第2話

 シャイの手に力が加わった。

 頬に触れていただけの大きな掌は、顎まで包み込むように指を広げ、わたしの顔を固定した。


『ねえ、僕はずっと疑問だったんだ。ミーハは意識的に僕ら魚人の顔を見ないようにしてるよね? 人魚の顔は普通に見るのに。でも彼女たち、違うな、自分の尾びれを見るときも複雑な顔をしている。魚は抵抗なく触るし食べるのに、変だと思っていたんだ。ミーハは顔が魚じゃない、身体に尾びれがない、人間が好きなの?』


 ご推察の通りです。

 右上を見て、左下を見て。

 キョロキョロと視線を彷徨わせるだけのわたしに、『やっぱり』、と確信を得たらしい思念が降ってきた。


『じゃあなにも問題はないよね。今から交尾しよう』

『はい……?』


 ちょっとクラッときたけれど、やっぱり相容れないよねーという話ではなかったの!?

 呆然としていたらシャイの腕に力強く引き寄せられ、ぐんぐん海面を目指して泳いでいた。


海の中にはおぼろげにしか届かない月光も、海面が近づくと眩しいほどだ。

 今夜は満月。繁殖期の人魚や魚人にとって、一番性的欲求が高まる日だ。

 ざば、と海面に顔を出したところでさすがに我に返った。


「ちょっ、ちょっとシャイ! どこに行くの!?」

「とっておきの場所があるんだ」

「イヤイヤイヤ、それはきたる日のためにとっておきなさいっ」

「あはは。上手いね、ミーハ」


 洒落じゃなく!

 海から出て聞いたシャイの声は低くてわたし好みだけれど、悠長に声変わりを祝っている場合ではない。

 抜け出そうとしても魚人の怪力はわたしを捕らえて放さず、尾びれをくねらせたところで腰をがっちり掴まれていてはビチビチと彼の足を叩くのみ。

 そのまま岩場に着き、シャイが浅瀬に立つとわたしは抵抗できなくなった。

 だって人魚の足は尾びれですから。


 わたしを横抱きにすると、シャイはためらいなく岩場に上がった。

 ずんずんと勝手知ったる者の足取りで突き進み、やがて木立の間にぽっかりと空いた空間で足をとめた。地面は岩から下草の生えた土に変わっている。


 丁寧な手つきで地面に下ろされたけれど、這いずって海に戻るには相当距離がある。

 わたしは怒りに任せてビタン!と尾びれを強く地面に打ち付けた。


「やめて。あなたの鱗に傷がつく」

「そう思うなら海に帰してよ! 陸の上に連れてきたりなんかして、人魚の干物でも作る気なの!?」

「ミーハは繁殖期を誰かと過ごしたことがないから、知らないんだね」

「なにを? というか、どこを触ってるの!!」


 シャイはわたしの腹部を撫でながら言った。そして「えい」というなんとも軽いかけ声で肩を押す。

 彼は弱く押したのかもしれないが、わたしは仰向けにひっくり返った。さっと差し込まれた腕によって後頭部を打たずにすんだけど、気遣うべきところはそこじゃなく、いきなり押し倒したところじゃないのかと小一時間。


「僕らの臍には真珠が埋まってるでしょう。それをね、お互いに交換するんだ。相手の真珠を自分の臍に埋める」


 人魚や魚人には生まれつきお臍に真珠が埋まっている。それは自分のお臍にもあるから知ってましたが。

 あれって、取れたの?

 素朴な疑問はコロリと肌の上を硬質なものが転がった感覚で解決した。

 まったく痛くなかったから抵抗も忘れてしまった。

 月光で象牙色がかった真珠がわたしのお臍からこぼれて、シャイの手に。

 同じくシャイのお臍から離れた真珠は、わたしのお臍に軽く押し込むように埋められた。


 瞬間、カッと身体が燃えるように熱くなる。

 電気のような痺れはこめかみから尾びれの先へと走り抜け、ハッと荒い息がもれる。


「……いきなりなにするのよ!?」


 キッとして睨んだそこに、鯵な顔の魚人はいなかった。

 青みがかった黒髪にはメッシュのように銀色の房がまじっている。

 澄んだ黒い瞳は底がないように深くて、じっと見ていると心ごと吸いこまれそうだ。

 高い鼻を辿った下、唇が薄く開く。ぼんやり見上げると、青年はシャイと同じ低い声で喋った。


「――僕の顔はあなたの好みに合うかな? そうであれば、これ以上ないぐらいに幸せだけど」


 やや目尻の垂れた黒い目が細められる。

 魚人は表情をとりつくろうことを知らないらしい、感情をそのまま表に出すなんて。

 不安、期待、喜び、愛じょ……心臓に悪い。

 彼がまだ鯵の頭だったときにぶつけられた思念と行動を思い返すと悶え転がりたくなる。魚の表情が読めなくてよかった。とても平常心ではいられない。


 とろけそうに甘い微笑みを見ていられず、下を向いたわたしの視界に銀色の尾びれはなかった。

 あー……、うん。

 人魚と魚人がどうやって繁殖するのか、だいたいわかりました。


「たぶん忘れているよね。僕があなたについて回っていたのは、稚魚だったころにあなたに命を助けられたからだよ。それはあなたを愛するようになったきっかけにすぎないけど。恩返しがしたくてあなたの周りを泳いでいたら、餌の取り方や色々なことを教えてくれた。変わり者だと言われてるあなたが誰より優しいのを、僕だけが知っている」


 精神が異種族というわたしが、人魚の群れから浮くのは仕方がないとあきらめていた。

 自分から引いた一線を越えようとしなかったくせに、飛び越えて傍にきてくれた存在がたまらなく嬉しいなんて、わたしは救いようがない。


 自己嫌悪に呻くわたしの注意をひくように、シャイがわたしの手を握った。

 お互いの水かきがなくなり深く繋がった指は、彼が腕を引くとつられて動く。

 手の甲にチュッと口づけられた。

 肌に触れる吐息と唇の熱。流れる血に温度が宿ったことを身をもって知った。


「もう僕の全てはあなたに捧げているから、今夜はあなたをもらうことにする。……本当に嫌なら断って」


 横暴だ。思念の使えない身体は、唇を塞がれると話せなくなるというのに。

 仕方がないので舌を絡めることで返事にかえた。




 番ってみればシャイは溺愛といっていいほど愛してくれて。

 今ではわたしも、お腹の子はシャイに似た鯵頭がいいなー、なんて思うぐらいに彼を愛してます。

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