第4話 ② 「彼らは本当に親子なんだな」という安心感

  高野悦子さんの死後、彼女のお父さんは社会的地位(町長)という殻を脱ぎ捨てて、まるで、褌一丁・裸足で駆けめぐるかの如く、娘の死とその責任への痛恨を背負い、様々な場所で沢山の人々の前で「自分が娘を死なせてしまった」というお気持ちを吐露されていらしたそうです。


 もちろん、親御さんとしてこの方は何も悪いことはしていない。お金に不自由させず、正しい教育をされ、親元から離れた大学へまで娘の希望通り行かせてあげた。普通の父親の役を演じていただけなのに、「娘を救ってあげられなかった」と、激しくご自分を責め立てた。


しかし、「それって高野悦子さんそのものじゃない ?」


真面目で誠実で真摯で、という高野悦子さんの性格そのままを、彼女のお父さんに見ることができる、と言えるのではないでしょうか。

つまり、娘の高野悦子さんは、そういうお父さん似の「真面目で誠実で真摯な性格」であるが故に、その照れ隠しとして、伊達めがねをかけたり、煙草を吸ったり酒を飲んでみたり、ちょっと不良っぽい演技をしていた。

お父さんは「真面目で誠実で真摯な性格」によって、町長さんにまでなり、人々から尊敬されていましたが、女の子の「高野悦子さん」ではその性格をそのまま表に出して生きることができなかったのでしょう。


親元にいれば、その性格のままで生きれたかもしれませんが、親の庇護の無い「異国の地」では、そういう自分を守ってくれる拠り所・殻がないので、自分で自分の殻・仮面を作らねばならなかった。

本来の、お父さん譲りの「真面目で誠実で真摯な性格」は、日記の中だけで発揮していた、ということではなかったのでしょうか。


自殺の原因など赤の他人の私にはわかりませんが、少なくとも、お父さん似の性格、悪いことをなんでも自分の所為にしてしまう真面目な傾向(性格)が、彼女を追い込んでいたのかもしれません。


高野悦子さんが亡くなるという結果になってしまったのですが、それを抜きにしてみれば、同じ血の在来種・純粋日本人の親子であるからこそ見れる「血の一致」なのだ、という安心感が生まれてきます。



2023年9月29日

V.3.1

平栗雅人

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