【怪異ファイル02】ティネリ庭園 その7

「君は……」


 シモンが息を呑む。そこには明るめのブラウンのボブヘアの少女がいた。目の周りには包帯が巻かれている。

 ウィルは静かな眼差しでその女の子を見ていた。少女はジデフの元に優雅に近寄る。


『ねぇ、ジデフ、私ねあなたの育てた薔薇がこの世で1番好きなの。この世って言っても私はここしか知らないんだけどね。見えなくても、形は分かるわ。見えなくても、匂いは分かるわ。あなたの事も見えなくても、聞こえるわ。また私と一緒に薔薇を育てましょう?』

「あ、あ、ああ……ディネリお嬢だま……お、おでば……」


 ジデフは目に見えて動揺していた。


(怪異となった今でも心はあるんだな……ずっとティネリお嬢様のことを考えていたんだろうな)


 シモンは空から地上に降り立ち、少し離れた場所からジデフとティネリのことを見ていた。そして自分でも気付かぬ間にボソリと呟いていた。


「……ああ、これが“愛“か」

「なーに言ってんだ?」


 シモンが我に帰ると、隣にはウィルがいた。


「……なんか言ってたか?」

「うげ、無意識かよ。きしょ……ああ、それと聖水くれ」

「は? なんで……」

「いいから、くれ」


 シモンが納得のいかない顔をしながらAAA濃度の聖水を渡す。それを受け取ったウィルは肉塊となり果てたジデフに向かって盛大にぶち撒けた。少女は驚きを隠せない表情でウィルを睨む。


『どうしてっ……』

「お嬢様よぉ、ちゃんとジデフのこと見ろよ」

「は? どう言うことだ?」


 聖水をかけられたジデフを見ていたシモンも驚きを隠せない様子で目を見開く。

 通常、怪異に聖水をかけると弱い者なら消滅し、強い者なら大ダメージを喰らう。それと同じようにジデフも火傷のような傷ができると踏んでいたシモンからすれば、それはあり得ない事だった。ジデフの周りに絡みついていた肉片などがシュウと音を立てて消えたのだ。そして――


「ティネリ、お嬢様……?」

『そんなっジデフ、貴方その姿……』


 肉塊だったジデフは元の姿に戻っていたのだ。

 ウィルは満足気だったが、シモンはそんな事はいざ知らず、ウィルに掴み掛かる。


「おーい、ウィルちゃん? 何をしたんだかな? うん?」

「ケッ、なんでもいいだろうが……まぁ強いて言えば、ジデフが祈ったから叶ったんだろうな」

「それってどういう……」


 シモンとウィルが話しているうちに少女とジデフは抱き合っていた。


『ああ、ジデフ、ジデフ……』

「ティネリお嬢様、やっと見つけた。貴女の帰りをお待ちしておりました。貴女のために、貴女の笑顔の為に、私は薔薇を一生懸命育てたんです」

『ねぇ、次からは私と一緒に育てましょう? 私は貴方と一緒に育てた薔薇がどう育つのか、見てみたいわ……だから、ね、行きましょう?』

「そうですね、行きましょう」


 ジデフはその場にしゃがみ、柔らかい微笑みを少女に向ける。少女もそれに応えるようにしてジデフの頬にキスをした。小さな体で大きなジデフを包み込むようにして抱き締める少女。そして少女はウィルに向かって話し掛けた。


『ねぇ、貴方様にお願いがあるの』

「……なんだ、まだ祈るのか?」

『……私たちは還り方を知らないわ。だから、貴方様に斬って頂きたいの』

「ちょっと待て、斬るって言ったら君たちは消滅してしまうんじゃないか?」


 シモンがウィルと少女の間に割り込み、質問する。


「祈れば、願えば、それは叶えられる」


 ウィルはただその一言だけ言って刀を振り上げた。


『祈りの神よ、彼らの真意を聞き届け給へ』


 そして、傷つけるためではない優しい動きで少女とジデフを斬った。


 少女はとびきりの笑顔で、

『ありがとう、優しい祈りの神様』

 と言って、光の粒になった。

 ふわふわと光の粒子は天に舞う。シモンはただ呆然とするしかなかった。しかし、これだけは言わねばと口ずさんだ。


「彼らの次の生に幸多からん事を」





***

「結局、あの肉塊はなんだったんだ」


 虫の息だったが生存者を見つけ、怪異対策課の面々に後処理を頼んだ後、シモンとウィルはカフェでご飯を食べていた。ウィルの食べっぷりはいつも通りの激しさで、シモンは色んな意味で頭が痛くなっていた。


「あの肉塊は、ガーデメイア辺境伯邸に残る怨念、うーん、思念? ってところ」


 ウィルはんぐんぐと喉を鳴らしてジュースを飲み干す。シモンもペペロンチーノに入っているキノコを突きながら、話を続けた。


「まあ大方、あの日記とか背景から考察するとティネリお嬢様の死体を庭師であるジデフに処理させようとして、ジデフが大激怒して魔力が暴走したのがきっかけだろうなぁ。薔薇からも微量だが魔力の気配がしたし、ま、人間が怪異になる方法なんかしらねぇからこれ以上なんとも言えないんだけどな……」

「そりゃ、自分の大事な人、殺しちゃったから後処理よろ、とか言われたら暴走レベルでキレるわな」

「当事者のみぞ真実を知るってやつだなぁ」


 シモンは突いていたキノコにフォークを刺し、平らげた。ウィルがペリドットの瞳の中の瞳孔を細めているのも知らずに。





***

 私共はどこで間違ったのだろうか。

 どこから間違いだったのだろうか。

 そもそも、間違いとは何だろうか。


 私共は誠実で、心優しく、思慮深い、そんな素晴らしい一族だった。汚点など一つもないような、そんな理想高く気高い辺境伯一族。

 だからなぜ、最後にあんな仕打ち受けたのか分からないのだ。庭師が暴れて、殺されるなど誰が想像できよう。一頻り殺し回ったくせにあんなに幸せそうな顔をするなど、誰が想像できよう。だから私共は庭師をどん底にまで叩き潰したのだ。罪人に罰を与えるのは当然のことであろう。


 なのに、何故? 庭師は還れたのに私共は還れないのだ。

 足音がする。あのお方の足音。嗚呼、やっと私共のことも還してくれるのだろう。


「何を、勘違いしているんだか」


 何を言っている、庭師が還れたのだ。当然私共も還れるだろう。


「嗚呼、そう言えばさ、その庭師に願われたんだ」


 何を、しようとしている。


「お前たちには死よりも辛い苦痛を与えてくれってさ。自分は抑えが効かなくてすぐに殺しちゃったからもっと酷い目に遭わせてくれだってよ! いやぁ腕がなるわ」


 やめろ、やめろやめろ! 私共は高貴で美しく、聡明な一族だぞ。


「へぇ、自分の姿知らないんだ。じゃあ優しい俺が見せてあげる」


 そう言って、あのお方は鏡を見せてきた。

 そこに映っているのは赤黒い肉塊。


 嘘をつくな。これが私共な訳ないだろう。


「じゃあさ、何でお前は自分のことを複数形で呼んでる?」


 は? 何を言っている。私共はであるのだ。何を訳の分からない事を。ま、待ってくれ、お願いだから。まっ……


「ふーん、まあいいや。俺は祈られたからには行動しなきゃ。じゃあね、いつかいいね」

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