「20歳の原点」再訪 V.6.1
@MasatoHiraguri
第1話 はじめに
全寮制の高校に入学した1972年(昭和47年)、寮生活で初めて読んだ本が「20歳の原点」と「どくとるマンボウ青春期」の2冊でした。
共に、多感な高校生時代における指南書であり、特に「20歳の原点」は中学校時代、中断していた「日記を書く」大切さをことを思い出させてくれました。
但しこの「20歳の原点」(1971年(昭和46年)新潮社)、日本人の青春時代には「太宰治」と並ぶバイブル的存在であり、つまりはどうしようもない「暗さ」がある。太宰治の本を何冊か読んでいると、誰でも精神が不安定になって死にたくなるのと同じで、高野悦子さんの本(死の直前までの6ヶ月間の日記)もまた、所々ユーモアや微笑ましいエピソードが挿入されているとはいえ、やはり暗い。
何しろ、太宰治も高野悦子さんも、最後は若くして自殺された(当時の公式発表では「自殺」なのでそのまま「自殺」を使用)ので、それを考えると、彼や彼女の本を読み返す時、余計その暗さが増してくる。
幸いにも、同じ青春時代の暗く憂鬱な苦悩を書き出すにしても、男性らしい剛毅さと旧制高校生特有のバカバカしさが爆発する「どくとるマンボウ青春期」を並行して読んでいたおかげで、「20歳の原点」を愛読・熟読したにも拘わらず、私の場合、死というものには全く関心が向きませんでした
まこと読書とは、料理と同じで食い合わせが肝心なのであります。
そしてまた、どんなに良い料理であっても、10代で食べたのと60歳を過ぎてから食べるのとでは大違い。料理は同じでも、食べる側の境涯(精神的境地)が違えば、自ずから味わいに違いがある。
今この時、60歳代で読む「20歳の原点」には、16歳の読了時には気がつかなかった、沢山の「楽しさと発見」が山ほど詰め込まれている。
「独りであること。未熟であること。これが私の20歳の原点である。」という出版社の選んだ一文に惑わされて見逃していた、高野悦子さんの真実の姿が見えた、とは傲慢というか彼女のご家族には失礼かもしれませんが、それほどジジイになってからの「20歳の原点」鑑賞は、私にとって多くの大切なことを指摘してくれたのです。
①「私たちは純粋日本人なんだ」 という一体感
② 「彼らは本当に親子なんだな」という安心感
③ 「この人は絶対に来世に甦る」という希望
2023年9月27日
V.1.1
2023年9月28日
V.2.1
2023年10月4日
V.4.3
2023年10月5日
V.5.1
平栗雅人
続く
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