第10話 聞き込み
首都ローゼから馬車に乗り、向かうは港町エイハブ。
町が近づくにつれ、潮の香りが鼻をつき、賑わう市場の客寄せの声が聞こえてきた。
「まったく信じられない。まさかこんなに危険な仕事を、メイに押し付けるなんて! 初仕事の内容を聞いていたら、僕は賛成しなかったよ!」
長い両腕を大仰に振り回しながら、劇団ジュピターの劇作家、ジェイコブ・マーロウは憤りをあらわにする。
「今は逆風が強い。議員の誰もが放り出した、無理難題だと思われる仕事を成し遂げさせて、足場を固めさせたいんだと陛下は仰っていた」
ジェイコブを宥めながらそう言うメイだったが、彼はまだ納得いかない様子だ。
「まあ、考え方は理解できなくもないけどさ、それにしたって」
「でも協力してくれるんでしょう?」
懇願するようにメイが琥珀色の瞳を向ければ、ジェイコブは苦い顔をする。
「……はあ、僕はどうしてか、君のその縋るような瞳に弱いんだよねえ」
ジェイコブとメイは、この町で「グリフィン」というゴシップや娯楽ネタを主に扱うタブロイド紙の記者と落ち合う約束をしていた。
交渉ごとは、まず相手を知ることからだ。
ジェイコブとアメリアと今後の方針について話し合ったあと。父の隠し部屋を調べてみれば、諜報活動の協力者の連絡先が書かれた冊子が見つかった。だが、すでに二年前のもの。アストラムはここ数年で力をつけてきた空賊のため、頼りになる情報筋が見つからない。ジェイコブに相談してみれば、「アテがある」というので情報収集を頼むことにした。
瞬く間にドレークに繋がる人物を紹介してきたのをみて、自分の不甲斐なさを実感するとともに、旧知の友が王の駒であることを実感させられた。
「ドレークが空賊と名乗るようになったのは、つい一年ほど前。元々は海賊として名を馳せていたが、稼いだ財宝を元手に飛空挺を買い、それ以降空賊と名乗っている」
道すがら、馬車の中でジェイコブはメイに調べた情報を伝える。
「空賊と名乗ってるのは彼らだけなんだね」
「そう。そもそも飛空挺なんて高価なもの、王族でもない限り普通は買えない。それだって、遊覧用の小舟みたいなサイズのものが普通だし。彼らが乗ってるような大規模なものは特注品だね。相当な金額が掛かったはずだ」
「一般に普及しているものではないものね。記事でも読んだけど、なんというか……極悪非道を絵に描いたみたいな人たちだ」
「だから交渉なんてやめろって言ったんだよ僕は。安請け合いは命を縮めるよ」
グリフィンでは、民衆を脅かす海賊たちの悪事も記事として扱う。その傍若無人な行いの数々は恐れられる一方、娯楽の少ない人々にとっては興味関心の対象にもなっており、海賊関係の記事が載った号はよく売れるらしい。そのなかでも唯一無二の空賊アストラムの記事は、人気が高いそうだ。
今日会うのは、トーリという記者。彼はよくアストラムについて記事に書いている。
「トーリさんとはどこで出会ったの?」
「娼館でね。たまたま話す機会があって。貴族のネタを提供する代わり、色々と教えてもらっていたんだ」
居心地が悪そうな表情を浮かべ、ジェイコブは頬を掻く。
「相変わらず通ってるんだ」
「あのね、僕の娼館通いは仕事だから。情報を得るにはうってつけの場所なの。遊んでるわけではないんだよ」
「でも、父上が亡くなって以降は、通う必要はなかったでしょう?」
「いやほら、男女のあれこれは、劇の脚本を書くにも参考になるから……」
「別に咎めてはいないよ」
メイがニコニコと愛想の良い笑顔を向ければ、ジェイコブは眉間に皺を寄せる。
「……ちょっとは咎めてほしいんだけど」
「え、どうして?」
「もういい。ほら、ついたよ」
待ち合わせに指定したのは、歓楽街にあるパブだった。
すでに着いていたトーリは、店の奥で手帳を見返しているところだった。女性が出入りするには少々治安が悪いところでもあるということで、メイは少年のような格好に身を包んでいる。普段も男装をしてはいるが、今日は特に目立たない服を選び、目立つ赤毛はハンチング帽の下に押し込んだ。
「やあ、ジェイコブ。久しぶりじゃないか。なんだ? 今日は少年を買ったのか?」
「ちょっとやめてよトーリ。僕にそんな趣味はない。彼は成人したてでね。社会勉強のために連れてきたんだよ。今日は面白い話を聞かせてもらえそうだし」
二人の男の下世話な会話の応酬に、少々動揺し、メイはその場で様子を伺っていた。するとトーリはそれに気がついたのか、「悪い悪い、少年には早かったな」と言ってメイのために椅子を引いた。
「まずは一杯飲めや、な?」
テーブルにやってきたウエイトレスに、メイは注文を伝える。
「ビールを二つ」
「ミルクじゃなくて大丈夫か?」
揶揄うようにそう言うトーリに適当に返しつつ、メイは即座に運ばれてきたビールを手に取った。
「最近のグリフィンの売り上げはどうだい?」
ジェイコブの問いに、トーリは胸を張る。
「上々よ。俺のアストラムの記事の成果だな。もうちょっと給料をはずんで貰わにゃ」
「そりゃ素晴らしい。しかし、アストラムの記事だなんて、いつも思うけどすごいよなあ。どうやって情報を得ているんだい?」
ジェイコブに煽られて上機嫌になったトーリは、メイとジェイコブの頭に手を置き、自分の方へ引き寄せる。すでにだいぶ飲んでいるのか、酒臭い息に、メイは胃酸が込み上げるのを感じた。
「アストラムの団員の中に、情報提供者がいるんだ。そいつから最新の悪事を仕入れてる」
「へえ、すごいですね。でもなんで、彼らは情報を流すんでしょう。悪事の情報をあえて流すなんて、損しかなさそうなのに」
メイがそう問えば、トーリはニヤリと笑う。
「奴らもできれば楽して宝を得たい。血も涙もない拷問や、殺人行為の情報が記事になって人々の噂の種になれば、その情報に恐れをなした相手は、ちょっと脅せば金銭を差し出してくれるだろう? 実際にやった奴らの悪行は、記事で書かれているほど酷くないこともある。誇張して書いてほしいと相手方から言われてるんだ」
「なるほど。賢いんだね」
メイの言葉に、トーリはビールをカラにしてから答えた。
「賊っていうと頭が足らないイメージがあるかもしれねえが。少なくともアストラムのキャプテンは相当頭が回る。船内の秩序も、独自の戒律を作って守ってる。それによる強い団結力も強さの秘訣の一つだな。あれは一つの王国だと言っても過言じゃない。少なくともアメリの治世より、あの船の中の方が治安はいいように思うぜ。団員にとってはな」
やはり生の情報を聞くと、その人物の輪郭が見えてくる。紙に書かれた情報だけでは、真実の姿を推し量ることはできないと、メイは思った。
しばらくトーリの自慢話に付き合えば、彼は上機嫌で飲み続け潰れてしまったので、宿に押し込んで帰ってきた。
「メイ、大丈夫? 結構飲んでたみたいだけど」
「大丈夫だ。ねえ、ジェイコブ、アストラムの団員はこの街に来ることはある?」
トーリが接触できるということは、団員は陸に定期的に降りてきているということだ。できればツテを使って、直接話ができるといい。
「実はトーリは今日、僕たちと会う前にアストラムの情報提供者に取材をしていてね。その情報提供者は今、別のパブでアメリアの接待を受けているはずだよ」
思いもよらなかった言葉に、メイは目をパチクリさせる。
「さすがプロだね。行動が早い」
「スパイ歴は君よりも長いんだ。当然だよ。それに君と僕は交渉役だろう。団員に姿を見られては困る」
「では私たちは、別のルートの調べ物をするとしよう」
「はあ、働き者だねえ。ハリーを彷彿とさせるよ」
ジェイコブの言葉に、メイは足を止める。
「ねえ、ジェイコブ」
「ん?」
「この仕事をしている時、父上はどんな顔をしていた?」
メイは劇場にいるハリーしか知らない。時には厳しく、しかし包み込むような優しさで、団員たちを指導する父の姿しか。
「今の君のように、常に思考を巡らしながら、最善を考えていたよ。準備には一切妥協をしなかった。手をぬけば自分や仲間の命に関わると考えていたから」
「そうか」
止めていた足を再び前へと踏み出す。父のようにできるかはわからない。
しかし、メイは自分の信念を貫くために、前を向いていた。
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