第3話
この施設は結婚式場も兼ねていて、併設された庭園も売りの一つだった。細長い池の周りを散策できるように遊歩道が設けられ、中島に渡る橋が二本。いまは平日の昼前のせいか、人影もほとんど見かけない。
晩春の日差しが若葉に遮られ淡い緑に映える中島の東屋に設えられた席に二人は向かい合わせに腰をかけた。
「この庭園は説明書き通り、いい雰囲気ですね」
「……」
彼女は矢野の言葉に返事をせず、しばらく目を瞑って何か考えている風だった。次に目を開けた時にはその顔に笑みの影はなかった。そう、先日のデモの一件の時のように。
「矢野さん。申し訳ありません」
矢野の瞳を覗き込み、軽く頭を下げ謝罪の理由を続けた。
「先にお伝えしておきます。ルール違反なのは存じています。わたしは、このお見合いは最初からお断りするつもりで出席しました」
矢野は、この場で断るつもりだと伝えられ、あまりに失礼だと怒りに似た感情が沸き起こった。しかし、自分も断るつもりでいたことを思い出して、ムッとした表情を作るだけにしていた。先日救急車が来るまで介抱してくれたことがなかったら、すぐにその場を立ち去ったことだったろう。とりあえずは、次に彼女が何を言うかで態度を決めることにしたのだ。
彼女は目を伏せ、軽く頭を下げたまま、しばらくそのままでいる。あまりにその姿勢が永いので、矢野は心配になり声をかけようとしたとき、顔を上げた。その顔はさっきまでと打って変わって破顔一笑だった。
「ごめんなさい。もう無理。淑女のふりは柄じゃないし、素でいくね」
雰囲気がガラッと変わって矢野は毒気を抜かれてしまった。彼は若く人生経験がそれほどあるわけではない。彼女の笑顔と雰囲気の変化についていけずに、怒りの感情が吹っ飛んでしまった。
柔らかい笑顔は彼の好みに合っていて、庶民的というのか親しみやすさが滲み出していた。女の子は笑顔でこんなに印象が変わるんだと心の中でつぶやいていた。
「わたしはまだ結婚を考えてないですし。申し訳ないとは思ってるのは本当ですよ。でも、紹介状を見たとき、先日介抱した人だったんで、本当に驚いたんです。なんだか、矢野さんとはぜひお話ししたいなと、参加しちゃいました。こんな
笑顔の魔力には
「いえいえ。私も同じ気持ちでしたから…… これは失礼しました」
最初から断るつもりだったと取れなくもないことに気がついて慌ててフォローした。
「わたしも同じくお話をしたいと思っていました」
ため息を軽くつく。
「結城さんだけと言うのはちょっとずるいな。僕も肩凝ってきた…… じゃあ、僕もいつもの自分で話をさせてもらうよ」
そういって、矢野は体の力を抜いた。
結城はまっすぐ真剣な表情で矢野の顔を見つめている。
これから話そうとしていることのためだけに、今日ここに来たと言わんばかりの表情だった。
「矢野さんは、いまの魔法使いの置かれている状況はどう思われています?」
『これはまた、突然の質問だな』意外な質問にすぐに答えられず。少し間が空いてしまう。
「その、状況と言うと? 社会の中でのことかな?」
「はい、質問が大雑把過ぎでしたね。 矢野さんの魔法使いとしての能力の評価、いえ魔法使いとして与えられている立場/役割です」
彼女の意図が読めないので矢野は差し障りのない返事を返した。
「それなりの地位は用意されているし、その力に準じた評価はされているからね。別に不満などはないよ」
望んでいた返答ではなかったのであろう、彼女の墨を流したかのような黒い瞳には不満の色が浮かんでいる。
「そうですか。確か、エネルギージェネレータをしてるんですよね」
「うん」
「そのお仕事は(自分から)選んだんですか?」
「そう、自分の適性からこの職業かなと」
「じゃあ、他にやりたいこととかなかったんですか? 魔法使いとして」
「えっ? そんなことは考えたことはなかったな。自分の適性はこうだと言われ、なら選択はこうかなと」
彼女はテーブルに置いた両手を軽く握り込んで身を乗り出してくる。
「わたしは思うんです。確かにこの社会を支えていくためには、矢野さんのやられている仕事は必要だと思います。社会の礎として自分から選んでその役割につかれるかたは尊いと思います。でも、魔法の可能性はもっとあると思います。もっと自由な選択があってもよいと思うのです。そして、魔法の力は人類に与えられたものですが、人類だけのものでしょうか」
「まさか、魔法原理主義じゃないよね」
いつもなら、そんな聞き方はしない。デリケートな問題だったが、彼女のふんわりとした雰囲気に思わずストレートに聞いてしまっていた。
「いいえ! あんな偏狭な、差別主義者なんかじゃありません」
彼女は身を引いて強い調子で否定する。矢野はほっと胸をなでおろした。魔法原理主義者のことで意見が一致し嬉しい気持ちが湧いた。
彼はいつの間にか、彼女と暮らせるだろうか、付き合っていけるだろうかと考えている自分に気がついて驚いた。彼女に惹かれ始めている自分を自覚していた。『こんなはずじゃなかったのにな』と独り言ちっていた。
「いや、ごめん。独り言をつぶやいてしまった。魔法の力のことだよね。僕は魔法原理主義者じゃないけど、事実として魔法を使えるのは人間だけ、というのはあると思うよ」
「そうですか? 本当にそうですか。例えば、魔法を使える動物はいないのですか?」
彼女のその問いに『ゐノ伍號』のことが頭に浮かぶ。
「まあ、魔法を補助してくれる動物はいるけど。単独では使えないよ」
結城は視線を宙に向け、昔のことを思い出すような表情になる。
「わたし、小さい頃から伝説とかおとぎ話に興味があって。特に魔法使いの話。色々な魔法を使う動物たちとか、妖精の話とかすごく好きだったんです。自分に魔法の適性があるって知った時にはすごく嬉しかった」
視線を正面に戻したが、すぐに首を少し傾げて軽くため息をつく。
「でも、全然違ったんですよね、自分が憧れていた魔法とは。それからも、ずっとおとぎ話の魔法の世界に憧れているんです」
彼女は彼に微笑み問い掛けた。
「こんなわたし、変ですか?」
「いや、確かに僕らの使う魔法は、おとぎ話の魔法とは随分違うけど。考え方によっては、科学を知らなかった昔の人が、当時の天然の魔法使いの力を当時の知識で解釈したせいじゃないかな?」
「えー、夢がないなあ」
彼女は彼の顔を見つめ、呆れたという仕草をする。しかしすぐに真剣な顔になり話題を変えた。
「そういえば、矢野さんの従伯父(いとこおじ)さんの話は聞いたことありませんか」
「従伯父?
「魔法科高校生だったころ、学校の歴史を調べていて知ったんです。二年生になった時に、ものすごく魔法力が伸びたって。そんな人、それまでも、それからもいなかったらしいですけど。それ以外の情報が全然なくて。ゴシップ的なのは『雷撃の破壊神』とか二つ名があったとか、マジカル・カルテットなんて呼ばれたてとかあるんですけど。奇妙なことにほとんどの情報にアクセス制限があって読めないんですよ。ただ、その頃にハラダ・タワラ・メソッドが発表されたというのがあったので、それもあり印象深く覚えていたんです。それで、たしか矢野さんの従伯父さんだったなと」
矢野はここにきて最初の違和感が氷解すると共に別の疑問が湧く。『さては、従伯父のことが聞きたかったのか』口に出さずに呟いた。失望感もあり、あまり気分のいい話ではないが、怒り出すことでもなかった。
「僕の従伯父だとよく判ったね」
それはそうだ。遠い親戚のことなど、よほど親しく交流していなければ当人も知らないことは珍しくない。それをどうやって知ったのか気になった。彼女は失敗したという表情をしたが、素直に説明した。
「私の仕事柄、魔法使いデータベースにアクセスできるんです。本当はいけないことなんですけど、それでちょっと調べてみたら矢野さんの名前を発見したんです」
彼女の動機に納得はいったと同時に自分への興味でなかったことに失望してしまった。
「そうか。……従伯父の頃というと、小石川魔法科高校が魔法学園付属東京校だったころだよね。聞いたことないな」
失望の念はあるが、腕を組んで思い出そうとする。気に入った彼女への印象を良くしたいという欲もあったが、矢野は単に人が良かった。
「うーん。四十五年くらい前だよね。高校の頃、いろいろな事件に巻き込まれたりしたとか。ああ、思い出した…… そういえば、付き合ってた彼女とともに四十年くらい前に行方不明になったままと聞いてる」
「ええっ! そうなんですか。それ以外は、なにかないですか。当時使ってた魔法の
「それは、伝わってないな…… それで思い出した。『魔法の国にでもいったんだろう』って大伯父がつぶやいていた」
「そ、それは?」
「それだけだよ。大伯父ももう九十を越えてるし、なにか勘違いでもしたんだろう」
それからは、話題は一般的な魔法のことや、魔法科高校時代の話になり、まあまあいい感じで話をできたなと矢野は感じていた。結局彼の方から断りを入れることはなかった。
なぜか、彼女の方からも断りの連絡はこず、いやOKの返事もこなかった。
後日、連絡を取ってみたが、連絡が取れなかった。電話は繋がらない。メッセージやメールは届くが未読のままだった。話では、第二次超光速宇宙船プロジェクトの候補だと言っていたから、宇宙にいるのかも知れないが、連絡もなかったことが合点行かない思いとなっていた。
矢野はあれから、子供の頃読んだおとぎ話を思い出すようになった。いま、自分は魔法を使っているけど、ここは魔法の国なんだろうか、と自分に問いかけるようにもなった。
「タカユキ、ジュンビ完了」
ゐノ伍號が思考で伝えてくる。
矢野は雑念を振り払い目の前の魔法行使に集中することにする。ディスプレイに浮かぶ魔法式が彼の精神を魔法行使のトランス状態に誘導していった。それに合わせるように魔法炉の中には他の宇宙からの高エネルギーの奔流が高温高密度のプラズマを形成し始める。
これから二時間のあいだ、彼は装置の一部となってエネルギーを発生し続けるのだ。
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