両親が「こんな私」と「理あ彼くん」でした

ゴオルド

第一話 豆まきのために「きれいな靴下」が必要!?

 マラソンで走っていて、私だけ給水ポイントがないような人生だった。

 他の人たちが飲み物で回復している中、私に手渡されるのは親の愚痴。それでも走り続けて、ついに干からびて道に倒れてしまった。

 辛い。

 ああ、だけど、世の中にはマラソンに出ることすらかなわない人もいる。親にアキレス腱を断たれてしまって、立つのも難しい人もいる。

 それに比べたら、私なんかが不満を言っちゃいけないんじゃないか。

 これぐらい我慢しなきゃいけないんじゃないか。

 そう思って閉じ込めてきた思いがある。

 

 今、路上に倒れたまま、自分の過去を振り返る……。



 子供の頃、家庭内において私は、カウンセラーの役割を負っていました。両親の愚痴、自慢、子育ての不満などを聞くのが、私の仕事です。

 うちの両親は「子供は親の娯楽品である」という強い信念を持っており、私が小学4年生のころ、それがもとで地域で孤立する事態にまで発展しました。ママ友が「子供には幸せになってほしい」と言ったとかで、母はそれにカチンときてしまったのです。

「子供の幸せを願うなんて間違っているよ。子供は親を楽しませるための物なんだよ。みんなおかしいよ」

 そう主張して、周囲からやばい人だと思われてしまったんですね。そのため転居せざるを得ませんでしたし、私も転校させられました。親の都合で小学校は3回転校しました。


 さて、そんな我が家はどんな様子だったか、少しだけ書いてみようと思います。 


 あれは小学4年生の2月のこと。節分の日に学校で豆まきをすることになりました。

 前日、先生から、「あしたは、きれいな靴下を持参するように。できれば新品の靴下ね」と言われました。

 私は転校してきたばかりで、豆まきと靴下の関係がよくわかりません。しかし、ともかく先生がそう言うのだからということで、素直に話を聞いておきました。


 帰宅し、台所にいる母に相談しようとしたときのことです。

「ただいま。お母さん、あのね、あした小学校で豆まきを……」

 母は、ぱっと笑顔になりました。

「でも、お母さんは豆ごはんが好きなんだよ」

 母に話をしようとすると、いつも遮られて、別の話になります。

「美味しいよね、豆ごはん。それで、あした……」

「誕生日は豆ごはんだったよ」

「うん。前も言ってたよね。それで……」

「あ、お父さんが帰ってきた!」

 こうして話ができないまま交渉第一部は終了です。でも私もたった1回で話を聞いてもらえるとは思っていません。第一部は助走みたいなものです。


 そして始まる交渉第二部。

 いよいよ本気で話さねばなりません。私はきれいな靴下も新品の靴下も持っていないのです。うまく伝わらないと、学校で恥をかくことになりますから私も真剣です。


 両親と夕飯を食べながら、私は切り出しました。

「お父さん、お母さん、聞いて! あした学校で……」

「僕? あしたは仕事だよ」

 父はどんな話題も自分への質問だと誤解しがちです。

「うん、平日だもんね。それで私……」

「お母さんは買い物に行くの」

「そうなんだね。それで学校で豆まきが……」

「豆まき。あ、あしたは節分だ」

「そう! そうなの! 節分なんだよ! 良かった通じた。それで……」

「恵方巻き、娘ちゃんはエビが良いんだよね」

「えっ……え? いや、エビって、いや、あの、学校でね」

「娘ちゃんはエビを食べたいと思ってるの」

「そうなの? じゃあ、もうそういうことでいいけど、あした学校で必要なものがあるから買ってほしいの」

「スーパーのチラシ探さなくっちゃ」

「あした雨がふるって天気予報で言ってるね。僕やだな」


 こうして夕飯が終わりました。普通の人相手なら3分もあれば伝わる話なのですが、両親相手だと簡単にはいきません。

 でも両親はわざと意地悪をしているのではないのです。どうしても私の言葉が脳みそまで届かないだけなのです。


 そういうわけで、気合いを入れ直して、交渉第三部の始まりです。

 台所で洗い物をしている母の隣に立ち、私はゆっくりと語りかけるような口調を心がけました。

「お母さん。私ね、あした、きれいな靴下を、持っていかないといけないの」

「お母さんの靴下、穴が開いてるの? 知らなかった」

「いや、お母さんの靴下じゃなくてね」

 なんかもう疲れてきちゃう。いや、だめだめ、諦めちゃだめ!

「あのね、私がきれいな靴下が要るの。新品が良いって先生は言ってたよ」

「ふーん」

 理解してくれているのかどうかすらわかりません。しかし、ここでくじけてしまっては、あした恥ずかしい思いをしますので、頑張って説明を続けます。

「私は新品の靴下を持っていないの。いまから買いにつれていって」

「好きにしたらいいよお。そんなことより、あっ、イチゴ食べる?」

「食べ……食べるけど、靴下は?」

「だから、好きにしていいんだよ。娘ちゃんのやりたいようにやってごらん?」

「うん? どういうこと? え、だから……どういうこと? ひとりで買いにいくってこと? でもまだ引っ越したばかりで、靴下を売ってるお店がどこにあるのかわからないよ」

「だーかーら! 好きにしていいってば」

 好きにしていいというのは、子供の自主性を尊重する言葉のようでいて、親としての役割の放棄というか、かかわりの拒否の言葉であるように私は感じます。

「うるさいなあ、テレビが聞こえないよ」

 お父さんが台所にやってきました。

「お父さん、私、あしたきれいな靴下が要るんだよ。だから買いに……」

「靴下にきれいも醜いもない」

「醜い? いや、そういう意味じゃなくて、あしたは節分で学校で豆まきをするから、きれいな靴下を用意しなさいって先生に言われたんだよ」

 父は顔を真っ赤にして、私をにらみつけました。

「豆まきだからきれいな靴下なんておかしい! 間違ってる!」

「でも先生が」

「先生が間違っているんだ!」

 そうなのかな……。というか、お父さんがなぜそこまで激怒しているのかが私にはわからないよ。



◇◆◇


 昔から父は何に対して怒るのか謎な人でした。人からバカにされても怒らないけれど、「ハサミを使ったら、もとのところに戻してください」と言われたら、顔が赤黒いほどになって、「僕に24時間ハサミを監視しろというのか」と意味不明なことを言って、怒りを爆発させるのです。そんなぐあいですから、私には父の怒りポイントがさっぱり読めませんでした。


 父とスーパーに行ったときも、家庭から持ち込んだゴミを店内のゴミ箱に捨てていたら、店員さんから注意され、父はマジギレしました。

「ゴミ箱はゴミを捨てるためのものなのに、店員の言うことは理屈に合わない!」

 理屈とかじゃなくて、それがお店のルールならば、客は従うほかないのでは。私がそう言っても父は怒るばかり。

 この一件で、私たち一家は、店員さんから「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」を言ってもらえなくなりました。もはや出禁寸前です。でもそれを気にしているのは私だけ。両親はちっとも気にならないみたいで、母なんかはお総菜売り場で鼻をほじり、鼻くそのついた手でお弁当を触って回るなどの行為を悪気なく繰り返していました。悪気はなくてもやめようね、そう注意すると「私が死ねばいいんでしょ」とキレ出すので、何も言わずに手をつなぐことで制止していました。泣きたい。


 車で出かけたときも、父は身障者用の駐車エリアに車を停めたがるので、私がやめてくれと頼むたびに激怒したものでした。

「みんなが僕に感謝しているってことがなんでわからないんだ!」

 わからない……いくら考えても、父の言っていることが私にはわからないのです。


 店員さんにお金を投げるのも失礼だし、こんな仕事は女のすることで男がするような立派な仕事じゃないなどと清掃員に向かって「良かれと思ってアドバイスをしてあげる」のも失礼だし、私にはまったく理解ができないのです。

 お世話になった人に「そんな小さい会社でよく頑張りますね。僕だったら無理だなあ」と父がにっこり笑って言ったときは、きっと相手を褒めているつもりなのだろうけれど、私は恥ずかしくて情けなくって、消えてしまいたいとさえ思いました。その横で、着飾った母が目に付いた文章を音読しながら、鼻くそをほじっているのです。

 辛い。

 両親といると、意味不明で、ただただ肩身の狭くなるような、泣きたくなるような、みじめなことばかりでした。

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