第83話 良い枕になる素質がありますよ

 9月2日、金曜日。放課後。

 新学期二日目。

 月羽と恋人になって二日目。

 いつものように屋上へ向かう階段。そこをゆっくりと上がりながらまたしても緊張でガチガチになっていた。

 昨日は告白イベントがある故に緊張でガチガチだった。

 今日は別の意味での緊張に見舞われている。


「(この扉を開ければ月羽がいる)」


 いつものように月羽は待っていてくれているだろう。もう月羽よりも先に着くのは諦めている。

 問題はどう接すればいいのか分からないという点だ。

 恋人になったからには恋人らしく振るまわらなければいけない。

 別にそうしなければならないという決まりはないが、せっかく恋人同士になったのだし、僕自身がそうしたいと思っているのだ。

 しかし、『恋人らしく』ってなんだ? どういうのが恋人っぽいんだ?

 中学時代の10日間だけの交際は全くと言っていいほど参考にならないし……なんか考えれば考えるほどもやもやした気持ちが緊張感と化しているような気がするのだ。

 うぅ、緊張で胃が痛い。

 そういえばアルバイト前の時もこんな風に胃が痛くなったっけ。

 あの時は月羽も緊張でガチガチになっていた。

 ……あぁ、なんか、今回も展開が読める気がする。


「……ふぅ」


 ここで立ち往生していても仕方がない。

 僕は屋上へのドアを引き、いつものベンチへ視線を移す。


「こんにちは。一郎君。待っていましたよ」


 ……どうやら今回は緊張していたのは僕だけだったらしい。







 いつものようにベンチに腰を下ろす。

 次の瞬間、月羽が音も立てずに自然に距離を詰めてくる。

 ぅお、これか。知らぬ間に距離感が詰められていた真相は。確かに月羽の方から近づいてきている。


「実は今日の経験値稼ぎの内容は考えてきていなかったんですよ。その……ちょっと浮かれちゃってて……」


 後半やや恥ずかしそうに俯きながら凋むような声でボソリと言い放つ。

 その様子がとんでもなく健気で可愛らしく見えた。

 月羽も気持ちは同じなんだな。僕も昨日は浮かれすぎていてほとんど寝られなかったし。


「じゃ、じゃあ、二人で経験値稼ぎの内容を考えようか?」


「はい!」


 いい返事と共に大きく頷く月羽。

 とりあえず経験値内容を考えながら緊張を収めよう。

 何となく視線を真っ直ぐ向け、屋上からの景色を眺めながら考える。

 月羽も僕と同じ方向を見つめ、経験値稼ぎの内容を考えている様子だった。


「「…………」」


 お互い黙ったまま、静かに時が流れる。

 ……駄目だ。考えがまとまらない。

 どうしても意識がすぐ隣に――肩と肩が触れ合う距離に居る月羽が気になりすぎてどうしようもない。

 って、今気づいたけど、若干体重が掛けられている? 腕に掛けられている負担がいつもよりも重かった。

 これ、更に距離が近くなってないか? いやまぁ、親友から恋人になったのだからこれが普通なのだろうけど、耐性が無さすぎる僕には刺激が強い。


「「…………」」


 手とか握ってみても罰は当たらないだろうか?

 いや、さすがにそれは急すぎるか。


「って、割といつもしていることじゃん!」


「何がです!?」


 うおっと、セルフツッコミが声に漏れてしまっていた。

 突然叫びだした僕に月羽がすごくビックリしている。


「ごめんごめん。なんでもないよ」


「ぅうう。気になります」


 ややジト目で睨みつけるように僕の瞳を覗いてくる月羽。

 うぅ、この目に弱いんだよなぁ僕。この子の睨みは不思議な眼力が備わっている。


「いやー、その、せっかく恋人同士になったわけじゃない?」


「は、はい」


 照れ臭そうに言う僕と照れ臭そうに聞く月羽。

 本当、この屋上に他の人が居なくて良かったなぁ。居たら不審な二人に見られていただろうなぁ。


「だから……ね。どうせなら恋人っぽいこともやってみたいと思ったわけで……」


「それです!」


「何が!?」


 突然何かを閃いた月羽に対して、今度は僕が聞き返す。


「本日の経験値稼ぎの内容が決まりました」


 あっ、何となく察しが付いた。

 しかし、それを実行するのはまた緊張度が増しそうな気がするなぁ。


「今日は『恋人っぽいことをする』を目標に経験値稼ぎを行いましょう!」


 目が輝きまくっている月羽の提案に、僕は黙って頷くしかなかった。







 どんな基準を持って『恋人っぽい』と判断するのかは謎であるが、とりあえず一つ恋人らしいことを行う度に10EXPずつ加算されていくというのが本日の経験値稼ぎの内容。

 つまり恋人っぽいことを5回行えば50EXP 、10回行えば一気に100EXP獲得できるという大量経験値取得の大チャンスだ。

 しかしなぜだろう。大量経験値を獲得できる気がしない。いざと言うとき、僕のヘタレが炸裂してしまいそうで怖い。

 いや! ここはしっかり月羽をリードしてあげてこそ男!


「じゃ、じゃあ……ここは恋人っぽく……その……手でも握ってみようか」


「はい」


    ギュっ。


 緊張しまくっている僕を尻目に、月羽はあっさり僕の左手を両手で包むように握ってくる。

 この子、躊躇なく握ってきたなぁ。やっぱり緊張しまくっているのは僕だけなのか。なんか悔しい。


「よ、よし。これで……10EXP獲得?」


「う~ん……」


 問いかけるが、月羽は何故か納得のいかないような表情を浮かべている。


「なんかこれって親友時代にも何回かやったことありましたよね?」


「…………」


 あった。

 確かに恋人になる前にも何度も何度も月羽と手を握り合うイベントはあった。

 ていうか、手を握り合う経験値稼ぎすらやったこともある。

 なんかそう思うと、月羽と手を握り合う行為が普通なことに思えて、緊張も無くなってきた。


「うーん。恋人っぽいことってなんだろう?」


「難しいですね」


 手を繋ぎっぱなしで再度考えなおす僕と月羽。


「んー……」


 ん?

 そんな中僕の手の中で月羽の指が動く。

 たぶん無意識に動かしているのだろう。月羽はよく僕の手を弄って遊んでいる。

 親指を抓んだり、手相をなぞったり、最終的には指と指の間に自分の指を絡めて落ち着いたようだ。

 凄くくすぐったくて思考が整理できない。


「頭撫でてみてくれませんか?」


「……物凄く唐突すぎて一瞬沈黙しちゃったけど、たしかに恋人っぽいね、それは」


「ですです」


 左手は月羽に掴まれっぱなしなので、右手を利用して月羽の頭に手を伸ばす。

 そのまま頭にポンっと手を置き、乱暴にならないことを最大限に注意してゆっくりと、ゆーっくりと撫でてみる。


「えへへへへ」


 超嬉しそうだ。

 こんなことで機嫌が取れてしまう彼女にやや不安を覚える。チョロすぎないか? この子。


「って、これも前にやったことあるよね?」


「えへへへへへへへへ」


「聞きなさい」


「むぎゅっ」


 撫でまわしていた右手を滑らせて月羽の右頬を軽く抓む。


「うー」


 恨めしそうに見てくる月羽。

 この子、経験値稼ぎとか別に関係なく撫でて欲しかっただけな気がしてならない。


「真面目に考えなさい。いいね?」


「はーい」


 若干不貞腐れながら再度恋人っぽいことを考える月羽。

 僕も彼女に習うように景色を眺めながら思考を巡らせる。

 さて、そろそろ真面目に考えないと経験値ゼロの可能性もあるな。

 うーん、恋人っぽいこと……恋人っぽいことか……

 改めて考えてみると全然思い浮かばないなぁ。


「…………」


「…………」


 んん?

 不意に腕の方から小さな熱が伝わる。

 月羽が僕の二の腕をツンツン突いてきていた。


「一郎君。腕、柔らかいです」


「……その言葉は喜んでいいのかすごく判断に困るね」


「私の二の腕より柔らかい気がします。触ってみます?」


「ん。それじゃ……」


 月羽にされているように僕も彼女の二の腕を突いてみるが、中々の弾力で突き心地が良い。

 十分柔らかいじゃないか。これよりも柔らかいかもしれない僕の二の腕ってなんなんだ?

 ていうか相変わらず腕細いなぁ。僕が言えたことじゃないけど。


「一郎君の腕、良い枕になる素質がありますよ♪」


 言いながら腕を捕捉され、完全にこちらに倒れてきた。

 人懐っこい猫みたいだなこの子。行動一つ一つがとても微笑ましい。

 しかし――


「月羽―。今日の経験値稼ぎ、あまりやる気ないでしょ?」


「そーんなことないですよー♪」


 楽しげに返答してくるが、とても経験値稼ぎに集中しているようには見えなかった。


「しょうがないなぁ」


 今日の経験値稼ぎは取得経験値ゼロでもいいかもしれない。

 なんか、そんな空気が二人の間に流れている。

 なんというか、単純に月羽が触れ合えるくらい近くに居てくれるだけで満足感を得られているのだ。

 たぶんだけど、月羽も同じ気持ちなんじゃないかな?

 だから何となく、先ほどと同じように月羽の頭を撫でてみた。


「えへへ~」


 うん。やっぱ猫みたいだ。頭撫でられるのが好きな猫だ。

 思わず餌付けしたくなっちゃうなぁ。

 そんなことを考えながら、僕らは無言のまま心地良い時間をしばらく二人で過ごしていた。

 その状態のまま30分くらい経つと、不意に月羽が口を開いた。


「残念ながら今日の経験値稼ぎは失敗ですねー」


「まっ、仕方ないね」


「んー、でも今日の失敗はそれほど悔しくない不思議があります」


「でも、近いうちにちゃんとリベンジはしようね」


「はーい」


 肩を寄せ合いながら、互いに手を握り合い、頭をゆっくりと撫でながら器用に会話する僕と月羽。

 うーん。恋人っぽいことをするって難しいんだなぁ。

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