第53話 経験値稼ぎの件、覚えてますか?

 7月11日。放課後。

 いつものメンバーは今日も旧多目的室――ではなく、皆2年A組の教室へ集まっていた。

 そう、僕の教室だ。

 いつものメンバーだけではない。各クラスから多くの生徒達が席を埋め尽くすほど集まっていた。


「さすが西谷先生の補習だ。自由参加とはいえ満席とは……」


「やっぱり人気があるんですね」


 今から現国の補習がある。試験対策用に設けられた自由参加の授業だ。

 講師は勿論我らが西谷先生。教室に集まった一同は先生の登場をまだかまだかと待ち望んでいる。

 しかし、僕達は別だ。妙な緊張感が心中付き纏っていた。


「いよいよ本番だね」


 僕の右隣に座っている小野口さんも僕と同じように緊張した面持ちでいた。

 『本番』。

 今まで先生が頑張り続けてきた特訓はこの日を本番に見据えていた。

 テスト前のこの日、夏休み前の最後の授業の場。


 ――『つまらないと評判(自称)の自分の授業を面白くしたい』。


 その真価が今試される。


    ガラガラっ。


 本日の主役、西谷先生が扉を開け、教団の前へと進む。


「それではこれより期末試験対策の特別補講を行います。そうねー。誰か号令を掛けてくれるかな?」


 うぉう、先生チャレンジャーだな。

 この知らない者同士が集まった寄せ合わせ団体の中で進んで号令をやりたがるような変わり者居るはずなんて――


「はい! 俺! 俺が号令を掛けます!」


「いや、俺だ! ミスター号令と呼ばれた俺に号令をさせてください!」


「馬鹿言うな。僕以上に号令が上手い奴なんて他に居るもんか!」


「号令検定準二級の我にやらせるのが一番良いに決まっているじゃないか!」


 まさかの号令大人気!?

 これが西谷先生人気の効果だというのか。

 号令をやりたがる男子が群がっている。

 ……って、いきなり収集が付かなくなってきてないか?

 西谷先生もまさかの展開にオロオロと取り乱し始めている。


    パンパンっ!


「ほら、男子。落ち着けー。先生も困ってるでしょ~」


 おぉ。小野口さんが仲裁に入った。

 先生もホッとしたように彼女の方を見つめている。


「ふっ、ではこうしよう。このイケメンである俺が号令をしてあげようじゃないか」


 そして池君が割り込んできた!?

 ちょ、ここでそんなこと言っちゃったら火に油――


「……まぁ、池ならしょうがないか」


「そうだな。ミスター号令と呼ばれた俺だが、池が号令してくれるので在れば快く譲ろう」


「うん。そうだった。僕より号令を掛けるのが上手い池がそういうんだったら……」


「ミスター池が号令を掛けると言うのならば、号令検定準二級の我も譲らざるを得ないな」


 嘘でしょ!? みんな引き下がった!?

 池君の謎の支持によって、なぜか収集が付いていた。

 ていうか、女子のみならず男子にも人気があるんだな池君。イケメン人気は男女問わずというわけなのか。


「では……起立!」


 意気揚々に皆を立たせる池君。

 意外と委員長気質なのだろうか。リーダー的な位置がすごく様になっている。


「礼! イケメン! 着席!」


 途中何かを妙な言葉を挟んだ気もするが、今更気にするだけ無駄だろう。

 とにかく講義前の一悶着は無事終わった。


 ここから本格的に授業に入る。

 さて、ここからが西谷先生の無双タイムとなればいいのだけれど。

 ……嫌な予感しかしないのはなんでなんだろうなぁ。







 授業が始まってから10分が経過した。

 そして早くも教室内は少しざわついている。

 その理由は明らかだった。

 黒板右隅にチョークで描かれた西谷画伯の作品のせいだ。


「(お、おい、アレ、なんだ? なんなのだ?)」


「(わ、わからん。ミスター鑑定士と呼ばれた俺でもアレがなんのモデルなのか理解ができんっ)」


「(モンスター? いや、古代の哺乳類ではなかろうか?)」


「(アレはオリジナルのゆるキャラに決まっているじゃないか。ゆるキャラの中の人検定二級の我が言うんだから間違いない)」


 西谷先生唯一の弱点はあの画力だった。

 絵心だけは激しい特訓を経ても上達しなかった。

 でもだからこそ一番最初にあの画力を繰り出した。

 落として上げる……とは違うかもしれないが、最初に弱点を示すことで後に出す他の技の威力が増す、と小野口さんが言っていた。


 先生の描いたゆるキャラ紛いは吹き出しで{ここ重要}と言っていた。

 しかし、アレ本当に何がモチーフなんだろう? どうして先生の描く絵は弱ホラーが入っているのだろうか。

 謎のクリーチャーは西谷先生のチョークによりドンドンと増殖している。

 今や黒板はかなりカオスなことになっていた。

 それに連なるように室内のざわつきは大きくなっていっている。


 よしっ、先生今だ!


「そこっ! シャラーップ!」


    ヒュッ!


 先生の叱りと共に放たれた白い砲弾。

 誰もそれがチョークだと視感できないくらいに、その球速は計り知れなかった。

 そして――


    カツ――ンッ!!


 景気の良い音を立てながら後部黒板に命中する。

 跳ね返ったチョークはそのまま大きな円を掻くように宙を舞い、先生の手元に見事返ってきた。

 

「「「「…………」」」」


 見事すぎるチョーク投げを目の当たりにし、ざわついていた教室は一気に静かになった。

 一同ポカーンと驚愕の表情を浮かべている。

 よしっ! 成功だ!


 実はこのチョーク投げ、危険すぎるのではないかという懸念はあった。

 仮に後部黒板に命中したとしても、跳ね返ったチョークが誰かに当たってしまっては問題だからだ。

 しかし、特訓を続けるうちに先生の肩はみるみる上達し、最終的には跳弾の軌道まで計算することが出来るようになっていた。

 この先生も順調に人間離れしていくよなぁ。人外レベルの小野口さんにはまだ及ばないにしろ。


「さぁ、授業を再開するわよ」


 何事も無かったかのように授業再開する西谷先生。

 先生が持つ奥義は後二つ。

 青士さんと池君のアドバイスが齎した奥義である。







 しかし、先生は奥義を放つことなく、授業を進めていた。

 講義の残り時間ももう三分を切っている。

 このまま残りの技を使わずに授業を終えるのもまぁアリかなぁと思った――

 その矢先、先生の奥義コンボは不意に炸裂した。


「それでは最後にこれだけ言わせてください」


 教科書をパタンと畳み、皆の顔を一見すると、先生は一つ咳払いを入れ、ゆっくりとこう言った。


「……みなさん……期末テスト……全力を尽くして……がんばるのよっ(どやぁ)」


    キーーンコーーンカーーンコーン。


 残り奥義、『どこぞのカメラマン並にゆっくりしゃべる』&『眼と表情の力で伝える』が炸裂し、放課後の補講を告げるチャイムが鳴った。

 先生と生徒の間には重い沈黙が流れている。

 さて、どうだ?

 この後の生徒の反応で先生の授業改革の結果が示される。


「「「「…………」」」」


 沈黙が長い。

 これは受け入れなかったのかと半ばあきらめかけていたその時、一人の生徒から小さな拍手が送られていた。


    パチ……パチ……パチ……


 僕の左隣に座っている女の子――星野月羽。

 彼女はこの沈黙の中、控えめに、だけど勇敢に先生へ拍手を送り続けていた。

 ……さすがだね、月羽。

 僕も……負けていられない。


    パチパチパチパチパチ……


 月羽の拍手に同調するように僕も先生へ拍手を送った。

 いや、僕だけじゃない。

 小野口さん、青士さん、池君。いつものメンバーが同じタイミングで拍手を奏でていた。


    パチパチパチパチパチパチパチパチ……


 僕らだけでもない。

 拍手の音は明らかに五人分以上ある。

 これは……


「素晴らしい……素晴らしい授業でした! 沙織せんせぇぇぇぇぇ!」


「この全国現国授業巡礼士である俺も涙を流さずにはいられませんでした!」


「新感覚……まさに新時代を先取りした素晴らしい授業だったっ」


「あのチョーク投げ、見事の一言だった。現役メジャーリーガーの我が言うんだから間違いない」


 拍手喝采。

 先生当人以外、教室に居る全員が拍手を向けていた。


「あ、ありがとう~! ありがとうみんな~~!!」


 少しだけ目に光るものを浮かべながら嬉しそうに手を振り返す先生。


「(一郎君、一郎君)」


 月羽がこっそりと小声で僕に話掛けてくる。

 僕も合わせるように小声で返答した。


「(どうしたの? 月羽)」


「(大成功……ですね♪)」


 月羽も先生に負けないくらい嬉しそうな表情を浮かべている。

 その表情を見て、僕も思わずニヤけてきた。


「(うん。正直どうなるか心配だったけど、いい結果を得られてよかったよね)」


「(はい!)」


 僕らの奇抜なアドバイスを上手いこと活用した先生。

 これであとラップをしてくれたら完璧だったけど、まぁ高望みはすまい。


「(一郎君、経験値稼ぎの件、覚えてますか?)」


「(……あっ)」


 言われ、思い出す。

 そういえば西谷先生の成功の有無は経験値の有無でもあったのだった。


「(大成功ってことで、30EXP獲得ですよ♪)」


 月羽がそっと僕の前に右手を伸ばす。

 衆人の中ということもあって、今回は控えめに彼女の手に触れた。


    ペチンッ


 この瞬間、新たに30EXPを獲得し、これで総経験値が370となった。







「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」


 その授業の後、先生を労おうと旧多目的室へ集合した一同だったが、僕が入室した瞬間出迎えたのは教卓前で大泣きしている西谷先生の姿だった。

 すでに集まっていた他のメンバーは先生をなだめるように囲っている。


「な、なにごと? これは……」


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁんっ! 高橋くぅぅん! わぁぁあぁぁぁぁぁんっ!」


 子供のように泣きじゃくる先生。ていうか子供でもこんな大泣きしないぞ。


「ほら、よしよし」


 小野口さんが先生の頭を撫でている。生徒になだめられている先生って……もはやどっちが年上なのか分からない。


「今日の授業の大成功に先生本人が大感動しているみたいです」


 月羽がそっと僕に近づいてきて、耳打ちをするように小声で伝えてくれる。

 これ、感涙だったのか。ダイナミックに感動する人だなぁ。


「これで……ヒック……これで……私の授業はつまらないなんて言われないで済むぅぅ……うわぁぁぁん!」


 何度もいうが、それは先生の勝手な懸念であって、元々『先生の授業はつまらない』なんて噂が飛び交っていたのかすら怪しい。

 まぁ、仮に飛び交っていたとしても、今日の先生の完璧な授業はすぐに噂になるだろう。きっと先生の人気は更に向上することだろうと思う。

 もともと魅力ある先生だからな。そうなることはきっと必然なのだろう。


「星野さん……イラストのアドバイス……ヒック……ありがとう!」


 先生が泣き顔のまま月羽の顔をじっと見ながら心からのお礼を言った。


「い、いいえ。そんな私のアドバイスなんて全然……」


 謙虚な言葉を放つ月羽に対し、先生は首をブンブン降って『そんなことない』と必死にアピールする。

 一番まともかと思われていた月羽のアドバイスだったが、これが先生にとって一番の奇問だったのだろう。結局最後まで画力あがらなかったもんなぁ。


「小野口さんっ。チョーク投げのアドバイシュ……あり……ありがとぉぉ」


「はいはい。先生の上達っぷり半端なかったですよ♪」


 子供をあやすように、先生の頭を頭をポンポンと触る小野口さん。

 この奇抜なアドバイスが一番効果抜群だったのはたぶん誰もが意外だっただろう。

 この時代に絶滅したチョーク投げを見事復活させた西谷先生は教師世界ではきっと伝説になるだろう。


「青士さん……戦場カメラマンのアドバイス……ありがとうね~~!」


「んなアドバイスしてねーよ!? アタシはゆっくりしゃべる様に言っただけだから!」


 このアドバイスに関しては中々理にかなっていたと思う。

 これだけは是非全先生に真似てもらいたいくらいだ。戦場カメラマン並にゆっくりじゃなくてもいいから。


「池君……眼力アドバイス……ありがと!」


「ふっ、俺のアドバイスを使いこなした先生は見事なまでにイケメンでしたよ」


 変な方向に使いこなしていたような気がするけど。

 もともと表情豊かな先生が更に表情のバリエーションを増やす結果となった池君のアドバイス。

 先生のウザさが倍増しただけ……かと思いきや、最後の最後で使いこなした先生。

 池君の言葉じゃないけど、最後の先生は本当にイケメンと思えた。


「ぐすん……高橋君っ」


 最後に僕の方を振り向いた先生。

 涙を浮かべている綺麗な瞳に少しだけドキっとしてしまった。


「ありがとう……とにかく……ありがとう~!」


 何か僕にだけ適当なお礼に見えるのは気のせいだと願いたい。

 まぁ、僕のアドバイス――『ラップをしてみてはどうか?』というやつは却下されちゃったからな。よく考えればアドバイスが有効じゃなかったのって僕だけか。

 しかし、最後までラップ見られなかったな。それだけがちょっと残念だ。


「まー、とにかくめでたしめでたしってわけだ」


 大きく背伸びをしながら青士さんが解放感溢れる言葉を出していた。


「アタシ達は四日後の期末試験が本番でしょ。今日もガツガツ勉強するからね」


「……うげー」


「ふっ、俺も先生に負けないようにイケメン活動に勤しむとするか」


「だからおめーは薔薇を喰らえながら勉強すんのやめろよな」


 小野口さん達は早くも切り替えて期末勉強モードに移行しているようだ。

 月羽もさりげなくその輪の中に混ざり、教科書を広げていた。

 って、僕も勉強しないとな。


「ぐすん……高橋君……」


 いつの間にか僕の傍に来ていた先生に呼び止められる。


「高橋君……」


 再度、僕の名前を連呼する先生。


「なんですか?」


 首を傾げながら聞き返す僕。

 すると先生は僕の耳元に顔を近づけ、他の誰にも聞こえないようにこう呟いてきた。


「最初に相談に乗ってくれて……ありがとうね……これは先生からの……ご褒美だよ」


「えっ?」


 先生は涙を手で拭うと、一度深呼吸を挟み、僕に『ご褒美』をくれた。


「今日まで……サンキューだYO」


「……!!」


 不意を突かれた。

 もう一生先生のラップは聞けないと思っていたのだけれど……

 この一瞬だけ、ラッパー西谷が復活をしてくれた。


「ね、高橋君」


「はい?」


「素敵なお友達、たくさん出来たね」


 月羽達の方へ視線を流しながら感傷に浸る様に言葉を紡ぐ先生。

 そういえば僕が先生と強く関わりを持ったのって、僕の友達が少なかったことを心配してくれたのが始まりだったっけ。

 確かにあの時から変わったものが多い。

 小野口さん、青士さん、池君と仲良くなれた。それが一番大きい。


 それに変わらない物もある。

 星野月羽――僕なんかを親友と呼んでくれる大事な相棒。


 変わる物も変わらない物もどちらも大事にしていかなければならない。


「でも私的にはクラスメートとも仲良くしてほしいんだけどな」


「……努力します」


 クラス内でのぼっちっぷりも変わらない物に入るんだろうなぁ。

 こればっかしは大事にしていきたくないと思った。

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