第43話 絶望の淵

 年明け一週間後、ウソクは何事も無かったかの様に明るく帰って来た。


「アミちゃんただいま〜!」


「おかえり♡」


「会いたかったぁー!」


「ふふふっ。お家かえろっ♪」


「うんっ!」



「アミちゃん!どうしたの?台所になんか入っちゃって?」


「私もさ、そろそろお料理が出来るようにならなきゃなぁと思ってね(照)」


「じゃあ!何か作ってくれるの?」


「お母さんと一緒にだけどね(汗)」


「全然大丈夫だよ。楽しみっ♪」


「ちょっと待っててね!」






 この日を境に


 ウソクの様子が、

徐々におかしくなって行った…。






 編集作業が全く進まない。

意見の対立が、起こるようになった。

ウソクの言い分も分かるが、揉めるような事では無い。


 可哀想なのが、ハナとハミンだった。

どうしてこんな事になるのか。

大体がウソクと私の対立で、2人は私の味方をする事が多かった。


 ウソクのイライラが伝染して、私たち3人も雰囲気が悪くなる。


 ヒョヌ教授も、私たちの急激な変化に戸惑っていた。

掛ける言葉を探しては呑み込む。

私は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。



 ウソクの向上心に伴うスランプだと思った。

なるべくお家で温かいご飯を一緒に食べて、一緒に過ごす様に心がけた。


 もうそろそろ、核心の話をしなければと思った。

じゃないと、編集が終わらない。

私の部屋に連れ込み、切り出してみる事にした。



「ウソクくん。最近どうしたの?ちゃんと向き合って話さないと進まないと思うんだ。どうしたら解決出来るかな?」


「え?」


 呆れた様な、嫌な苦笑いを私に向けた。

そんな表情は今まで見た事が無い。

悪い予感がした。



「何か悩みとか、原因みたいな物ってあるの?あれば一緒に無くそうよ。」


「は? 僕が悪者になってるの?」


「悪者って?責めたりなんかしてないよ?」


「責めたりなんか出来ないでしょ。責められるべきはアミちゃんだからね。」


「ど、どうゆうこと?」


「あぁ、もう、無理だよ。やってらんない。アミちゃんとはやってらんないよ。」


「何?何の話し?ちゃんと解決しよう?」


「じゃあ、自分の隠し事ちゃんと言いなよ!」


「隠し事なんかしてないよ。何の話ししてるの?」


「僕に内緒で隠し持ってるものあるだろ!?」


「全然わかんないんだけど?」


「僕、アミちゃんの全部が知りたいって言ったよね?だから部屋の物だって見てるよ。」


「知ってるよ。引き出しの中とかも見てるんでしょ?それがなんなの?」


「スマホの中身も見てるんだよ。知らなかった?」


「私のスマホなんて見る物ないでしょ?何もないよ。」


「冬休みの、ハナちゃんとの会話に変なのがあったよ?」


 キューっと、心臓が縮んだ。


「ハナちゃんの『暇だから遊びに行こう』ってLINEに『ブーツとUSBでお金使っちゃって金欠』って。『冬休み中に編集終わらせたい』って断ったよね?」


「だ、だから、何なの?」


「引き出しの中にある沢山のUSBの中に新しい物は無かった。だから結構探したよ。」


 次の言葉を、祈って待った。

見つからなかった。

と言って欲しかった。


「あんな高いUSB買うとか、頭おかしいのかよ(苦笑)」


(えっ…。)




「データ(笑)全部消しといたから!」




「な、なんて?」


「データは消したから!オルゴールに入ってる1テラのUSBだよ!!」




 私は、誤魔化し取り繕う事を放棄した。

私の “生きる糧” を確認せずにはいられなかった。


 オルゴールからUSBを取り出し、ノートPCを立ち上げ中身を確認した。



 無かった…。



 全てのデータが跡形も無く消えていた。




「いや…、いやだ…、なんで…」



 ウソクが、嫌な苦笑いを浮かべている。



「いやぁあああああ!!!!」




 悲鳴に近い叫び声をあげた。

私の魂の嘆きだった。



 へたり込み泣き叫んだ。


「いやあぁぁ!!!」



―― バン!


「アミ!?どうしたの!?」


 母親がノックをする事なく入って来た。

泣き叫び自分の太ももを叩き続ける私を、即座に抱き抱え背中をさすった。



「アミちゃんママ、大丈夫ですから。話し合ってるだけです。」


「ウソクくん、悪いけど。娘がこんなになってるのに放ってはおけないわ。」



「…アミちゃん。その姿が答えだよね。僕よりあの人なんだね。そんなになって悲しむなんてさ。」


「いやぁ…。あぁ(泣)」


「僕はアミちゃんの心を取り戻したかったんだ。独り占め出来ないならもう良いよ。僕は勝てないんだろ?」


「ひっく。あ、あぁ(泣)」


「アミちゃん。もう別れよう。解放してあげるよ。」


「うぅ。うぁ!(泣)」


「アミちゃんママ、アミちゃんをこんなにしてごめんなさい。ふぅ(泣)今までありがとうございました。ひっ(泣)」


 ウソクも我慢できずに泣き出した。

母親も泣いている。


 3人で、どれくらい泣いたかわからない。



 私が、消え入る様な声で


「別れるなら、データ消すなよ…」


 と、言ったことが決定打となり、何かを吹っ切ったウソクは部屋を出て行った。




 もう、何も考えられなかった。

ただ眠れない夜を過ごした。



 翌日、私は大学を休んだ。



 ウソクと同じ授業に出て、編集作業なんて出来ない。

この怒りや悲しみを、どこにぶつけたら良いのか。


ユンもウソクも失った。

データも無い。

今何が1番悲しい事なのかが、かわからない。


 データを持ち出すなんて御法度だ。

2度と出来ない。


 どんな顔をして、ウソクと一緒に編集をするのか。




 大学を辞める?




 それほどまでに追い込まれた。


 バイトも行けなくなってしまった。

泣きながら電話する私に、店長は何も聞かず

〝やめられる方が痛手だから、まずは、そうだな、一週間程休みなさい。そのあとまた話し合いましょう。〟

と、言ってくれた。

大きい店舗で従業員が多くて助かった。


 私は全く、学校に行けなくなってしまった。

ハナやハミンも心配し連絡をくれる。

LINEだけ既読して、電話は出なかった。

ユンの連絡を無視していた、あの頃の私と同じ。


(わたし、なんも変わってない…)



 教授にも心配をかけている。



―― プルルルル。プルルルル。


「はい、もしもし。あぁ、先生。すみません。なんかもう気力が無いというか。あのう。実はと言うと、食べる事もしてくれなくて。えぇ。そうなんです。  あぁ、そうですよねぇ。本人も気にしているはずなんですが…。はい。すみません。わざわざありがとうございます。はい、はい。失礼いたします。」



 母親にも申し訳ない。


・ 

――――――――――――――――

 学校に行けなくなってから、そろそろ一週間が経とうとしていた。




―― ピーンポーン



「はーい! あ、先生!」


「あのう、アミくんと話がしたくて。入って宜しいですか?」


「あぁ、まだ話せないかもしれないですが。」


「こちらから一方的に話しかけますから。」


「そうですか?じゃあ、どうぞ。」



「キム・アミ!少し出て来なさい。今日は話そうでは無いか。」


「…………」


「お母さん!返事をしないとなると、気を失っているか死んでいるかもしれない。扉をこじ開けましょう。ドライバーを持って来て下さい!」


「はい!」


(え!?)


―― ガチャガチャガチャガチャ!

―― ドン!ガチャン!


「や、やめて下さい!生きてますから!」


「そうか、良かった。じゃあ出て来なさい。」


「無理です。私、一週間お風呂に入って無くてグチャグチャなんです。」


「私とアミくんの間に恋愛感情が生まれる事は無いのだからそんな事は問題にはならない。」




―― ガチャ


「お、出て来たか。」


「先生。これは恋愛感情の問題ではありません。」


「では、何だね?」


「美意識の問題です。」


「なるほど(笑)でも、思ったよりもマシじゃないか。君達は、若いというだけで美しい。」



ヒョヌ教授の向かい側のソファに、テーブルを挟み座った。

母親が教授に、温かいお茶を出した。



「ありがとうございます。アミ、とりあえず学校に来なさい。皆んな編集が出来ないで困っているよ。」


「私抜きでやって下さい。」


「それは却下したはずだ。君はそんなに無責任な人間だったのかい?」


「…………」


「君が居ないと上手く行かないよ。何があったのかは知らんが、開き直ってやりなさい。」


「自分の気持ちに、踏ん切りが付かないんです。」


「君はこの先、やりたい事を仕事に出来た時、今まで以上に色んなことがあるはずだ。良い事だけじゃ無い。別れや誰かの死など、どうしようもない悲しみの中でも、生み出して行かないといけないんだ。そこに誰かの想いがある限り、代弁者で有り続けなければならない。今のうちに経験しておくのは悪くはない。経験は財産だよ。」


「辛い事ばかりなのに財産になるんですか?」


「辛い事の多い方が、小さい幸せにも気付ける。財産でしかないじゃないか。」


 側で聞いている母親が泣いている。

視界に入っていて、どうしても気になった。


「何も食べていないそうじゃないか。これでも食べなさい。置いていくから。じゃ、お母さんお邪魔しました。」


「先生、本当にありがとうございます!」


「あ、学校に来たら編集再開だからね。もう2週間もないぞ。」



 教授は素早く革靴を履くと、玄関ドアの前でスッと手を挙げ、顔を向ける事なく出て行った。





―― ピロリン♪


ずっと連絡のなかった、ウソクからのLINEだった。


『まさか、学校辞めないよね?ここまで来てそれはもったいないよ。これ以上休んだらもっと来辛くなるよ。』



 誰がどの口で言ってんだよ。


 と、思った。

ふと、先生の持って来た紙袋が目に入り、人差し指で手繰り寄せ中を見た。


 とっても高い物だと分かる、栗ようかんだった。



「ふっ(笑)渋すぎるよ…。」




「はぁあ!もう!疲れちゃった!!(苦笑)」


 全てが面倒臭くて、全てがどうでも良くなった。

でも、それは良い意味で。


 泣いてるお母さんを見て笑ってしまった。

お母さんは泣きながら、頑張って笑おうとしていた。



「お母さん。お風呂入ってくるからこれ切っといてくれる?」


「分厚いのが良い?薄い方がいい?(泣)」


私もたまらず、泣きながら答えた。



「薄いのが良いな。」

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