28.邪神が与える褒美

side.ラン


卑劣な罠だ。そうに決まっている。出ないとおかしい。こんなことがあっていはずがない。

「うっ」

まただ。またあの夢だ。どうしてこんな不吉な夢ばかり続くのだろう。

黒い蛇は邪神の証。不吉の象徴なのに。

「えっ」

今、何を考えた?

黒い蛇は邪神の証?


  『そう。邪神の証』


黒い蛇が人の言葉を発したことに驚いたんじゃない。今までもこの蛇が言葉を発しているのを何度も目撃している。蛇が人の言葉を発する訳がないのに。そのことに何の疑問も抱かなかったことに驚いているのだ。

あり得ない事態に体の震えが止まらない。これは恐怖だと頭が理解する。


  『どうした?震えているのか?』


「君は・・・・どうして・・・・君が」

黒い蛇は徐々に形を変え、人の姿を取った。それは義姉の同級生で、義姉がたらし込もうとした男。クロヴィス・トラントだった。

そうか。おかしいと思った。アランを愛しているはずの義姉が急に態度を変えた。アランのことを愛していないと言う。婚約者なのに、家門のためであり、そこに感情はないと宣った。

おかしいと思った。

あんな素敵な人を、いくら心が歪んでしまったとはいえ愛さないはずがないと。全てはこの男のせい。

この男が義姉さんを変えてしまった。

アランを愛していたはずの義姉さんをおかしな術で惑わし、僕やアランから義姉さんを奪ったんだ。

「ぐはっ」

黒い大蛇が僕の体に巻き付いて、僕を絞め上げる。

「不愉快だな」

クロヴィスの言葉に応じるように絞めつけがキツくなる。肺が圧迫され、息ができない。骨がミシミシと怪しげな音を立てる。

僕を殺す気か?

「安心しろ。殺しはしない」と僕の心が読めるのか、クロヴィスは僕の考えを愉しそうに否定する。

「お前には感謝をしている」

「ぐっ」

殺しはしないと言っていながら大蛇の絞めつけ緩まるどころか、更にキツさを増す。これで殺す気はないとかふざけている。

「お前のおかげでフィオナは俺のモノになった」

「義姉さんは”モノ”じゃない。義姉さんを”モノ”扱いするな」

「そういうお決まりの臭いセリフとか、どうでもいい。誰よりも彼女を個人として扱わず、誰よりも彼女の尊厳を踏み躙った男が吐くには滑稽すぎるセリフだ」

「僕は誰よりも義姉さんを愛していた。誰よりも家族として認めていた」

「愚かな。実に愚かなことだ。その傲慢なセリフのどこに愛や気遣いがある?それに、彼女を愛していいのは俺だけだ。初めから、そう決まっていた。お前も、他の奴らも要らない。フィオナには俺だけいればいいんだ」

「うあっ」

口から血を吐いた。これで本当に殺さないの?僕は、本当に殺されずにすむの?

怖い、怖い、怖い、怖い、怖いよ。助けて、アラン。助けて、義姉さん。

「ずっと、ずっと、こうしたかった」

また絞めつけがキツくなり、ついには肋骨が数本折れた。痛みで叫ぶ。すると余計に痛みが増した。どうして、僕がこんな目にあわないといけないのだろう?僕が一体何をしたって言うんだ。

「お前がフィオナに笑いかける度、フィオナに触れようとする度、その手足を食いちぎってやりたかった。その顔を苦痛で歪めたかった」

・・・・・・殺される。

殺さないなんて嘘だ。どうしてそんなセリフが信じられる。だって、邪神が言ったんだよ。そんなの信じられる訳がないじゃん。なのに、どうして僕は殺されないことに安堵できた。おかしい、僕の思考がおかしくなってる。きっと、こいつのせいだ。こいつが僕をおかしくした。義姉さんもこいつのせいでおかしくなったんだ。

きっとそうだ。そうに違いない。僕や母さんを家族として扱ってくれなかったことも、僕が子爵家を継ぐことに難色を示したのもこいつのせいだ。こいつはずっと義姉さんを操ってたんだ。

ごめん、義姉さん。気づいてあげられなくて、ごめん。ごめんね。

「だから殺さない」

「うわっ」

急に絞めつけがなくなり、僕は地面に激突した。

「あああっ!!」

足から地面に落ちたせいで、足の骨が肉を食い破り、外に出てきた。


痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い


「大丈夫だよ、ラン・グランチェ。言っただろう。君には感謝していると。君の存在は大きい。君のおかげで僕はフィオナを手に入れることができた。だから君にご褒美をあげる」

生きとし生けるもの、全てを魅了する微笑みをクロヴィスは僕に向けた。

彼は何を言っているんだろう?

感謝?褒美?これが?

彼の行いは憎い相手にするものだ。決して感謝すべき相手に行うことではない。一体、何を考えているんだ?まるで分からない。

でも、考えなければ。思考を止めたら逃げて、助けを呼ぶこともできない。考えろ。考えるんだ。

・・・・・彼は感謝すると言った。褒美を与えると。殺さないとも言っていた。

・・・・・そうか。彼は邪神。人と考え方や好意の示し方は異なる。好意だよね?感謝や褒美って好意がないとできないし。それに僕の存在が大きかったって言っていた。

・・・・・僕の存在が大きい?

それって、まさか。これが彼なりの?

「クロヴィス、君は僕のことが好きなんだね」

「は?」

「邪神の君には分からないかもしれないけどね、これは愛情表現にはならないんだよ。人の愛情表現はね」

「知っている。そんなこと、お前に言われなくとも。フィオナにはこれからたくさん表現するつもりだからな」

「義姉さん?どうしてここで義姉さんが出てくるの?義姉さんは関係ないだろう?まさか、義姉さんに命令されて。ぎゃあっ」

蛇っ!無数の黒蛇が僕の体に噛みついてくる。

「どこまでも、おめでたい奴だ。多くの男がお前に価値を示した。男娼としての価値を。俺をそんなクソ野郎と一緒にするな。俺には男娼も娼婦も必要ない。フィオナさえいればいい」

クロヴィスが何を言っているのか分からなかった。たくさんの蛇に体を噛まれ、小さな牙なのに噛まれたところは激痛が走る。

「お前が、数多の男が価値を示したその顔。お前の心と同じ姿にしてやる」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!熱い、熱い、熱い、体が熱いっ!全身が熱い・・・・・助けて、お願いだ。助けて。君が望むものをあげるから。何でも。僕自身だって構わない。だから、お願いだ。助けてくれ」

僕の言葉にクロヴィスは高笑いした後、恐ろしいほど表情がなくなった。

「この後に及んでまだ言うか。お前の存在など無価値。俺にとって価値ある存在はフィオナだけだ。さぁ、時間だ。目を覚すといい。これが、俺がお前に与える褒美だ」


ーーーー絶望をお前にプレゼントしよう


◇◇◇


「はっ。夢、か。嫌な夢を見た」

ここ最近は、本当に夢見が悪い。

「ラン様、おはようござい」

「ああ、おはよう」

どうしたんだろう?

いつものメイドが僕を起こしにきた。後ろには着替えを手伝ってくれる従者がいる。二人とも体を凍りつかせ、ワナワナと震えながら僕を見ている。まるで化け物でも見るような目で。

「ぎゃあああああぁぁぁっ!だ、旦那様っ!旦那様っ!ラン様の、ラン様のお顔が」

メイドは逃げるように、叫びながら僕の部屋を出て行った。僕の顔がどうしたんだろう?

「ねぇ」

「ひっ」

いつも優しい従者に声をかけると「化け物」と言って這うように僕の部屋から出て行った。

僕は夢のことを思い出した。急に不安になってベッドから降りようとすると足がシーツに絡まって落ちてしまった。顔を床にぶつけたはずなのに、痛みどころか感覚がない。

「ち、違う。違う、違う、違う。あれは夢。あれは夢。あれは夢。そう、あれは夢だから。だから違う。ほら、違ったでしょう」

希望を抱いて鏡を見るとそこには腐った顔を持つ男が映っていた。僕が顔に触れると鏡の中の男も顔に触れた。後ろを向くと、そこには誰もいない。鏡に映る人間はただ一人。

「僕の顔が、僕の顔が。嘘だ。こんなの嘘だ。こんな、化け物みたいな顔。嘘だぁっ!」

意識はそこで途絶えた。


ーーーーその顔はその心と同じ姿に。これこそが褒美。


騒然とする屋敷を一匹の蛇が高笑いしながら見ていた。

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