第3話 距離感

 公務が始まってしまえば、いくらお飾りの皇太子とはいえ、それなりに忙しいのだ。リダファはいつものように、執務室で書類を片付けていた。


「リダファ様、精が出ますな」

 そんな風に声を掛けてきたのは宰相補佐官であるイスタだった。イスタとは年も近く、小さい頃はよく一緒に遊んだ仲でもある。イスタの家は代々王宮の宰相をしており、彼の父親は現アトリス国の大宰相という役職である。国王ムスファの良き片腕、という立ち位置だ。


「精なんか出るものか」

 ムッとした顔で答えると、意外そうな顔でリダファを覗き込む。

「昨夜は……お楽しみだったのでは?」

「下衆が」

「おやおや、まさか。なにもなかった、なんてことは…、ねぇ?」

 探るように、というよりは具体的に突っ込みを入れてくるイスタの脇腹をド突く。

「いてっ」

「余計な詮索をするな」

「だぁって気になるじゃないか。褐色の肌にキラキラのお目目。見た目はすこぶる可愛かったし、なんてったって未来の王妃だろ?」

 昔の癖で、今でも二人の時はこうしてタメ口だ。


「昨日の舞も素晴らしかった。空気を一変させるだけの美しさがあったぞ?」

 わかっている。目の前で見たのだから。

 確かに彼女の舞は、見るものの心を揺さぶるような素晴らしい輝きを放っていた。

「それに、結婚したからには『次は世継ぎだ』と周りからプレッシャー掛けられるのが必須だろう?」


 そうだ。

 結婚すれば、次は子供。

 周りは都合よく何でも欲しがる。


「意思の疎通も図れない相手と世継ぎかよ」

 思わずため息交じりに口にしてしまう。

「ん? 意思の疎通が図れない?」

「……ああ、そうだよ。彼女、言葉が通じないんだ」

 白状してしまう。

「ええっ? まさか!」

「その、まさかだ」

「嘘だろ? 輿入れに来るってのに言葉がわからないのか? 大陸語話せないの?」


 おかしなことではある。

 王女であるならば大陸語を勉強しないはずはない。そもそも会話も出来ない状態で嫁に出すなんてこと、有り得るのか?


「……なぁ、おかしくないか?」

 急にイスタが声を潜める。

「は? おかしいだろうな」

 吐き捨てるように言うリダファに、イスタが顔を寄せてくる。

「いや、からかってるわけじゃなくてさ。普通に考えて、王家の娘が大陸の…ナニエの言葉を学ばないわけないだろ。もし、昨日来たあの花嫁が偽物だったりしたら……、」

「偽物っ?」

 さすがに聞き捨てならないセリフである。

「アトリスから迎えに出向いたのは外交官のハスラオ率いる数名だけ。ハスラオはお前の兄カナファの天敵だった男だ。だよな?」


 そういえば、そうだ。

 ハスラオはなぜかリダファの兄、カナファを嫌っていて、よく衝突していた。カナファが病に倒れた時も、陰謀論一歩手前まで話が持ち上がったりしたのだ。

 しかし今となってはそのカナファもいない。わざわざ偽物の花嫁を用意する意図がわからなかった。


「理由は? 偽物の花嫁に何をさせる気だ?」

 リダファの言葉に、イスタが腕を組み、考え始める。

「そうだなぁ。暗殺……とか?」

「はぁ?」

 リダファが椅子から立ち上がる。

ってぇのか?」

「可能性の話ですよ。リダファ様。今となっては、あなた様はこの国を背負って立つことが決まったお方。妬み嫉みもあって当然。カナファ派だった家臣たちと、リダファ派の家臣。果ては謀反を企む輩まで、王宮内は華やかに色とりどりなのですよ」

 半ばふざけて、半ば本気でイスタが語る。


 リダファはストン、と椅子に座り直すと、真面目な顔でイスタに告げた。

「ララナ・トウエについて少し調べてくれるか?」

「仰せのままに」

 大仰に頭を垂れ、イスタが執務室を後にする。まさか彼女が刺客だなどとも思えないが、言葉がわからないという点においては確かに疑問が残る。昨日は嵐による天候不順、と船の遅れを報告してきていたが、あれだって嘘かもしれない。疑い始めればきりがないこともわかってはいるのだが……。


「まさか……な、」

 リダファはそうひとりごちると、再び書類に目を落とした。


*****


 夕飯を誰かと取ることなど、最近はまったくなかった。公務の合間に食べたり、自室で食べたりと、適当に済ませることが多かったからだ。それなのに……。


 公務途中で呼び出され、わざわざ食堂に足を運ぶ。夫婦二人でディナーを楽しめ、という上(父)からのお達しである。


 女中長、マチが扉を開けると、ララナが恭しく頭を垂れ、待っていた。昨日の民族衣装とは打って変わって、我が国アトリスの流行を取り入れた可愛らしいドレススタイルだ。髪も半分だけを結い上げている。


「リダファ…さま、

 不意打ちではあれど、ものすご~く真面目な顔で、ものすご~く緩い言葉を掛けられ、リダファは思わず吹き出してしまう。

「坊ちゃま!」

 マチに即効注意され、口元を抑える。ララナを見ると、恥ずかしそうに顔を伏せていた。

「すまん」


 用意されたテーブルにつくと、料理が運ばれる。ここ最近の中でも今日は昨日に続き内容がとても豪勢だ。結婚祝いサービス週間にでも指定されているのか。

「あ、あにょっ」

 ララナがまた、なにか言いたそうに口を開く。

「ララナ、まじゃ…ことば、よくの、がんまるます!」

「……そう、だな」

 リダファは小さくそう言うと、黙々と食事を始める。それに倣ってララナも黙って食事を進めた。静まり返った食堂に、ナイフとフォークの音だけが耳につく。


 ガタン、


 リダファが立ち上がる。

「ご馳走様」


 ダメだ。

 今日イスタと交わした会話が気になってしまい、どうにも食事どころではなくなってしまう。早々に切り上げてしまう。


「坊ちゃん、」

 止めようとするマチを手で制す。

「会話もできない相手とどうやって楽しく食事を取れと? 俺はもういい。今日は一人で寝るから、彼女にもそう言っておいてくれ」

「ですが、」

「疲れてるんだ」

 そう言い放ち、部屋を出る。


 そのまま部屋には行かず、執務室へと戻った。今日やらなければいけないことがあるわけではない。が、どうせ部屋に行ったとしても眠れそうにない。


 本当にララナがニースから来た結婚相手で間違いがないのか、少なくともイスタからの報告があるまでは、彼女との距離は遠いほうがいい。そんな気がしていた。


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