第2話 勧誘
「すまんね、片付けに時間がかかって」
「ううん、構わないよ。師匠の家ならなんでもいい」
「言い方が怖いよ……」
エヴァの言葉に怯えながら、俺は彼女の前にお茶を出す。
「本当に久しぶりだな……えっと、何年ぶりだ?」
「四年と三か月と四日だよ。寂しすぎて死んでしまうかと思った」
「あの魔王にすら苦戦しなかったって噂の君が……?」
聞いた話によると、魔王の下にたどり着いた勇者の三人は、大した怪我も負わずに帰還したらしい。
俺も一度だけ魔王の配下である魔族たちと対峙したことがあるけど、一筋縄ではいかない奴らばっかりだった。
しかしこの子はその親玉をほぼ無傷で倒してしまったというのだから、我ながらとんでもない化物を育て上げてしまったもんだと恐ろしくなる。
まあ、もちろん誇らしさの方が勝つけど。
「魔王も強かったけど、ローグ師匠ほどじゃなかったよ。師匠が戦っても、余裕で勝てたんじゃないかな?」
「……それは言い過ぎ。俺なんか、もう君たちには敵わないよ」
「相変わらず謙虚だね。そんなところも愛おしいよ」
本当にさらっと言ってのけるな、この子。
ただ、この自信に溢れた雰囲気は、エヴァが培った強さゆえのものだろう。
俺が言った言葉は、決して謙遜なんかじゃない。
魔王討伐に出発してから、エヴァはますます実力を伸ばしている。
まさに次元を一つ跨いだようなレベルだ。
今この場で俺が斬りかかったとしても、きっと簡単に撃退されてしまうだろう。
「それで……わざわざこんな辺境まで俺に会いに来るなんて、一体どういう要件だ?ていうか、そもそもここに住んでること話したっけ?」
「この村のことは、エルゼガル騎士団の人に聞いたんだ。なんなら連れ戻してほしいとまで言われたよ。さすが師匠、慕われてるね」
エヴァは誇らしげにしている。
俺としてはちょっと複雑な気持ちもあるのだが……まあいいか、もう戻ることはないわけだし。
「それで要件なんだけど……まずはボクの近況について話してもいいかな?」
「ああ、ぜひ聞かせてくれ」
王都で別れて以来、自分の教え子たちのことは流れてきた噂などでしか聞いてこなかった。
もちろんずっと気にかけてはいたが、正直自分もそこまで余裕がなかったというか――――まあそれは置いといて。
「魔王を倒したボクらは、今それぞれ別の道に進んでいる。ボクはエルゼガル王国に頼み込まれる形で、冒険者学園の方に通っているよ」
「へぇ、冒険者学園か」
魔物の討伐依頼や、危険な地域での採取依頼、未確認要素だらけの迷宮攻略などを生業とする、常に命がけの職業、それが冒険者。
その人材を育て上げる教育機関が、今話に出た冒険者学園だ。
学園を卒業できれば、冒険者ライセンスという冒険者活動に必須な資格が手に入る
もちろん個人でも資格を取るチャンスはあるらしいが、もっとも確実で、尚且つ実力も育つという点において、学園の右に出る手段はない。
「確か……エヴァはまだ十七歳だっけ? じゃあ学園では二年生?」
「そうだよ。もう結婚もできるね」
「なんのアピール……?」
「っと、気を取り直して……それでボクは一応学園の生徒ではあるけど、講師も兼ねてるって感じなんだよね」
「教える側も任されてるのか。さすがだな」
「まあね。……みんなあんまりボクの説明を理解してくれないけど」
エヴァの目は、どこか寂しそうだ。
ただ俺としては、エヴァの説明が理解できない者が多いというのは納得だった。
とにかく天才肌である彼女は、あらゆるものを感覚で身に着けていく。
しかし一転、それが教える側に立つと、感覚で語ってしまうばかり理論的に説明できないのだ。
なんでも吸収してくれるし、教える側としては楽でよかったのだが……。
「魔王は倒されたけど、魔王のせいで活性化した魔物やダンジョンはまだ残っている。ダンジョンから魔物があふれ出したなんて話も聞くようになったし、世界はまだ平和になり切ったとは言えないんだ。今いる戦力じゃ、人々を守り切れない日が来てしまうかもしれない」
「……新しい世代が必要だな」
「その通り! そこで本題だ」
ヒートアップしてきたエヴァが、体を乗り出す。
「師匠、ボクと共に王都に来て、冒険者学園の教師になってほしい」
「……は?」
突然の申し出に、疑問符が浮かぶ。
講師になってほしい? この俺に?
「いや……いやいやいや、無理だよ」
「何故? 教育者として、ローグ師匠ほど向いている人はいないよ」
「だからって……俺は今飲んだくれで……何年も前線を離れてるし……」
「関係ないよ。師匠なら絶対皆を強く育てられる」
キラキラとしたエヴァの視線が、俺を射抜いた。
とてつもなく強い期待を向けられている。
思わず逃げたくなってしまう気持ちを抑え、俺はエヴァに向き直った。
「……無理だ。俺にはもう、そんな力はない」
拳から力が抜ける。
こんな風になっても、期待してもらえるのはありがたい。
しかし、どうしたって気持ちがついてこないのだ。
エヴァや他の教え子をみすみす死地へ向かわせた臆病者の自分が、自ら戦いに出向かなかった自分が、再び将来有望な若者にかかわっていいとは思えない。
「――――では何故、素振り用の木剣が手に取りやすいところに置いてあるのかな?」
「え?」
エヴァが指さした先、そこには俺が普段素振りをする時に使っている木剣があった。
国を守るために生きる誇り高き騎士団を辞めた俺に残った、唯一の習慣である。
「ずいぶん使い込まれてるように見えるよ。一日だって欠かしてないんじゃないかな」
「……まあ。癖っていうかなんというか」
「つまり、師匠は強さへの渇望を捨てていないってことだろう?」
「……」
――――そうなのだろうか?
正直、自分ではよく分からない。
「……魔王討伐の旅に同行しなかったことで、師匠がボクらに負い目を感じていることは知っている」
「っ……」
「でも、ボクは師匠に感謝しているんだ。困難に立ち向かう力を育ててくれた、あなたに」
そう言いながら、エヴァは俺に向けて手を差し出してきた。
「そして世の中には、ボクと同じように立ち向かう力に飢えている人間が山ほどいる。特に冒険者学園に通うような連中は、全員がそうだと言っていい。……みんな、師匠のような教育者を必要としているんだ」
「……」
「どうかボクらに、今一度力を貸してほしい」
俺はエヴァの手を見つめる。
ずっと、自分がしてきたことに意味なんてないと思っていた。
誰かを守るために戦っていたのに、結局すべてを失って。
家を出る気力も、新しく何かを始める気力もなく、ただ過去の栄光である剣に縋った。
そんな俺を求めてくれる人がいる。
エヴァが必要としてくれるのであれば、俺の中にはまだ、残っているモノがあるのかもしれない。
「……分かった。役に立てるかどうかは分からないけど、君にそこまで頼られちゃ断れないよな」
「っ! ありがとう! 師匠!」
「だ、だから抱き着くな! 年頃の女の子が!」
手を取った瞬間とびかかってきたエヴァを、かろうじて回避する。
おっさんと言っていい年齢になった今、体臭だってかなり気にしているのだ。
もしエヴァから臭いと言われようものなら、心が折れてしまう。
俺は再びとびかかろうとしているエヴァを背に、家を飛び出した。
これが新たな門出なんだとしたら、ずいぶん締まらない始まりである。
◇◆◇
エヴァ=レクシオンは、師であるローグを追いかけながら、その背中を見つめるために目を細めた。
(もうお前たちには敵わない……? 謙遜にもほどがあるよ、師匠)
エヴァから見て、四年前に別れたあの日から、ローグの気配はまったく弱まっていない。
むしろあの時よりも洗練されているようにすら感じる。
浴びるように酒を飲んでいたのに、まったく衰えていない肉体。
底が見えない潜在魔力。
立ち姿からあふれる気品と、しみついた技と経験の数々。
たとえここでエヴァが斬りかかったとして、彼を打ち取れるとは到底思えなかった。
(まったく、こっちは魔王を倒したっていうのに……)
呆れすぎて、エヴァは笑みをこぼした。
今の自分が、どこまでローグに食いついていけるか。
偉大な師を持った誇らしさと、それを超えられない自分の不甲斐なさ。
すべてひっくるめて、エヴァはローグを愛している。
七年間、ずっと――――。
「……もう逃がさないからね、ローグ師匠」
エヴァは不敵な笑みを携えたまま、その偉大なる背中を追いかけた。
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