ると、そう言って力なく笑った。
それからの数日、ララナは部屋に籠りきりだった。食事もろくに食べようとせず、誰が訪れても会おうともせず。そして四日目の朝、ついに姿を消してしまったのだ。
王宮は大騒ぎとなった。もう、いつアトリスからの使者が来るかわからないほど時は迫っているというのに、肝心の花嫁が姿を晦ませてしまったのだから。
王宮総出での捜索活動が続き、ララナは海で発見される。変わり果てた姿で……。
一命は取り留めたものの、意識が戻る可能性は低いだろうと医者に言われた時、国王ガイナ・トウエは頭を抱えた。これで、ニースはアトリスとのパイプを失ったのだ。いや、それ以前に、自分の娘を、失ったのだ。
アトリスからの使者が到着したのは、まさにそんな時だった。国王ガイナは事のあらましを正直に伝え、この縁談はなかったことに、と頭を下げることしかできなかった。
「我が国にとってこの縁談は非常に重要でありました。しかし、このような結果になってしまったのは私の不徳の致す限り。アトリス国王には不義理となりましょうが、我が国に姫は一人だけ。致し方ありません」
肩を落とす国王に、しかし、アトリスからの使者はとんでもないことを言い出すのである。
「他にも娘はいるであろう」
と。
何を言わんとしているのかわからない国王が首を傾げていると、
「代わりを差し出せばよいのです」
そう、言い出したのである。
「そのようなこと、出来るわけがっ」
慌てふためく国王に、使者が耳打ちする。
「私が黙ってさえいれば、何も問題ないのですよ、国王陛下」
「しかし、なぜっ?」
「その方が、私にとって都合がいいからです。大体、今このタイミングで花嫁がいないというのは、私にとっては首が飛ばないとも限らない由々しき事態ですぞ?」
大袈裟に溜息などついてみせる。
「さぁ、いかがしますか、国王陛下?」
こうして流されるまま代わりを立てることになってしまったのである。
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