第72話 一郎君がまた無茶しましたぁ

 嫌な予感に見舞われつつも、幕が上がり、劇の続きが再開される。

 今も観客席から魔王を応援する声が響いている。

 しかし、僕はまた玲於奈さんの声だけが気になりだしていた。

 だけどもう檀上で震えあがるようなヘマはしない…………たぶん。


「分かった。皆の声援感謝する。わしは魔法を使い、彼女を助け出してみせよう!」


 劇はクライマックス。

 そして最大の見せ場でもある。

 ついでに最大の難関でもある。


 魔女の援護によってモブ子は救出され、後は魔王が格好良く魔法で蹴散らすだけ……なのだが……

 青士さんが考えた例の妙に長いだけの中二呪文を一字間違うこともなく言えるかどうか。いや、間違えた所で別にアドリブで呪文を変えてもいいんだけど、それやると青士さんが怒るんだよなぁ。


 さて――と。


「真紅の空に集いし大気――」


 僕が呪文の詠唱に入ると舞台は少し暗くなり、代わりの照明の光が強くなる。

 効果音も薄ら入り、僕の手元に光が集まる演出を施してくれる。

 ……っと、次の呪文は、と。


「――おい、つまんねーぞ! おい!」


「……!?」


 会場から野太いヤジが不意に聞こえてきた。

 どこから聞こえてきたのかはその瞬間に予想ついた。

 会場右方。

 玲於奈さん――ではない。

 玲於奈さんの周りにいる、男の一人。それも以前喫茶魔王で暴れまわっていた男が大声を張り上げていた。

 これは完全に予想外だ。

 このイレギュラーな事態、どう対応したらいい?


「なんで魔王なんて応援しなきゃいけないんだよ!」


「そうだそうだ。死ねよ、魔王」


 言いたい放題だな。

 この間喫茶店を追い出されたことを根に持っているのだろうか?

 しかし、これは不味過ぎる事態だ。子供達も怖がって委縮しちゃっている。

 それに大体のキャストは今壇上に居るわけだし、魔王様も現在証明係りとして別室にいる。

 つまり――あの連中を何とかするには劇を中断するしかないのだけれど……


 ――それだけは……したくない。

 夏休み中、皆で一緒に……月羽と一緒に……ずっと練習を頑張ったのに、それを台無しにしたくなかった。

 だから僕は――


「育まれし千年の大地の生命よ――」


 あの連中を無視して呪文の詠唱の続きを呟いた。

 たぶん、現在の最善は劇を早く終わらせること。

 劇さえ終われば、きっと魔王様達が何とかしてくれる。

 だから今は耐えればいいだけ。

 耐えるのは――得意だった。


「おいおい、なにシカトしちゃってるわけー?」


「って、あれ? アイツ高橋じゃね? 無機物高橋」


「うっわ。ホントだ。ウケる。アイツこんなところで何ガキくせーことやってるわけ?」


 中学時代の知り合い? あんなの居たか? 見覚えがない。でも玲於奈さんと一緒にいるし、彼女と同じ学校――もとい元南中の連中が居てもおかしいことはない。

 たぶん間違った高校デビューしちゃった人達だろうなぁ。肩に刺繍なんてしちゃってるし。


「一郎君……」


「高橋くん……」


 月羽や小野口さんも心配そうに僕を見ている。

 青士さんは明らかに怒りに満ちた表情で連中を睨んでいた。

 池君は――全身赤タイツだから表情が分からない。

 心配してくれる彼女達には悪いが、今劇を止めるわけにはいかない。

 幸いにも彼らが罵声を飛ばしているのは僕に対してだけだ。月羽達が傷つく要素は薄い。

 僕が……耐えればいいだけなんだ。


「星の海に眠りし神秘を呼び起こし――」


 無心になり、ただ呪文詠唱だけに集中する。

 だけど連中の罵声は止まらなかった。


「おいおい、無機物さんよー。何主役張っちゃってるわけ? おめーなんてせいぜい木の役がいい所だろ。無機物が調子に乗ってんじゃねーよ」


「ていうか無視? 俺ら無視されちゃってる? 無機物のくせに生意気すぎじゃね? ちょー腹立つんだけど」


「おらっ! なんか反応してみろ……よっ!」


    ガンッ!


「……っ」


    カランカランッ


 客席から飛んできた何かが僕に当たる。

 跳ね返ったそれは床にコロコロと転がっている。

 空き缶だった。それも少し中身が入っていた為に、思ったよりもダメージが大きかった。


「ぎゃははははっ! さすが無機物。缶投げられても無反応でやんの!」


「おい、もっと投げるものねーの? 楽しくなってきたわ」


「よっしゃ、俺らが魔王退治しちゃう? 魔王ぶっ倒して真の勇者になっちゃうか?」


「おらっ! コーラアタック喰らえ!」


    ガンッ!


 今度はペットボトルが投げ込まれる。

 しかもご丁寧に今度も中身入りだ。

 やばっ、命中箇所がズキズキする。再度病院送りなんて冗談じゃないぞ。

 でも痛がるわけにはいかない。耐えるんだ。耐えて耐えて……無機物のように……耐えて。


「……のやろっ!」


 不味い。青士さんがキレる。

 キレてしまってはそれで終わってしまう。


    ぎゅっ!


「……ぁん?」


「…………」


 ――月羽。

 月羽が青士さんの服を引っ張りながら黙って首を横に振る。

 さすが親友だ。僕の思っていることを口にしなくても察してくれる。

 その泣きそうな表情さえなければもっと完璧だったんだけど……


「……ちっ」


 青士さんも察してくれたのか、黙って事を見守っている。

 小野口さんは……どうすればいいのかわからない表情をしながらオロオロしていた。


「ぎゃははははっ、魔王は100のダメージを喰らった!」


「よっわっ、見てろー。俺が一撃必殺で魔王を瞬殺してやんよ」


 連中の勢いは止まらない。

 止める人間が居ないのだから仕方ない。

 でもいいんだ。

 僕が耐えれば……

 耐え……れば……


「が、頑張れ……」


 ……えっ?

 客席の今度は反対方向から一つの小さな声が響いた。


「ま、魔王様……頑張れっ!」


 小さな子。

 小学生にも上がっていないくらいの小さな子が魔王に――僕に声援を送ってくれていた。


「そ、そうだ。魔王様、頑張れっ」


「が、頑張って」


 その声を機転に、その子の周りから他の子達も同じように声援を送り始めた。


「はぁ!? 黙れよクソガキ」


「魔王なんて倒されてなんぼでしょうが。最近のガキはんなこともしらねーの?」


 やばい。あいつら、子供たちに手を上げるつもりなんじゃっ!?


「頑張れ! 魔王様―!」


「魔王様! 負けないでー!」


「いっけー! 魔王様ー! 悪い奴等なんかに負けるなー!」


「僕達がついてるよー! 魔王様!」


「魔王様―! いけー!」


 だけど、連中の野次など掻き消えるほどに会場中が魔王を応援してくれる。

 お客様が……子供達が僕の味方になってくれていた。

 嬉しい。

 自分を応援してくれる人がいること。自分の味方になってくれる人がいることが嬉しくてたまらなかった。


「……ちっ」


 場の雰囲気に制され、連中は委縮して押し黙る。

 それだけ子供たちの後押しには力があった。

 今ならどんな苦痛にも耐えられる。

 いや、逆境だって跳ね除けられる。

 今の僕は無敵の気分だった。


「――今ここに大いなる炎を生みださん!」


 無敵の気分のまま、僕は意気揚々に呪文を完成させ、魔法を放つ。

 そのタイミングを計っていた魔王様が証明術で魔法演出を施した。


「ぐ、ぐはぁぁぁぁぁぁっ!」


「め、めぎゃーーーーー!」


 レッドとンイオウヤが大げさにダメージを受け、その場に倒れ伏せる。

 よし、後は劇をエピローグへ持っていくだけだ!


「っち、まじつまんねー、無機物のくせに」


「だな。おい、さっき売店で買った花火あったろ? 火つけて会場に投げ込もうぜ」


 ――!?

 何を馬鹿なことをっ!

 そんなことしたら下手すらボヤ騒ぎにっ!

 最悪誰かが怪我をしてしまうっ。

 よくもそんな軽犯罪を実行しようと思えるな。同じ人間とは思えない。

 くそっ、もうすぐで劇は終わるというのに……どうしたら……


「――やめなさい。みっともない」


「「「えっ!?」」」


 その一声に野次を飛ばしていた連中は一瞬で押し黙る。

 止めてくれたのは僕にとっても意外な人だった。

 深井玲於奈さん。

 彼女が場の騒動を止めてくれていた。


「……帰るわよ」


「えっ? ちょ、ちょっと!? 玲於奈姫!?」


「お、俺達、玲於奈姫が『つまんない』って言ったから……その……」


「帰るって……えぇ?」


 突然の帰宅宣言に狼狽える側近達。

 玲於奈さんが反転して歩み出すと、側近は金魚の糞みたいに着いて行った。

 そして最後に玲於奈さんはポツリとこう呟いていた。


「――第五の条件……」


 それだけ言い残すと彼女達はゆっくりとその場から消えていく。


『第五の条件』


 彼女はそう言った。

 そして過去に彼女はこう言った。


『条件その5、貴方はこれからも生きる価値ないまま変わらないこと』


 彼女がそうつぶやいた真意は知らないが、今の僕を見てその条件に反していると思ったのだろうか。

 いや、条件を破ったから何だと言うのだ。

 別々の高校になってまで五つの条件を守るつもりなんて毛頭ない。

 今日会ってしまったのもたまたまだ。いや、言葉も交わしていないのだから『会った』のかすら怪しい物だった。


 だけど……それでも……最後の玲於奈さんの声が耳について離れない。


「やったー。魔王様の勝ちだー!」


「魔王様、格好良いー!」


「いいぞー、魔王様―!」


 でも今は劇の余韻に浸りたいと思う。

 劇は後大団円を残すのみ。ここまでくれば最後までやり通せるだろう。

 この劇を完成にまで持ち込んでくれたのは応援してくれた子供達だ。

 そのお礼をするために、僕は精一杯演じよう。


「観客からの支持を得て、立ち直りを見せる劇団。雰囲気漂わせる長い呪文の後、光を利用して魔法エフェクトを魅せる演出、くぅぅぅぅっ、泣かせるねぇおとっつぁん! 魔王の役者さんも演技に不安はあったけど、それがまた応援したくなるような味が染み出ているっ! 最高の劇だったね、みきちゃん」


「突然のハプニングもあったけど、それに動じずに演じきる根性! そして冷静さ。賞賛に値する演技だったよ。今日この時、私はこの劇に出会えて幸せだったっ! こんなに心が躍動したのは久方ぶりだったよ。最高の劇だったね、拓ちゃん」


 この二人に関しては終始言いたいことは残るけど、とにかく劇は無事に終了した。

 怪我を心配した月羽達が再び僕を病院に送ろうとしたが、さすがにそれは断りきった。

 最近イレギュラーな怪我多すぎだよな、僕。気を付けないと。


「ぅぅぅうう……一郎君がまた無茶しましたぁ……」


「ぐすっ……高橋君がまた心配させたぁ……」


 この泣き虫×2を心配させない為にも本当に注意しないと。


 とにかくこれでバイト生活も終焉だ。

 残す夏休みのイベントと言えば……アレか。

 さすがに海に遊びにいくくらいで怪我なんてしないよね? きっと。

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