23.羽化
「随分と殺気だっているね、俺のフィオナ」
保健室を出て廊下を歩いているとクロヴィスが後ろから抱きしめ、頭にキスをしてくれた。
「こんなところ、誰かに見られたら咎められるわ」
「大丈夫だよ、誰もいないから」
クロヴィスに言われて初めて、人の気配が全くしないことに気づいた。昼間の校内でここまで人気がないのは逆に不自然だ。それにクロヴィスが現れるまで確かに人はいた。声だって聞こえていたのに。
「君との大切な時間だ。邪魔が入らないようにするのは当然だろう」
「まぁ、クロヴィスったら」
邪魔な人間をクロヴィスが排除しただけのようだ。生死は分からない。興味もない。
クロヴィスとの時間を邪魔されないのなら問題ないのだ。
「それで?何をそんなに殺気だっていたの?ちょっと妬けるんだけど」
「クロヴィスが嫉妬するようなことではないわ」と言い終える前にクロヴィスが私の口を自分の口で塞いだ。
「俺以外のことを考えるなんて許されない。誰のことを考えていたの?」
「さっき、ランの魔力暴走に巻き込まれたアラン様の怪我の状態を聞いて。軽症なんですって。だから死ねばよかったのにと思っただけよ」
「”だけ”じゃないよ。どんな感情でも、たとえそれが憎しみでも俺以外のに奴に向くのは許せない」
嬉しい。こんなに激しい感情を向けてくれる人は一人もいなかった。もっと向けて欲しい。
「許せないのなら、どうするの?」
悪戯心で聞いてみるとクロヴィスはニヤリと笑って私を壁に押し付けた。
「お仕置きするよ」
「ここは学校よ」
「関係ないよ。それに、誰もいないから君の可愛い姿をが見られるのは俺だけだしね」
「見た奴がいれば、そいつの目玉をくり抜いて魔物に食わせちゃおうか」とクロヴィスは子供が悪戯の共犯を誘うように気軽に言う。きっと本気なのだろう。
「そんなことに時間を取るぐらいなら私に構って」
「喜んで」
痣は体全体に広がり、その様子をクロヴィスは愛おしそうに見つめた。
ーーーーーああ、漸くこの時が来た。
一人ほくそ笑みながらクロヴィスはフィオナを抱きしめた。
◇◇◇
「フィオナ・グランチェ、貴様との婚約を破棄するっ!」
ランが魔力暴走を起こした翌日、教室でいつも通り過ごしていたらランの腰を抱き、お友達のアルギス・カリマンとゲルマン・クレメントを連れたアランが高らかに宣言した。
アルギスとゲルマンは昨日、ランが仲直りがしたと言った際、私が「授業ですべきことではない」と断ると絡んできた二人だ。昨日の延長戦でもする気だろうか。
「お前の行動は目に余る。義弟であるランへの嫌がらせに、ランの悪評を振り撒き、更には昨日わざとランの魔力を暴走させただろう。お前のような悪女を伯爵家に入れるわけにはいかない」
こういう時、涙の一つでも流して傷心すべきだろうか?
少し前なら多少は傷ついたかもしれない。でも、今は違う。だって私にはクロヴィスがいるから。ランもアランも、グランチェ子爵けもどうでもいい。私にはもう関係ない。
だって、私は全てを捨ててクロヴィスと生きるから。
「本当に最低な義姉ですね。あなたのような人間を義姉に持つランが哀れです」
アルギスは蔑む目で私を見る。そんな彼を彼の婚約者が同じように蔑む目で見ているけど気づいてはいないようだ。自分のことには鈍感なのね。
「義姉さん、僕は義姉さんと仲直りがしたい」
この後に及んでランは何を言っているのだろうか?常人の私には彼の思考が理解できないわ。
「仲直りをする必要なんてないわ。だって、私たちは喧嘩をする仲でもないでしょう」
いつから私たちはそんな親しい仲になったのかしら?
言葉を交わせばお友達!みたいな幼い思考の持ち主だからきっと自分のことしか考えられないのね。
「義姉さん、義姉さんさえ謝ってくれたら僕は今までのことを水に流してもいいと思ってるよ。義姉さんだってアランと婚約破棄したいわけじゃないよね」
「自分が私とアランの間を取り直すって言いたいの?そして私にお飾りの妻になれと?謝罪すべきなのは私ではなく、あなたよ。『義姉さんの婚約者を寝とってごめんさい。卑しい身の上故に一般常識が身についておらず、悪気はなかったんです』って言ってごらんなさい。そしたら今までのことを水に流してあげる」
「どうして、そこまで心が歪んでしまったの?義姉さんは哀れだ」
涙を流す姿が慈悲深い聖女(?)にでも見えているのだろうか。三人は恍惚とした顔でランを見た。そしてよりいっそう私への嫌悪を強くした。
「どこまでランを貶めれば気がすむんだ」とアランは怒鳴る。
私の婚約者なのに、誰よりも私とランが置かれた状況を理解できる立場にいたのに彼にはそれをする能力が欠けていたのね。だから、何も見えていないんだわ。
「どこまで?そんなの決まっていますわ」
私が笑うと、三人とも気圧されみたいに数歩下がった。ランだけはそんな三人を不思議そうに見ている。能天気な子。羨ましい。きっとたくさんの人に守られて育ったから、転ばないように小さな石ころさえ取り除かれた道を歩み続けた弊害で危機察知能力が失われてしまったのね。
「奈落の底までよ。堕ちていけばいい。どこまでも、どこまでも。深く、深く、堕ちていけばいいのよ」
三人は完全に黙ってしまった。さっきまでの威勢の良さはどうしたのかしら?
自分より弱い人間じゃないと噛みつけないのね。それじゃあ、番犬にもならないじゃない。まさに駄犬ね。
「ラン、私とアラン様の仲をあなたが取り持つ必要はないわ。アラン様、婚約破棄の件ですが喜んで受け入れます」
「なっ」
無様に泣いて縋る姿でも想像していたんでしょうね。
男って不思議。自分は嫌っているのに、相手は自分を好いていると思い込み、疑いもしないのだから。どうして相手も自分と同じように嫌っているのだと思わないのかしら?
いいえ、最初は嫌っていなかったわ。好かれたいと思っていた。でも、もういいの。私は私だけを愛してくれる人に出会えたから。
『君が俺のところまで堕ちてくれればお嫁さんにしてあげる』
ああ、そうか。やっと思い出した。幼い頃にそう約束した相手はクロヴィスだった。
やっと思い出せた。
「それでは、失礼しますね」
「お、お前のこれまでのことはグランチェ子爵に報告済みだ。子爵はお前の行いに大層ご立腹だそうだ。お前にはもう帰る場所なんてないぞ」
なんですかそれ?負け犬の遠吠えならぬ捨て台詞ですか?
「ご心配いりませんわ、アラン様。私には不要なものたちです」
家には帰らない。私はクロヴィスと行くのだから。彼と二人だけの世界で死ぬまで、死んでからも、永遠に愛し合うのだから。
「不要なものは全て捨てていきます。アラン様、あなたやグランチャ子爵家が私を捨てるのではありませんわ。私があなたたちを捨てるのです。それでは失礼します」
私は淑女として恥ずかしくないカーテシーをとって教室を出た。
教室の外ではクロヴィスが待っていた。
「クロヴィス、私はあなたのところまで堕ちたわ。だから、約束通り私をお嫁さんにしてくれる?」
「ああ、もちろん。やっと、堕ちてくれたね。この日をずっと待っていた」
私たちはこの世界にさよならをした。二人だけの世界で永遠に愛しあうために。
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