10.純粋は無知の代名詞

side .クロヴィス


「ああ、穢らわしい」

先程、穢らわしいものに触れてしまって手を拭い、拭ったハンカチは当然捨てた。

手を差し出した時、フィオナが抱いた嫉妬の感情に興奮した。彼女から発せられる負の感情はとても心地が良い。

早く、堕ちて来ないかな。

愛しい、愛しいフィオナ。

穢らわしい生き物に囲まれて可哀想に、すぐにそこから連れ出してあげる。

そして二人だけの世界へ行こう。二人だけの世界に浸ろう。そして、そこで・・・・・・。

「ドロドロに溶け合うまで愛し合おう、フィオナ」

その為に邪魔なものは壊して、排除する。


◇◇◇


「話しがある」

ランが私の婚約者に告白してから数日、校内では私がランに暴行をしたという噂が広まっていた。ランはその見た目や性格から男性に人気が高く、私は彼のファンである男性から目の敵にされていた。

自分よりも体格も力もある男から睨まれるというのはかなり怖い。いつか彼らに理不尽な暴力を受けるかもしれないという恐怖。でも、そんなことは表に出さない。貴族令嬢としてそういう教育を受けているし、何よりもランに屈したと思われたくはないからだ。

そんな時、アラン様から声をかけられた。婚約の継続か破棄の話しだろう。そう思ったからてっきり人気のない場所へ連れて行かれるのかと思ったらアラン様は私をカフェテリアに連れて来た。それも校内のだ。

「お前がランに暴力を振るったという噂を最近耳にする」

婚約の話しでも、ランの告白に応じたという話しでもなく真っ先にそのことを聞くのね。彼にとって私は婚約者という認識すらない相手なのかもしれない。

「数日前、ランは頬を腫らしていた。俺が問いただしても泣くばかりで話してはくれない。優しいランのことだ。相手を庇っているのだろう」

天然なら優しさ。計算なら狡猾さね。ランの場合は天然なんだろうけど。でも、無意識に計算しているとも思える。彼はいつもそうだったから。

「お察しの通り、私が彼の頬を叩きました」

アランは机を強く叩き、私を睨みつける。私たちの話しに耳をそばだてていた生徒は僅かに体を強張らせたが咳を立つ様子はない。好奇心の方が優ったのだろう。

きっとこのことは明日には尾鰭がついて広まっていることだろう。ならば、そこに悪意を混ぜよう。だって、私だけが悪評に塗れるのはなんだか癪だもの。

「彼は私の母親を侮辱しました。もちろん、私自身も」

「だからといって暴力を振るっていい理由にはならない」

「それは理不尽な暴力に晒されたことがない人の詭弁です」

「ランが暴力を振るったと言いたいのかっ!あの優しいランが人に、ましてや義姉であるお前に暴力を振るうわけがないだろう」

「アラン様には私が暴力を振るう女に見えるんですね。何も見ていないのに、ランは暴力を振るわないと断言する。婚約者である私よりもその義弟を優先するなんて残念です。でも、仕方がないのかもしれませんね。政略で結ばれた相手よりも愛する恋人の方を大事にするのは」

周囲がざわついた。アランは眉間をピクリと動かすだけで否定も肯定もしなかった。

「私の父もそうでした。妻よりも愛人を優先しました。その結果、母は死んだ。ランはね、母を失った私を可哀想だと言ったんです。私の母を最低な人だと貶しんです。そして継母となったセザンヌを愛せと言うんです。母親として」

周囲のざわつきが大きくなる。暴力はいけないことだ。どんな理由であれ、振るった人間が不利になる。理不尽よね。暴力にだって正当な理由があるのに。暴力を振るわれて当然の人間だっているのよ。

「ランに罪はない。私はずっとそう、自分に言い聞かせ続けました」


ーーーー堕ちればいいのに。


「悪いのはセザンヌと父だと。ただ生まれてきてしまっただけのランに罪はないと。義弟として愛そうとは思いませんでした。それでも私は彼を責めたことはありませんでした」


ーーーーみんな、みんな、堕ちてしまえばいいのに。


「義弟として愛せない私を慕う彼の姿をあなたは微笑ましいと思いますか?健気だと思いますか?私には無神経にしか思えない。どうして慕える?自分に罪がないから?だから何を言ってもいいのですか?死人に鞭を打っても許されるのですか?」

「あいつはただ純粋に」

「純粋ですか?己れの立場や出自を理解せず、人を貶める行為が?純粋は無知の代名詞ですよ、アラン様」

「ランを侮辱するなっ!」

聞き耳を立てていた令嬢は悲鳴をあげ、中には衝撃のあまり倒れる者もいた。アランが私の頬を叩いた体。令嬢とは本来、暴力とは無縁。たったそれだけでも恐怖し、身をすくませてしまうのだ。羨ましいことね。

「お前のような性悪女が婚約者だとは」

「義弟と浮気する方に性悪と言われる筋合いはありませんっ!」

「なっ、何を言って」

「知らないとでも思っていたんですか?だから隠し続けるのですか?もしかして、私に子を産ませて、それを自分とランの子供として育てる気でもいたんですか?だからランと逢引きしながらも私との婚約を継続したんですか?」

「黙れっ!」

図星を突かれたアランは逆上し、私を黙らせるために再び拳を振り上げた。けれど、それが私に向けられることはなかった。

クロヴィスが彼の腕を掴んで、止めていたからだ。

「女性に暴力を振るうのは如何かと。それに話しを聞く限り、非はあなたにある。これ以上、衆目に注目されたくはないでしょう?」

クロヴィスの視線を追ったアランは自分に冷たい視線が集まっていることを知って、逃げるようにその場を去って行った。

「大丈夫ですか?」

「ええ、ありがとうございます」

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