Prologue8

 電話越しに男の低い声が短くそう言った。


 ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 を 占 拠 し た 。


 その衝撃の一言に女王陛下一瞬目を見開いたが、動揺しているのがバレないよう平静を保ちつつ電話に答えた。

「目的はなんですか?」

 まずは電話の相手から情報を引き出そうと女王陛下は質問した。すると、電話越しの男から女王陛下の予想遥かに超える返答が返ってきた。

をケンブリッジ大学に連れてこい」

 と電話越しの男はハッキリと言ったのだ。

(情報がどこからか漏れてる……)

「だ、誰のことかしら?イギリスの王女は1人しかいないわよ」

「セイナ・A・アシュライズ、これでもまだとぼけるつもりか?」

 電話の男は、シラを切って誤魔化そうとしている女王陛下に対してもう一人の王女であるセイナの名前まで出てきた。

(これ以上は誤魔化しても無駄か…)

「もし連れて行かなかったら……?」

 女王陛下はこれ以上ウソをついても無駄と判断し、開き直って男に聞く。

 すると男は電話越しに「おい、連れてこい」と近くにいるらしき仲間に言って、誰かを電話越しまで連れてきたらしい。

「こいつの声を聞け」

 男はそう言うと連れてきた人物と電話を代わった。

「お母様!!」

「リリー?!」

 電話からは女王陛下が聞き間違うはずのないリリー王女の声が聞こえてきた。

「コイツとここにいる人質約20名の命が欲しければ、今から24時間以内にセイナ・A・アシュライズをケンブリッジ大学、キングス・カレッジの礼拝堂チャペルまで連れてこい」

「クッ……!」

 どちらか片方の娘を選べという最悪の選択に、女王陛下は奥歯が砕けそうになるほど歯を食いしばる。

「お母様は!!私は大丈夫ですからセイナを連れてきてはダメ!!こいつらお姉さまを…」

「勝手喋ってんじゃねえぇ!!」

 バンッ!!

「キャッ!!」

 娘を人質に取られ、打開策を探していた女王陛下に、電話越しからリリー王女がセイナを守るために叫ぶ声が聞こえてきたが、近くにいた男に殴られたのか、短い悲鳴を上げてそれから声が聞こえなくなってしまった。

「リリー?!リリー大丈夫?!」

 女王陛下が呼びかけたが電話からリリー王女の返事は帰ってこない。

「いいか?今から24時間以内にセイナ・A・アシュライズを連れてこなければコイツと人質の命はない……どちらの娘を選ぶか決心がついたら、またこの番号に連絡してこい…」

 電話からはリリー王女ではなく、さっきの男から返事が帰ってくる。

「お前達、リリーに何かあってみろ……ただじゃ置かないからな……」

 女王陛下は電話越しの男に静かにそう言い放って電話を切りながら、壁の時計を確認する。

(時刻は午前9時……明日の午前9時までになんとかしなければッ!)

「陛下いかがしましょうか?」

 頭の中で考えをまとめていた女王陛下に横で話しを聞いていたセバスチャンが声をかける。

「セバス、現場は今どうなっていますか?」

「現在、ケンブリッジ大学の周辺を警官隊とイギリス軍が封鎖、大学を襲撃してきたテロリストは人質を取ってキングス・カレッジの礼拝堂チャペルに立てこもっています」

「彼らでは今回の事件は荷が重いでしょう…出動できるSASの隊員?」

「それが…」

 セバスは困ったように言葉を濁す。いつもなんでも卒なくこなすセバスが、珍しく反応が悪かったことに女王陛下が気づいて聞き返す。

「何か問題が?」

「はい、実は現在、全てのSASの隊員が出払っておりまして…1番近い隊員で最低でも1日近くかかるそうです…M16も同じような状態です」

「なんですって?!じゃあ今出撃できるのは…」

「訓練小隊のみです……」

 最悪、本当の意味で最悪のタイミングでのテロ事件に女王陛下は頭を抱えて落胆する。

(どうすれば……)

 犠牲を出さずにことを収めるための最適解を、女王陛下は頭をフルに回転させて考える。

 使えるものはなんでも使い、最小のリスクと犠牲で済む方法────

「こうなっては仕方ありません、警察のSAWT部隊、イギリス軍をバックアップに、セイナと負傷中のアーノルド以外のSAS訓練小隊の2人を出撃させます」

「かしこまりました。ですが陛下、訓練小隊の2人だけというのは少々キツイのではないでしょうか?それに────」

 犯人の人数が不明で、人質の数が多い今回の状況でたった2人、しかもSASとはいえ訓練小隊に任せる任務にしては確かにキツイ。セバスの指摘はもっともである。

「分かっています。この命令にセイナが反発することも……なのでセイナは……」

 バンッ!!

 セバスの問いに女王陛下が答えようとしたその瞬間、部屋の扉を激しく開けながら、息を切らしたセイナが白いブラウスに丈の短い黒のプリーツスカートと同色のニーソックスを履いた私服姿で入ってきた。

「はぁ……はぁ……女王陛下……ケンブリッジ大学がテロリストに占拠されたってニュースで流れているは本当ですか!?リリーは無事なのですか!?」

 セイナは片手で扉に寄りかかり、肩で息をしながら背中越しの女王陛下に声をかけた。

「はい、本当です。そして残念なことにリリーは人質として捕らえられ、要求としてセイナ、あなたの身柄をよこせともテロリストから連絡がありました」

 女王陛下は振り向かずに現状をセイナに伝えた。

「ッッ!!」

「待ちなさい!!どこ行く気ですか?」

 話しを聞いて反射的に部屋を飛び出そうとしたセイナに女王陛下が呼び止める。

「決まってます!!今すぐ乗り込んでリリーを助けに行きます!!」

「敵はあなたを狙っているのですよ、出撃させるわけにはいきません」

「いくら女王陛下、あなたの命令でも今回は聞けません!アタシは行きます!!」

「セバスッ!!」

 女王陛下の制止を振り払って部屋を飛び出そうとしたセイナを、セバスが後ろから腕の関節を決めて地面に押さえつけた。

「ッッ!?放してセバス!!」

 セバスの拘束からセイナはもがきながら逃げようとしたが、完璧に決まった関節技からは現役の軍人であってもなかなか逃げることはできない。

「セイナ、あなたは地下の監視部屋で待機、そこで少し頭を冷やしてなさい」

 女王陛下はセイナの方を見ずに命令を下す。セバスも女王陛下の命令を聞いてセイナを地下の監視部屋に連行しようとする。

「ッッ!待って!?陛下!!お母様!!」

 女王陛下の命令にセイナは連行されながら大声で呼びかけるも女王陛下は何も答えない。

「陛下、大丈夫ですか?」

 さっき電話を持ってきたスーツの男が部屋の扉を閉めながら女王陛下を気遣う。

 母親として誰よりも先に娘を助けに行きたい気持ちを押し殺し、姉妹を助けに行きたいと懇願する娘を押さえつけて、本当は行かせてあげたい、そう心の中で思っていても言える立場でないことをエリザベス3世は重々理解している。だから娘の顔を見ずに命令を下した。きっとセイナの今の顔を見たら感情を抑えることができなくなってしまうから。

 扉が閉まったことを確認してエリザベス3世は小さく息を吐いた。

「大丈夫です、それよりもあなたに呼んできて欲しい人物が……」

「俺ならここにいるぜ」

 スーツの男に女王陛下が指示を言いかけた瞬間、扉の外から男の声が聞こえて、ゆっくりと部屋に入っていく。

「盗み聞きとは感心しませんね」

「そう言うなって、俺も別にやろうとしてやったわけじゃない。そこのスーツの男が急いでたから何かあったのかと思ってあとをつけてたら、偶然ここにたどり着いて話しが聞こえちまっただけだ」

 隻眼片腕の男、フォルテ・S・エルフィーは片腕であくびをしながら少し気だるそうに言う。

「でもちょうど良かった、どこまで聞いてましたか?」

「大体は、こうなった以上昨日のことさておき、俺も協力せざる得ない。何をすればいい?」

「ありがとうございます。ではフォルテ、あなたには……」



「うう…」

 右腕を銃で撃たれて倒れている警備員の男性が、痛みで小さく呻き吠えを上げる。他にも怪我をしている人や怯えている人、計20人が部屋の中央に集められ、銃を持ったテロリストに監視されていた。

 ここ、ケンブリッジ大学キングス・カレッジの礼拝堂は他のものと比べてかなり広いはずなのに、部屋の中は血と火薬の臭いで充満していてむせ返りそうになる。

 そして何より不気味だったのは、顔を隠して武装しているテロリスト達は、ほとんど喋らないことだった。普通、テロリストや強盗は心理的に興奮状態に陥ることが多く、普段よりもよく喋ったり、行動が落ち着いていないことが多いとお姉さまはよく言っていた。だが、ここにいるテロリストは基本全員喋らず、喋る時も誰かから電話がかかってきた時と、またその指示でのみ以外は一切喋らない。行動も動き回ったりせず、まるでロボットのようにその場を動かず私たちを監視していた。

「大丈夫ですか?」

 私はテロリストを刺激しないよう静かに呼びかけながら、撃たれた警備員の男性に巻いてあった包帯代わりの布を交換する。

 いつもツインテールにしていた髪が垂れて邪魔だったので、いっそのこと一纏めにしたかったけど、余計な動きをしてテロリストに目を付けられるのは困るので我慢した。

「申し訳ありません、リリー王女……私たちがもっとしっかりしていれば……」

 警備員の男性は痛みに耐えながら小さな声で答える。この人は他の学生が撃たれるのを庇って被弾し、動けなくなっていたところをここテロリストに連れてこられたらしい。撃たれた箇所の傷が酷く、何回か当て布を交換して衛生面を保ちつつ出血を最小限に止めてはいるが、あまりいい状態ではない……

「いいえ、あなた方のせいでありません。きっと助けが来ます。それまで安静にしていてください」

 包帯を変え終わり、警備員の男性の身体が冷えないよう毛布を被せながら私はそう言った。

(早く……早く誰か助けに来て……)

 私は首にかけたロザリオを握りしめ、助けが来るよう祈りを捧げる。

 だが、聞こえてくるのは神の声ではなく、けたたましく鳴り響く警察のサイレンだけだった。



 ガンッ!!ガンッ!!ガンッ!!

 地下の薄暗い部屋の中で大きな音が何度も何度も響き渡る。

「クソッ!!」

 地下の監視部屋に閉じ込められたアタシは、鉄格子を蹴破って逃げ出そうとしたが開かずに悪態をついた。

(何か方法はないの……?)

 ここに入れられて何分、何時間経過したか分からないが、リリーを助けにいくためには今は一分一秒と惜しい。だが、正面は鉄格子、周りは鉄壁で覆われたこの監視部屋とは名ばかりの牢屋から脱出する術や方法がなく、両腕で鉄格子に寄りかかり頭をつけた。

「どうして……」

 どうしてお母様はアタシのことを認めてくれないの……?

 幼い時から神の加護によって常人とは異なる力を持つアタシは、その力をコントロールする為にお母様に軍に入れられた。お母様は将来アタシがこの力に振り回されないように、そしてか弱き人の為にこの力を扱えるようにとよく言っていた。そのことに関してはアタシも同意見でお母様の言うことに疑問を抱くことはなかった。だけどお母様は、アタシを軍に入れた時から、大事な事件に限ってアタシを頼ってくれない。今もそうだ。アタシの世界でたった1人のか弱き妹が助けを求めているのにバックアップどころ出撃すらさせてもらえない。

「もっと、もっとアタシに力があれば……」

 アタシは唇を噛み締めがら地下の監視部屋の中で1人呟く。自分自身に力が無いことを認めるなんて普段のアタシだったら絶対言わない言葉だけど、どうせ誰も聞くはずがない、そう思って発した一言だった。



「力が無いなら誰かに頼ればいい」

 地下の入り口の扉が開く音がして、返ってくるはずのない返事が聞こえてくる。

「誰にだって苦手なものがある、それをカバーするのが仲間ってもんだろ?」

 アタシは声のする方に顔を上げた。鉄格子の外に以前アタシが捕らえた黒髪の隻眼片腕の男、フォルテ・S・エルフェーが片手「よっ」とやりながら現れた。

「こう見ると、昨日と立場逆転だな」

 ジーパンと長袖Tシャツといったラフな格好をしたフォルテは、鉄格子の前まで来てニヤニヤしながらアタシの顔を覗き込むように見てきた。

「何しにきたの?無様なアタシでも笑いにきたの?」

 ただでさえイライラしているのに、更にそれを挑発するようなフォルテの発言にアタシは目も合わせないで吐き捨てるように言う。するとフォルテは表情を変えずに意外なことを提案してきた。

「ここから出してやろうか?」

「何ですって?」

 思いもよらない提案にアタシは思わず聞き返してしまった。

「だから、ここから出してやるって言ってるんだよ。妹を助けに行きたいんだろ?」

「そうだけど、でもどうやってここから出すのよ?」

 周りは鉄壁に囲まれ、正面は鉄格子のこの部屋から脱出するには爆薬で鉄格子を吹っ飛ばすか、回転ノコギリのような高速カッターを使って鉄格子を外すかくらいしか方法がない。

「これなーんだ?」

 フォルテはポケットから丸リングにかかった鍵の束を「ジャーン」と言いながら取り出した。

「それは監視部屋の鍵!?」

 確かにアレは、アタシがここに入れた時に看守が持っていた看守部屋の鍵の束。常に看守が肌身離さず持っているはずのなのに

「どうしてあなたがそれを!?」

「どうしたって、看守から盗んできたんだよ」

「はぁッ!?看守はどうしたのよ?」

 当たり前のように盗んできたと言ったフォルテにアタシは思わず声を大きくしてしまう。

「バッカ!声がでけえよ!」

 フォルテは人差し指を口につけて「しー」とやりながら言う。

 いやアンタも十分声がデカいわよ。

「看守には今トイレで眠ってもらってる。当分あいだは目を覚まさないと思うぜ」

 フォルテは今更辺りをキョロキョロして、周りに誰もいないことを確認してから、口の横に手を当てて内緒話のジェスチャーをしながら鉄格子越しにアタシに耳打ちしてきた。

 確かに看守はトイレに行ったきり、かれこれ30分くらいは帰ってきてなかったが、まさかそんなことになっているとは……

「はぁ……理解できないわ。あなたがアタシをここから出して一体何のメリットがあるの?」

 何の目的があってフォルテがこんなことしているのかアタシには全く理解できず、思わずため息がでる。

「いやーたのま…じゃあなかった。俺1人でもテロを止めに行っても良かったんだが、戦力は多い方が良いだろう?だが、悲しいことに今頼れる奴はお前しかいない、俺を倒したお前しか」

 さっきまでの少しふざけた態度や表情と違って、真面目な顔でフォルテは答える。

 頼る。久しく聞いてなかった言葉。最後に聞いたのはいつだっただろうか。

 こんなにしっかり頼るなんて他人に言われたのはもしかしたら初めてかもしれない。

「……分かったわ。あなたが何を企んでるか知らないけど、手を貸してあげるわ」

 フォルテの言葉に多少の疑いはあったが、アタシは信じてみることにした。アタシを頼ると言ってくれたコイツのことを。

「よし、じゃあ行くか!」

 監視部屋の鍵を外し、鉄格子の扉を開けながらアタシの前に手を差し出してきた。

 フォルテなりの協力関係の証ってつもりなのかしら?一瞬アタシは戸惑ったが、その手を掴んで握手する。

「よろしくな、相棒」

「ふんッ!精々アタシの足だけは引っ張らないでよね?」

 アタシたちは監視部屋を出て、早速ケンブリッジ大学に向かおうとしたところで「あっ」と一つ問題の問題を思い出す。

「フォルテ、アタシをここから出すのは構わないけど、アタシ今1つも武器を持っていないのだけど……」

 武器はもともと任務の時以外は携行しないことがルールなので、武器管理部屋に全て保管ある。

「あーそれなら心配いらない」

 フォルテはそう言って地下部屋の外に置いてあったジュラルミンケース大小二つとバックパックをアタシに渡してきた。

 中を確認するとアタシが愛用しているデザートイーグルと50AE弾とマガジン、収納用ホルスター、そして神器のグングニルが入っていた。

「アタシの使っているものが全部!?どうやって────」

 武器管理室にも必ず1人は管理人が警備しているはず、こんなフル装備が準備できるはず────

「まさか……?」

 アタシがジト目で疑いの目を向けると、フォルテは満面の笑みで────

「管理人には看守のとなりの個室で寝てもらっているよ。あっちの方も当分起きないんじゃないかなー」

 当たり前のようにアタシが聞きたくなかった話しをする。

 アタシは膝から崩れ落ち、両手を床に着け言葉にならない声を出しながら絶望する。

 逃げ出すくらいならまだしも、武器を保管してある場所を襲撃して奪うって、それってもうテロリストと変わんないんじゃ……

 そんなアタシにフォルテは「んっ?どうしたー?」などとアタシがどうしてこうなっているか本気で分かっていない様子で顔を覗き込んでくる。

「なんでもないわよッ!もうこうなったらとことんやってやるわッ!」

 アタシは軍法会議ものの違反行動に開き直り、フォルテとともにケンブリッジ大学を目指す。

 これ、始末書何百枚、いや始末書で済むのかしら。

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