プロポーズはマシンガンのように

第7話 13時すぎ、2回目の結婚の打診は絶叫とともに


「おお! おかえ……り……」


 昼休みも終わり、会社へもどってきた古祐こすけを見た小田桐おだぎりは、出ていく直前の決意に満ちみちた表情とはまったく逆の、頭頂部とうちょうぶから妖怪に生気でも吸われたのかと疑うようなやつれはてた姿に言葉をうしなった。


 いっしょに行ったはずのパヌーも見あたらない。


 とりあえず話せる場所へと古祐こすけを会議室へ通しながら、小田桐おだぎりは室内を落ちつきなく歩きまわった。


「まあ、あの、うまく、いかなかったのかなーなんていうのは、見ててなんとなくわかるんですけども、一応ですね、状況について、お聞きしてもよろしいでしょうか……?」


「…………ぱい」


「なんて?」


「…………失敗しました…………」


 会議室に重い沈黙がおとずれた。


 小田桐おだぎりがなにかしゃべろうとし、思考をめぐらしたのち口をつぐむのを何度かくり返していると、ポロリと古祐こすけの目から涙が流れたためぎょっとする。


翡鞠ひまりを、泣かせてしまった……傷つけて、しまった。いままで怒らせたことは何度もあったけど、あんなふうに、本気で拒絶されたことは、なかった……」


「ヒマリさんっていうのか……まああの、フラれることはよくあ、いやプロポーズはそんなにないか、でも世のなかにはそれなりにってこれじゃなんの慰めにもならんな……」


 古祐こすけが泣くのを見たのははじめてだったため、小田桐おだぎりはどうにかフォローしようとするが、適切な言葉が浮かばず苦心くしんする。


「フラれる……わからない……『はい』って言ってくれたのに、一度はうなずいてくれたのに、怒り出して、しまった……」


 古祐こすけが打ちのめされてひとりブツブツとつぶやいているとき、会議室の内線電話が鳴り小田桐おだぎりが取っていた。「え、古祐こすけに?」とこたえながら不安げな顔で古祐こすけを見やる。


古祐こすけごめん、あー、ツイドリの経理部長の佐藤さんからおまえに電話がきてるって。あとに、してもらうか? それともおれ出て用件聞いとこうか」


 古祐こすけ亡霊ぼうれいのように立ちあがったものの、会議室のすみに備えてあったティッシュをとってズビビと鼻をかんだ。


「いや、仕事に、支障をきたすわけにはいかない……出るよ」


 ツイドリさんは重要な取引先であることもあり、涙のあとをのこしつつ、ともかくも一度姿勢を正してから受話器をとる。


「お電話代わりました、新座にいざです。はっ、お世話になっております」


 という定型ていけいの挨拶をかわしたあと、いきなり佐藤氏が電話口からねばっこい声を出した。


『やーお忙しいとこすみませんな。念のための確認をしとかんとと思いまして、月末の入金、まちがいなくされると思ってよいですよね?』


 古祐こすけの背なかに、ひやりと汗が伝う。

 社長が1億円をもっていずこかへと消えたあと、プロポーズにも失敗したしなんの金策もできていない。


「はっ、もちろんです」


 とりつくろうためにとっさに答えてしまう。


『やーそれなら安心しましたわ。なんせ6000万円でしょ。いままでは毎月払っていただいてたのに、うちの社長が突然「3カ月ごとにまとめてやってくれ」とか言い出すもんですからね、どうもそちらの金本かねもと社長からお願いされたみたいですが、経理部長である私の知らん話が頭の上をびゅんびゅん飛び交うんで、なかなかこまってるんですわ。ご存じのとおり、うちも人ばっかり増えちゃいましてオフィス移転もしましてな、内装もこーんなにきれいになっちゃって、その支払いもあるんで御社おんしゃからの入金がないとうちの50人もの社員が路頭に迷っちゃうんですわアッハッハ。それじゃ、1日たりとも遅れることのないように、確実にひとつよろしくお願いしますよ』


 古祐こすけが「はっ」と答えたころには電話は切れていた。

 受話器をおろすこともできず、思考がぐるぐると脳内を行き交うのを耐えるように、「ツーツー」という音が耳のなかに這入はいるのをじっと聞く。


「……なんて?」


 おそるおそる、小田桐おだぎりいた。


「入金……確実にお願いしますよって」


 そっと受話器をもどしながら古祐こすけが答えると、部屋がふたたび沈黙に支配される。


「社長と連絡は、とれてないよね」


「まったくダメだ……」


「そうすると……」


 古祐こすけがしばし室内をうろついたあと、観念したように目をつむると、ぼそりとつぶやく。


「やっぱり、結婚しか……」


「いや、そ、その、ヒマリさんとは、ダメ、だったんだろ……? ちょっと状況よくわかんないけど、そっちはたぶん一回ちゃんと時間あるときに考えたほうがいい気がするから、結婚どうこうは一回忘れようぜ。おまえの、人生に関わることだしさ。1億は、ほかの方法で、どうにか……」


「ほかの方法って、なにかある? 利息的に論外ではあるけど、サラ金にしたって1億なんて大金はそもそも借りれないはずだし、闇金やみきんなら5日あればどうにかなるところがあるのかもしれないけど、そんなツテまったくないしあっても破滅のもとだし、少なくとも自分には、思いつかない」


「……おれも、知り合いの会社やってる連中とかに『もし、もしもの仮定の話だけど』っていくらか借りることできないかって聞いてみたんだけど……」


 小田桐おだぎりが短髪をぐしゃぐしゃにかき乱しながら言う。


「せいぜい1000万円だった……」


「1億なんて、個人で、しかもこの短期間でどうにかできる金額じゃないんだよ本来。どうにか達成するためには、通常じゃありえないような方法じゃないと……」


 無意識に爪をかみながら古祐こすけが言う。

 翡鞠ひまりのもとから帰りながら、誤解があるのではとメッセージを送ろうとしてもブロックされており、電話をかけても「おつなぎできません」と着信拒否されたらしき音声が流れ、どう連絡をとっていいものか皆目かいもくわからない。


 いや、と古祐こすけは口のなかでつぶやいた。


 あれほど傷つけてしまって、二度と連絡するな、近寄るなと言われた自分が、それを破って連絡しようとするのは彼女への侮辱ぶじょくになるのではないか――

 こんな状況における誠意というものがもしまだ存在するのなら、彼女の意思を尊重すること、誤解があれば解きたい、自分への悪印象をぬぐい去りたいなどという自分の保身にもとづく連絡を、控えることがせめてもの誠意といえるのではないか――


「人生……そうだよ」


 古祐こすけはイスに座り、膝を強くにぎって足をゆすり、また立ちあがってうろつき、と落ちつきなく動きながら、先ほど小田桐おだぎりに言われた言葉を反芻はんすうする。

 目をつむると、古祐こすけのまぶたの裏にぼんやりと翡鞠ひまりの幻像が映っていた。ぎゅっと、何秒間か、体内にしみこませるようにまぶたを強く閉じたあと、目をひらいて時計を見る。


 時刻は、13時すぎ。

 期限の17時までは、あと4時間もない。


「うん、そうだ……やっぱり、結婚しかない。ちょっとプロポーズしてくる」


「いやちょっと待てよプロポーズって誰に?」


「そのへんにいる人にでも」


「なに言ってんのおまえ!? ちょっと変になってるよ落ちつけって。ど、どうしたんだよらしくないぞ」


「人生が、かかってる……」


 古祐こすけ能面のうめんのような無表情ながら、目だけがわり、ひとみの奥底が妙な熱を帯びている。


「自分だけじゃない、社員の人たちの人生がかかってる。ツイドリさん、50人の社員が路頭に迷うって、言ってたよ。うちだって、人を増やしてきて30人近い人がいる。お金が足りないと、その人たち全員の人生を狂わせることになる。うちはまだ20代とか30代が中心だけど、ツイドリさんは親御さんから引き継いだ会社で、50代の社員さんもいるって、まえに言ってた。その人たち、いきなり会社がつぶれてかんたんに再就職できると思う? 役員になって、多少だけどみんなよりお給料をもらっているのは、こういうときに責任をとるためなんだと、自分は思ってる。少なくとも役員になることを決めたとき、そういう覚悟をすべきと思って、了承した。……いま、自分が、その責任を果たすべきときだ」


 強く断じる古祐こすけの口調に、小田桐おだぎりされてなにも言えなくなる。

 ため息をついたあと、また頭をかいて言った。


「わかった、おまえにばっかり背負わせて、すまん。おれもできるかぎりのことする。でも、その結婚の条件をくわしく聞いて打開策を考えたかったんだけど、パヌーさんってどこ行ったの?」


「さっき『ちょっと行くとこあるから』って別れた。ただ『結婚するなら教えてね』って言われて連絡先は交換したし、移動中、こまかい条件いろいろ教えてもらったよ」


「そっか、そしたらさ、おまえが行ってるときちょっと考えてたんだけど、『どんな結婚もウェルカム』って言ってたじゃん。同性でも結婚できるって言ってたから、おまえが万一うまくいかなかったら、おれとおまえで……結婚する? とか考えたんだよね。はは、おれ嫁さんいるけど、こうなりゃ一蓮托生いちれんたくしょうだし、ちゃんと話せば嫁さんもわかってくれんだろ、って……」


「考えてくれたんだ……でも、じつは、それ自分もちょっと考えて聞いてみたんだ。そうしたら『その国で法的に認められた結婚じゃないとダメ』なんだって。だからパヌーさんのポッペンシャルルって国に行けば同性同士でも結婚できるんだけど、日本からは片道で1日半かかるから、自分の場合は先に誕生日が来ちゃってアウトになる」


「なんだよおれ結構覚悟決めてたのに! 日本基準ってことは、重婚じゅうこんもダメだろうから、女性でかつ未婚の人じゃないとダメなのか……。ちなみに、籍入れるだけで実質的に結婚生活送ってなかったり、すぐ離婚したりしても、いいのかな?」


「結婚生活どうこうは、判断が難しいから日本だと籍が入ってるかどうかでいいみたい。『ほんとはヨクナイ』とも言ってたけど、かといってダメって断定するのも難しいからって。逆に、すぐ離婚する場合は明確にペナルティがある。結婚が7年間つづかないと、財産が没収されるうえに、ペナルティとして一割多く払わないといけないルール。途中で亡くなったりしたら免除されるみたいだけど」


「7年ってさすがに長すぎない……? ペナルティも、1億の一割だと1000万円か……もとがでかいからしんどいな……これもちなみにだけど、パヌーさんと結婚とかは認めてもらえないのかな? あの人結婚相手たくさんいるって言ってたし、あのノリだったらひとりぐらい増えても『オッケー』って快諾かいだくしてくれそうかなって」


「パヌーさんが立会人たちあいにんになってるからダメだって言ってた。国から別の人に来てもらって、その人に立会人になってもらえればパヌーさんとも結婚できるけど、やっぱり移動時間の問題で自分の場合は間に合わない」


「なんだよ八方ふさがりじゃん! マジで手あたり次第行くしかないの……? 古祐こすけ、あの、女友だちとかって……」


「ひとりもいない」


 言下ごんかにこたえる古祐こすけ


 そういえば、古祐こすけが大学の同級生と卒業後に偶然会った際、「えっ、会社の役員なんてすごーい。ねぇねぇ友だちになろ? 年収いくらぐらい?」と言ってきた女の子がいたが、これも偶然近くにいた翡鞠ひまりが「役員はある程度自分で報酬決められるから年収はピンキリだし、役員には役員の苦労があることも想像せず気やすく人のフトコロをさぐろうとするなッ! 散れ、解散ッ!」と蛇か鬼かという殺気を宿して追いはらっていた出来事がふたりのあいだに存在していた。

 古祐こすけはななめ上に目線を向けており、あるいはそれを思い出しているのかもしれないが、表情からははかれぬ。一瞬だけ、にがい思いを噛むように目を伏せた。


 と、話していると――


 コンコン


 ふいに会議室のドアがノックされた。


 もしかしてほかに使用予定があったかと古祐こすけがパソコンを確認しようとすると、「しまった」とつぶやきながら小田桐おだぎりがひたいに手をあて、


「ご、ごめんいろいろ聞くまえにさ、今月末で辞める予定の、アルバイトの加藤さんいるじゃん。あの子、まえに飲み会やったときに『彼氏紹介してくださいよぉ~あたし結婚願望マックスなんでぇ~』ってめちゃくちゃ酔っぱらってからんできてさ、いや、時間ももうまったくないし、社員とかバイトの子だったら、しっかり事情を話して、絶対に無理強いしない感じにして、もし結婚をオッケーしてくれる子がだれかいたら、そっちのほうがいいんじゃないか? っていう考えもあって、とりあえず時間になったら会議室くるようお願いしちゃった……」


 と弁明しているうちに、「失礼しまーす……?」と中をうかがいながら加藤さんが入室してきた。


 古祐こすけはとりあえず帰すべきではと思ったもののとっさに言葉が出てこず、また時間がないこともたしかであり、どうすべきかまごまごと判断ができずにいるうちに加藤さんはイスに座ってしまう。

 小田桐おだぎりが「とりあえずやってみよう」と古祐こすけへ口パクしつつ、懇切丁寧こんせつていねいに説明をはじめた。


「……と、いうわけで、お恥ずかしい話会社の危機ということもありまして、あの、ほんとに、もし加藤さんがよければなんだけど、断ってくれてマジでぜんぜん大丈夫なんだけど、もしよければ、古祐こすけと入籍してもらえないかなと……今日中に」


 と、小田桐おだぎりがさぐるように予防線をいくつもはりながら打診すると、考えこんでいるのか加藤さんがうつむいている。


「イ」


 かすかにイと聞こえたがなんの音であろうと古祐こすけ小田桐おだぎりが顔を見合わせて耳をすませると、卒然そつぜん加藤さんがブルブルと震え出し、立ちあがって絶叫した。


「イ、イ、イヤァァァァ!! ありえないですよそんなの、イヤッ、イヤッ、イヤァァァァァ!! 結婚の強要だなんてセクハラ&パワハラの極地、極意奥義集大成、人の人生をなんだと思ってんですか私きょうで辞めます、どうせ辞める予定でしたけどもうこんなところには一秒たりともいられません。イヤッ、イヤッ、イヤァァァァァお世話になりましたァァァ!!」


 さけびながら、加藤さんがいきおいよく会議室を出ていく。

 遠くはるか先からも「イヤァァァァァ」のおたけびがこだましていた。聞きようによってはやまびこのごとき清廉せいれんなひびきであった。


「…………まあ、こうなるよね…………」


 ふたりは顔に深く、暗いかげを落として一言いちごんもしゃべらずにいた。

 しばしの沈黙ののち、古祐こすけがボソリとそうつぶやく。


「社内の人にこれ以上迷惑はかけられない(こんな原因で辞められたら正直こまるし)。あと4時間もないし、とりあえずそのへんでプロポーズしてくる!」


 会議室のプリンターで何枚かの書類を印刷したあと、イスの背にかけていたジャケットを手にして古祐こすけがふりかえらずに会議室を出る。

 小田桐おだぎりも急いであとを追った。「とりあえずそのへんでプロポーズしてくる」なんて言葉を人生で聞くことがあるとは想像もしていない。

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