俺の背後に推しがいる

秋月流弥

俺の背後に推しがいる


淡く甘いパステルピンクの衣装。ふわふわウェーブの紅茶色の髪。天使のような蕩けそうな笑顔の君。


輝くスポットライトの光の中で歌い踊る、跳ねる。

喝采と歓声を浴びる。


ステージを輝き照らす天使だったそんな君は、


……今は黒い枠の写真の中で笑っている。



―《お祓い》―


「……」


過去の特番の配信を見終えた俺はスマホから顔を遠ざけため息を吐いた。

そして力なくオフィスの自分の机に突っ伏す。


「はあぁ」

数十秒突っ伏すと今度は動画サイトを開き過去のライブ映像と歌番組での出演映像を交互に見る。ひたすら、見返す。


そんな会社での昼休みの過ごし方を続けて、はや六年。


俺、早乙女さおとめ琉太りゅうたは就職してから六年間ずっとアイドル・羽角はすみ七菜子ななこを推している。


羽角七菜子。

俗に言う、一世を風靡したアイドル……だった。

二十四年間生きてきて俺が唯一ハマった女性。尚、現在進行形。


ソロでアイドル業界のてっぺんにかけ上がった彼女は今も俺の最愛の推しである。


いや、推しなんて軽い言葉で例えてはならない。

彼女は俺の女神であり天使でありミューズでメシアで天照大御神だ(多少解釈の誤差あり)。


……衝撃の出会いは俺が高校三年生、十八歳の頃。


その年のクラスは殺気に満ちていた。

皆、大学受験や就職活動の進路選択が迫られ俺たちは焦りと苛立ちと不安と殺気のごった煮の

闇鍋ならぬ病み鍋を全員でつっつき食らっているような感じだった。

クラスメイトたちがギラギラ殺気立ってる中、少数派である就職の道を選んだ俺はまだ奴らより穏やかな高三の冬を過ごせると思っていた。


が、そんなことはなく。


企業面接を受けては落ち、落ちては受けそして落ちを延々と繰り返し、俺は心がすり減っていた。

『つらい……つらいよ俺の人生……』

磨耗した精神状態と死んだ魚のような乾いた目と心でなんとなくテレビをつけたのが転換期。


画面の中ではアイドル・羽角七菜子が歌っていた。


天使のような清らかな微笑み、砂糖菓子のように甘く優しい歌声。

俺は彼女に夢中になった。

彼女は先の見えない不安から俺を救ってくれた。

言葉に表すなら救世主。女神。天使!

“推し”なんて軽い言葉で言い表したくない。

羽角七菜子は俺のミューズなんだ!



「先輩……先輩! ちょっと聞いてるんすか!」


「はっ!」

「昼休みもうすぐ終わっちゃいますよ。チャイム聞こえなかったんすか」

楠木くすのき。もうそんな時間?」

「先輩この会話何度目だと思ってます? それ……羽角七菜子のライブ映像すか。よく何年も同じ映像見て飽きませんねぇ」

「良いものは何度見ても良いんだよ」

「そうっすかね」


横から呆れたように俺のスマホを覗くのは会社の後輩の楠木。

今年新卒の後輩だがフランクな口調でたちまちオフィス内の人気者に……だがその正体は強火なアニメオタク。

「新しい推し見つけましょうよ~。推しのいた生活より推しのいる生活。未来を見守れる方が精神衛生上良いじゃないですか。グッズも続々と出るし」


アニメキャラのキーホルダーを見せてくる。


「見て見て。『魔法猟師ハンターズキン』のリンゴたんの新作アクリルチャーム! 可愛いでしょ!」

「お前リンゴたんが未来を見守ったあげく結婚したらどうする」

「相手を殺します」

「精神衛生上良くないだろ」

「でも不毛じゃないですか。もう彼女が更新・・されることなんてないのに」


「……」


羽角七菜子は六年前、二十四歳という若さでこの世を去った。

皮肉にも、俺が彼女に一目惚れした年での出来事だった。

ストーカー化したファンによって、彼女は背後から背中を刺され死んでしまった。


あれから六年。

彼女が生きてれば三十歳。

俺は今年で彼女と同じ二十四歳になる。

いつの間にか羽角七菜子の年齢に追いついてしまった。


「ていうか先輩最近クマやばくないすか。四六時中ライブの観すぎで不眠症ですか?」

「んなわけあるか。まあ寝れるんだけど、疲れがとれないんだよ。最近頭痛腰痛胃痛とひどいし、肩こりはするし髪は抜けるし」

「それけっこうヤバいんじゃ」


ドン引きの楠木。


「それに先輩少し痩せましたよね? 心なしか生気もないし……大丈夫すか。ライブの観すぎで羽角に命吸われてるんじゃ」


「んなアホな」


しかし最近の不調の多さはさすがに不安になる。

自分はどこか悪いのではないかと。


「あ! そうだ先輩。俺の知り合いでいい治療する奴いるんですよ。なかなかの名医? で謎の不調もそいつの治療にかかれば治るとか」


楠木はメモに地図と住所を書いて渡してくる。


「とにかくそこ行ってください! 何か原因がわかるかも!」


紹介先は神社だった。


「神社あぁッ!?」


なぜ神社。医者ですらないじゃないか!!


「ようこそおいでなすった」

鳥居をくぐると胡散臭げな微笑みをたたえた神主らしき男が出てきた。

「あの、原因不明の不調を治してくれると聞いて会社の後輩から紹介されたのですが……」

「なるほど。楠木からですか」

「本当にここであってます? ここ病院じゃなくて神社ですよね」

真っ赤な鳥居を見上げながら聞く。


「ほほほ、あってますよ。あなたの不調は“霊にとり憑かれて”出ているものですから」


「は……?」


霊……?


じゃあ、俺の体調不良はウイルス的なものでなくゴースト的なものからくるもの?

「背後霊ですな。だいぶ生気を吸われています。さあさ本殿へどうぞ。お祓い致しますので」

すすすーっと神主が先導するよう先を歩く。

真っ直ぐ見据えた先に本殿があった。石畳を進み靴を脱いで本殿に続く木造の階段を上る。

本殿へ入ると、さっそくお香の匂い漂う室内でお祓いの儀式が行われた。


なんたーらかんたーら。


何だか仰々しい雰囲気で神主が呪文らしき言葉を唱える。

だが三十分以上お祓いを受けるも身体はどっすり重いまま。

「なかなかしぶといお嬢さんだな」


「お嬢さん? 女の子なんですか?」


「ええ。でもお嬢さんとはいえ背後霊。霊は霊なので成仏させます。あ、これ引っ張ったらいけそう」

「え!? 背中から出てる感じですか!!」


どうやら背後霊の一部が俺の背中から出かかってるらしい。

神主は俺の背後にまわり、

「オーエスオーエス」


綱引きを始め出した。



『させるかーっ!』


「「!?」」

凄い勢いで後方に神主が吹っ飛んでった。


「かか神主さんーーっ!?」

振り返ると障子を突き抜けた先に神主の足だけが痺れるように震え立っていた。どっかの家の一族でこういう死に方した人いたな。


「レディのおみ足引っ張りやがって! 気安く触らないでよ!!」


「ええ!? 誰!?」

すぐ後ろから声が聞こえた。

「後ろだよすぐ後ろ!」

遥か遠くへ飛ばされた神主より手前の後ろに少女がいた。

「せっかく居心地いい背中見つけたのに! 勝手にお祓いなんてしないでくれる」


少女、というより女性か。

声色がどこか大人っぽい。


縁取る睫毛も切れ長な瞳も少女よりかは童顔の女性に近く、薄めの化粧が施されている。紅茶色のウェーブがかった長い髪を後ろでゆるく束ねている。

この人が俺に憑いてた背後霊?


「たしかに可愛い」

「ええ本当?」


思わず呟くと、背後霊は俺の前に来てにっこり笑う。

「坊や見る目あるよ。素直でいいこいいこ」

「背後霊って前に来てもいいんですか」

「背後霊だって横や前に来たい時だってあるよ。人間だもの。あ、違った、幽霊だった! ワハハ」

「……」


少女みたいな見た目に反しておっさんみたいな中身だった。


「むわッ!?」

「ゼエゼエ……捕まえましたよお嬢さん」


いつの間にか駆けつけた神主が背後から彼女を羽交い締めにした。


「悪いが今度こそ祓わせてもらう……!」

「離せ離せーッ! この変態神主! 変態変態! ポンコツ! ヤブ医者まがいの副業ペテン師野郎!」

「この娘地獄送りにしてくれる」

神主の目が私怨まみれの鬼みたいでこのままでは成仏どころか粒子ごと粉砕させそうだったので仲裁に入った。


「あの、彼女嫌がってるんで。俺なら大丈夫なので、一旦お祓いは中止してもらえますか」


「ええ持ち帰るんですか!? 今ならその場で祓えるんですよ!」

「そうなんですけど……なんか無理やり祓うのも可哀想だし……テイクアウトで」

「ファストフード店みたいに言わないでくれる……っていうか、坊や、君はそれでいいの?」

背後霊は俺に聞く。


「私幽霊だよ。宿主の君の生気とか吸っちゃうし、本当にいいの?」

「背後霊さんさっき言ってましたよね。『せっかくいい背中見つけたのに!』って。あの言葉、きっと幽霊になってから居場所を探すのに苦労したんですよね。無下に祓うなんて気の毒ですよ」

「……君、お人好しすぎるよ」

「そうですよね。自分でもそう思います」

「まあそういう人好きだけど。って顔色悪っ!?」

結局具合が悪いまま背後霊の彼女と共に神社を出た。



―《同居》―


「それで、このまま俺は家に帰るんだけど……背後霊さんも俺の家に帰るでいいんですか」

「背後霊が背後から離れてどうすんのよ」

「その通りでございます」

「どうせ自分の家に帰っても家族は私のこと見えないしね。あそこにいても虚しいだけだし」

「あ……」


そうか。

俺以外の人間には見えないのか。

あるいは先程の神主のような霊感の強い人くらいか。


「知ってる? 君ね、数日前に私が落としたハンカチ拾ってくれたんだよ。私が幽霊と知らずに」

「え、マジですか」

「話しかけても認識しない人間ばかりの中で嬉しかったなー」

「もしかしてそれで俺に憑いたんですか」

切れ長な瞳がにっこり三日月をつくった。

マジか。


「気心知れた奴にはかたっぱしから声かけたんだけどダメだった。やっぱ堪えるよね。本当に死んじゃったんだなって」

「……」


どんなに自分が声をかけてもその声は人には届かない。

自分の大切な人から自分を認識されないのはとても辛いだろう。


「ねえ名前なんていうの?」

「俺ですか」

「若いよね。学生?」

「まさか。二十四歳ですよ。会社員です。そういうお嬢さんは?」

「年齢を聞くのはよくない文化だよね」

「躊躇う年齢じゃないでしょう」

「私ずっと坊やより年上だよ」

「え?」

「生きてれば今年三十歳。三十路の大台だね」


この人俺より六つも年上なのか!?


「亡くなったのは六年前。坊やと同じ二十四歳の時だからね。見た目は当時のままだからピチピチギャルなのさ」

(あんまり今ピチピチと表現しないような……)

ジェネレーションギャップを感じてしまうあたり本当にその世代の人物なのだろう。

しかし六年前……俺が羽角七菜子に出会った高校三年生の時か。



一人暮らしのアパートは一人だからちょうどいいのであって二人だと少々狭く感じる。


「お邪魔しまーす」


玄関で靴を揃えるところで急に緊張感が上がっていた。


(これっていわゆる同居だよな)


大丈夫なのだろうか。

幽霊といっても相手は女性。

ずっと羽角七菜子ひとすじだった俺は交際経験は皆無だった。


「ねえお風呂入りたいんだけど」

「いきなり風呂!?」

背後の彼女がそう言うのでドギマギしながら風呂を沸かす。

幽霊が風呂入る必要あるのか、などという疑問より女性が自分ちの風呂を使うことが初めての経験で頭が追いつかない。


(平常心平常心)


なんとか湯を入れ終えよくわからん汗を拭うと、「お疲れ~」と彼女はご機嫌で風呂場に走っていった。

「し、心臓が持たない」


背後霊といえ同居をなめていた。


「ていうか背後から普通に離れてるし」

一応身体は重いから憑いてることになってるのか。なんてアバウトな。


~♪


風呂場から鼻歌が聴こえてきた。

どうやらご機嫌のようだ。

まあ彼女が居心地好さそうなのでそれは良しとするか。


~♪♪


「ん?」

あれ……

この曲、どこかで聞いたことあるような……

「凄く聞き覚えのある曲のような」

つい最近聞いたばかりな気がする。

数時間前とかに。


……ていうか今日も聞いた。



「まさか」

脳内に時代年表を広げる。

背後霊に聞いた年齢と彼女・・の年齢を照らし合わせる。六年前・二十四歳・生きてたら今年三十路、検索。

検索したワードがある答えに一致した瞬間、俺は風呂場のドアを思いっきり開けていた。


「もしかして“羽角はすみ七菜子ななこ”ーーッッ!!!?」

「きゃーっ!? 何!?」


風呂場に飛び込む俺の顔面に彼女が投げた洗面器がヒットした。


「びっくりしたよもう」


濡れた髪をタオルでしぼりながら唇を尖らせる背後霊……もとい羽角七菜子。

なんと背後霊の正体は一世を風靡したアイドル・羽角七菜子ご本人だった。

「急に乙女の入浴中に入ってくるんだもん。大人しい顔してなかなかの野獣かよ。ビックリしたじゃん」

「ごめんなさい……いやでもそれ俺の台詞……ていうか本当にあの羽角七菜子さんなんですか」


だって、その……アイドルの羽角七菜子は……


「あー」

彼女が気不味そうに言い淀む。


「すっぴん見て驚いたでしょ。全然違うじゃんってがっかりするよね。カメラに映る時は盛ってるから。カラコン、つけま、二重糊に二重テープ、更に追加で画像加工……サギれるものはサギる。メイクも編集技術も可愛く魅せるためのツールは全て使う。整形級にね。外歩いても本人って気づかれないし。もはや別人だよね」

「一番別人なのは中身の方だと思いますけど」

「ワハハ」


今ここにいる彼女はメディアで見る彼女と全然違う。

容姿も口調も雰囲気も。砂糖菓子のようにふわふわ甘く溶けそうな儚さはない。

儚さどころか、髪の吹きかたも乾かし方も豪快、借りたTシャツを威勢のいいモグラの如く頭から突き出す彼女は砂糖菓子ではなくサバサバの切れ味爽快なミントのようだった。

「幻滅した?」


「え?」

「筋金入りのファンでしょ君」

「まあ……芸能人なんてイメージ戦略でしょ。そりゃ驚いたけど、そっちが本当のあなたなら俺は今のあなたを推します」

「推してくれるの」

「筋金入りですからね」

菜七なな

「え?」

「私の本名。菜七っていうの。そう呼んで」

「な、菜七、……さん」

「ありがとう琉太・・くん」


そう耳もとで囁く声は甘くて。


胸の鼓動がヤバい。

バクバク鳴ってる。

俺はこの人と同じ屋根の下で暮らせるのか!?

し、心臓が破裂してしまう……



ドガーーーーンッッ!!!!


「本当に爆発したァァッ!?」

「あ、ゆで玉子作ろうとしたらレンジが爆発しちゃった」


隣のキッチンからは黒煙が立ち上っていた。



―《別れ》―


俺と菜七の同居生活が続き季節は夏になった。


ずっと続くと思ってた同居を終わらせたいと言ったのは菜七だった。

「どうして」


「琉太くん痩せたでしょ。顔色も前より悪い。このまま私が憑いてたら命が危ない」


「別に、これくらい」

「私やっぱり悪霊なんだね。側にいたい人が弱ってくの辛いよ」

「それは」

「琉太くんだって私が辛いの本望じゃないでしょ」

「……」

「ね、私のお願い聞いてくれる?」


夕方六時。

お願いと聞いてやって来たのはお祓いの時に来た神社だった。


閑散としてたあの時と違って今日は人で賑わっている。


「お祭りやるんだってこの時期」

そういう菜七の手にはりんご飴。

「屋台もたくさん出るし花火も打ち上げるらしいよ。やるねあの神主」

菜七のお願いとは俺から離れる前に一緒に二人で夏祭りをまわることだった。

「親が厳しくてさ、あんま友達と出かけること出来なかったんだよね。青春ゼロ!」

「芸能活動だって立派な青春でしょう」

「まあねえ……でも恋くらいしたかったな……胸キュン的な。今でいうエモい体験」

エモい体験ねえ。


「これくらいしか出来なくて恐縮ですけど」


そう言って俺は手にしたスマホをカメラモードに切り替え、隣にいる菜七の肩を引き寄せる。


「ちょっ!?」

「出来なかったんなら今出来ることをやろうかと」

「無理無理、私、今バッチリメイクしてない!」

「? 別に可愛いですけど」

「馬鹿! 準備がいるの! アイドルは写真一枚でも最高に可愛いく写りたい生きものなの! これ常識な!」

「そうなんですか」

「そうなんです! でも、まあ、いいか……そもそも私死んでるし、誰に見られるでもないし」


「……」


引き寄せる力を強くする。

カメラの中心に二人収まるように間の距離を埋める。

「琉太くん……?」

「俺、撮った写真はアルバムに貼る主義なんです。アルバムめくってその時のこと楽しく話したいから。だから菜七さん俺とアルバム見ながら今日のこと振り返らせますよ。俺がアルバム見る度に」

「それじゃ私君から離れられないじゃん」

「そばにいればいいよ。俺の側にずっといればいい」


……我ながら似合わないことを言って何だかこそばゆい。


シャッターが鳴った。

時を刻む音は祭りの賑わいに溶けてしまいそうに小さく儚い。

不確かなそれは、俺と菜七の関係のようだった。


「よく考えたらこれって心霊写真か」

「どんなにエモく撮ったって私は背後霊ゆえね。夏の風物詩心霊写真の完成だ!」

「そういや最近心霊写真って見ないですね」

「デジカメになってから解像度上がりすぎて撮れなくなったみたいだよ」

「やらせじゃないですか」

「よかったねこれは本物だ」

「……」

「大丈夫エモいよエモい」

「尊い尊い。エモいしか勝たん。キュンです心友チョベリグー! ですね」

「無理して使わなくていいよ琉太くん」


……ぴえん。



二人で花火を見終わった後、アパートまでつくといよいよ菜七が離れる時がやって来た。


「世話になったね」

横に歩いていた菜七は顔を見られたくないのかうつむきながらそっと俺の背後に周り、背中に手を添えた。

「本当に、楽しかった」


小さな手はかすかに震えていた。

呟く彼女の声は消えてしまいそうなくらいか細く儚くて、本当にお別れなんだな、とやっと実感した。

「背中、いつでも空けときますから」

ふふ、変なの。

言っといて自分も笑ったし背中から笑う振動が伝わった。

最後にかけた言葉は再会を誓う言葉だなんて。背後霊に対してなんたる言葉だろう。


『ありがとう』

背中から聞こえてきて、その瞬間から身体の重みが消えていった。


やたら軽くなった身体に寂しさを覚えてしまう自分がいた。

この世から、本当に推しがいなくなってしまった瞬間だった。




―《俺の背後に》―


「まーた見てるんですか。羽角七菜子のライブ」


楠木がオフィスで声をかけてきた。

「何年も同じ映像見てよく飽きませんね。もう彼女が更新・・されることはないのに」

「固執して何が悪い」

「新しい推し見つけましょうよ~。推しのいた生活より推しのいる生活! 推しの未来を見守れる方が精神衛生上良いじゃないですか」

「お前大好きなリンゴたんが結婚したらどうする」

「相手を殺す」

「精神衛生上良くないだろ」

「ていうか先輩また顔色悪くなってないですか」

「ええぇ俺顔色悪い?」

「悪いですよほら」

楠木から差し出された手鏡(リンゴたん柄)で顔を見ると確かにどす黒い土色の顔色だった。


「霊に目をつけられてる予兆かもしれませんよ。お祓い行ったばっかなのにもう新しいのくっつけるなんて。先輩霊にモテモテっすね」

「なんだよそれ全然うれしくない」


言った同時に背中がズンッ……!!と重くなった。

「!?」

その途端始まる謎の頭痛に吐き気、ダルさ悪寒肩こりの不調オンパレードにあの日の感覚が舞い戻ってくる。


こ、このダルさは……!


いっきに重くなった背中の方に首をまわすと、見慣れた紅茶色のウェーブ髪がふわりと頬にかかった。

「へっへー帰ってきちゃった」


「なぜに!?」


俺から離れたはずじゃ!?


「いやぁ私がずっと憑いてたら琉太くんが弱るのは事実じゃん? だから少しの間あの世に里帰りして君が回復したらもう一度憑く予定だったのさ」


「あの世に里帰りって何!?」

「はっはっは」

「笑ってる場合か!」

「元気そうで何より。これならドラマ1クール分は居られそうだ。死にそうになったらすぐ言ってね。充電は早めにするに限るから」

「元気になったらまたとり憑くって悪魔か!!」

「ううん? 君は私のこと砂糖菓子のように甘くて儚い女の子だって思ってるんじゃなかったのか。君の背後にいる推しは悪魔なのかい?」


背後からまわされる腕から逃れられることはきっとない。

毒々しくも甘い背後の彼女との日常はこれからもずっと続いていく。

俺の健康を削って。


「いいえあなたはとびきり素敵な天使様です!」



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俺の背後に推しがいる 秋月流弥 @akidukiryuya

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