帰宅部の希望的観測とその真実

有馬杏

1.確定事象の脆弱性について









 ──ご来場の皆様にご連絡です。この映像内の議会には詭弁と妄想が含まれております。そのため議題への決まった正答や解法などはございませんので、開演中の対象への発言やお客様同士の討論はお控えください。








──もう間も無く開演いたします。








「”ひつじ”は居ないと思っていたものが居たと知ったときと、居ると思っていたものが居なかったとき、どちらの方が驚く?」

 誰もいなくなったホームルーム教室の窓際、閉め切った黄色いカーテンの向こう側、昼休みに買った購買のツナマヨおにぎりを口に含みながら”あやせ”が問う。十五時五十分、今日の部活動のはじまりだ。

「前者、信じていないものが現れた瞬間が一番驚くでしょ」

 ”ひつじ”と呼ばれた少女はポニーテールを揺らしながら窓に背中を預ける。

「わたしは後者だね」

 ”あやせ”は議論しやすいじゃん?とひつじ”を横目に唇に付いたマヨネーズを人差し指で拭いぺろりと舐める。別に議論したいわけじゃない、と”ひつじ”が不平を漏らすも”あやせ”は何も聞いていないと言わんばかりに、無言でツナマヨおにぎりの包装紙を小さく結んで窓から落とした。この下は園芸部が管理している花壇だったはずだ。

「確かにUFOが目の前に現れて、それも実体があるとしたらわたしでも驚くね」

「......UFOはいるって」

 ”ひつじ”が”あやせ”の頬を摘まんだ。感触を楽しむようにもにもにとしているとこれはただの例えでしょ、と両手を小さく挙げて降参の意を示した。この題で議論はしたくないらしい。

「まあとりあえず、居ないものが居たらびっくりする、自分の中の常識をアップデートしなきゃいけないから。だけどとある著名な学者にこう言われたらどうする?

 ”実は猫はこの世に存在しません”

 って」

 ”ひつじ”は家で飼っている愛猫の顔を想像した。毛並み、体温、鳴き声、驚くよりも信じられずに学者の頭を疑う方が早そうだとグラウンドを眺めながら考えていた。

「その顔は信じられないって顔だね」

「うん、当たり前。実際に触れたことがあるし写真や記憶にも残っているし、生きるのも死ぬのも、何度も見てきた」

「そう、そのあからさまな確定事象が罠なんだよ」

 ”あやせ”が教鞭をとる様にノートとシャーペンで不格好な猫の絵らしきものを描き上げた。引かれた線が枝分かれして似たような猫の絵がどんどん書き足されていく。どうやら系統樹を描いているようだ。

「ネコという種族はたくさんいるのは分かる、トラ、ヒョウ、ライオン、全部ネコ科。しかし私たちが一般的に猫と呼ぶイエネコとさっき挙げたようなネコ科で絶対的な違いがあるよね」

 ”ひつじ”はリアルタイムでぐうるぐうると書かれている円と線を見比べて、知っていたかのように平然とした態度で口を開く。

「前者は生態ピラミッドの上位に君臨する、後者は比較的下位にいる」

 いぐざくとりー!とへたっぴな英語が”あやせ”の輝かしい笑顔から発せられる。明らかなかっこつけに”ひつじ”はただ笑みを貼り付けた。

「じゃあどうして下位の存在が自然の摂理に淘汰されずに現代まで存在することができているのか」

 ”ひつじ”に苦笑されたことに微塵も気付くことなくノート上につらつらと理論を積み重ねていく。

「それは人間が誕生してからの話だよね」

「もちろん」

「じゃあ人間に保護されていたからでしょ」

「ああ、人間が生態ピラミッドの最上位に存在すると思っているタイプの人間か」

 やれやれ、と大げさにリアクションする”あやせ”に”ひつじ”は特に声を荒げることも行動に移すことも無くただ”あやせ”を見つめた。それ故に”あやせ”はすまなかったって、と苦笑いの上に謝罪を重ねた。

「それにしたって猫って都合の良い存在すぎない?」

 見た目も声も可愛いし、気分屋で態度も少しつんつんしたところがあって、”ひつじ”は”あやせ”の話を背景に家で昼寝をする黒猫の姿を思い描いて笑みを零した。餌を大量に消費することはない、日本にいる種は両手で抱えられるし、殺傷能力は皆無。”あやせ”は真っ黒な塊を次々とノート上に生み出してゆく。

「だからさ、猫って私たちが地獄みたいな現実から逃避するために生み出した幻想なんだよ」

「......」

「って言われたら、驚くでしょ?」

「......まあ」

「少し納得行っちゃったでしょ!」

 ”ひつじ”は無言で”あやせ”のブレザーのポケットに手を突っ込み常備されている飴を取り出しすぐに包装を破いた。いちごみるくの甘ったるい匂いが狭い空間に広がる。

「じゃあ逆に、解が見つけられなかった数式に解法が見つかった時と、解法だと思っていたものが実は計算ミスで存在しなかったって言われたらどっちの方が驚く?」

「......前者」

 ”あやせ”は飴か、はたまた自身の意見を捻じ曲げるしかない問いに苦しそうに声を出した。明らかに悔しそうなその表情は”ひつじ”の気分をよくするのに十分だった。

 報復後の数秒間、”あやせ”も”ひつじ”も互いに口を開かなかった。湿気の少ない気持ちの良い風が二人の頬を撫でる。”あやせ”の降ろした髪がカーテンと同じように広がった。

「綾瀬、ちょっと来なさい」

 ぱちんと何かを弾くように担任の声が聞こえる。”あやせ”も”ひつじ”も一回は聞こえないふりをしてみたが、こちらに向かってきている足音を聞いてため息をつく。

「ごめんね”ひつじ”」

 また明日、カーテンをめくるほんの一瞬、”あやせ”が”ひつじ”の耳元で口角を上げながらささやく。”ひつじ”は飴を転がしながらうん、とだけ返し手のひらをはためかせた。

 ゆっくりとフェードアウトしていく映像の中で、窓を閉める音だけが響いた。




 ──今日の議会は終了いたしました。お手元のアンケートのご協力は任意となっておりますが、大変励みになりますので是非ご意見感想をよろしくお願いします。




「ご協力ありがとうございました。またのご来場おまちしております」

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